年間第29主日に関する【記事一覧】はこちら

2019年/C年説教=召ばれています、いつも

2019年/C年説教=召ばれています、いつも 2019年/C年説教=召ばれています、いつも

カトリック教会の日曜日のミサ説教。原則として3日前の木曜日の夕方に更新しています。説教者はカトリック鹿児島司教区のFr.YASUさん。説教の内容は、その主日の聖書(福音書)に基づいていますので、聖書へのリンクがあります。

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年間第29主日:神の心に届く祈り、叫びを!信頼して答えを待つこと

わたしたちの祈り(信仰)は、神とのかかわりをつなぎ留め、確認する糸です。子どもたちが、親にはすでにわかっていることをおねだりする時のように、今、わたしたちも、神が分かっているからこそ叫んでみましょう。今の悩みを、苦しみを、・・。
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年間第28主日:「清くされた」ことで、その奥に見えたものは何か?

癒された一人の人・サマリア人は、「自分がいやされたのを知って」引き返したとあります。この「知る」という言葉は、普通は「見る」を意味するんだそうです。この異邦人は何を見たのでしょうか。癒しの奥に働いている神のいやしの手を見たのでしょう。つまり、イエスを通して働いている神のあわれみを見て取ったのです。「清くされた」だけでなく「いやされた」ことに気づくこと、そこに救いがあるとイエスは言われます。
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年間第27主日:フィアット(我になれかし)。神の導きにゆだねる生き方を

今日の福音は、「わたしたちの信仰を増してください」という弟子たちの問いかけ、叫びに対して話された「たとえ話」です。そうなんです。わたしたちがそう願う前に神はすべてを準備してくださっています。
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年間第26主日:無言の中にも敏感に聞きとる、心のアンテナを大切に!

「聞く」ことこそが救いと滅びの分岐点となります。若い職員の指摘に野崎さんが耳を貸したからこそ、職場環境の改善に取り組む動きとなっていったのでした。何も言葉に発することがなくても、仕草、振る舞いから伝わってくる「ことば」があります。
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年間第25主日:光の子らの賢さとは?ヒントは自分が置かれたその場に

今日の福音書でいう「不正な富」とは「この世の富」という意味です。この世を生きるために与えられている富です。イエスは富を蓄えるためにではなく、友を作るために、貧しい人に施すために使えと言われるのです。これが永遠の救い・住まいに迎えられるために行うべき「賢さ」であると・・・
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年間第24主日:わたしの喜びは、神の喜び。神の世界に「落伍者」はいない

救いの世界に「落伍者」があるなんて、たまったものではありません。考えられないことです。今日の福音の三つのたとえ話には、共通したものがあります。あわれみを注がれる神がいるということです。しかも、神自らが、わたしたちが悔い改めるより先に、わたしたちを捜し出そうとしている姿があります。
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年間第23主日:普段の生活の中で、優先順位の存在に目覚めてほしい

キリストの弟子になるということは、生きるための優先順位に目覚めることだと、おっしゃりたいのです。イエス自身、その最高の評価をおん父におきます。人間的な愛情をつなぎながら、神に向かってこそ価値ある人生、真のしあわせと言えるのです、とイエスはおっしゃりたいのです。
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年間第22主日:人は「生かされている」ことを一人ひとりが認識すべき

平和としあわせの背後にあるもの、それは、わたしたち一人ひとりの存在が「いただいている存在」であるということです。自分の力で育てあげてきたものではありません。神の愛がなければ存在しえなかった「わたし」なのです。このことを一人ひとりが熟知し、認識していければ・・・
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年間第21主日:「狭い戸口」は自分の身近に。その実りは「慕われる人」

各々魅力ある「わたし」を持っています。それらを発揮することを通して、「救い」への道が開かれていくのではないか・・。「狭い戸口」とは、ごく普段やっていることに、生き生きとかかわっていくことにあると言えるでしょう。
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年間第20主日:わたしたちは平和の伝達者。日々の伝達訓練機会を大事に

「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うか。そうではない。…むしろ分裂だ」とおっしゃいます。しかし、イエスは「わたしはあなた方に平和を残す。わたしの平和をあなた方に与える」(ヨハネ14章27節)と約束なさっています。それでは一体どちらを与えに来られたのでしょうか。それは、イエスの生き方を受け入れるか拒むのかにかかっているということです。
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年間第19主日:苦境に陥った時、神を思うか、自分の思いに留まるのか

きょう福音に登場する話の根底にあるものは、弟子たち、今のわたしたちへの励ましの言葉です。どんな状況にあっても、神は見ていてくださっていますということです。このことを日頃から感じているでしょうか?
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年間第18主日:真の豊かさ、賢さを願って、仲間と今できることを一歩前に

本当の金持ちとは?今日の福音はこのことを伝えようとしているのではないでしょうか。「神の前に豊かになる者」が本当の金持ちなんだ、とイエスは言われます。自分のためだけに金品を蓄えておいては、「愚かな金持ち」で終わってしまうだけだと。
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年間第17主日:祈りは、神の考えを聞き、神の働きに我を託すこと

神は私たちが黙っていても遠くに離れていても、静かに見守り、援助の手を差し伸べようと待ち構えていらっしゃる「オヤジ」のような方なのです。こうした神の姿に元気づけられ、信頼をもってその神に委ねること、これが祈りであるとルカは強調したいのでしょう。
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年間第16主日:必要なことはただ一つ。それは相手を慮る「愛」の心

「必要なことはただ一つ」とおっしゃるのは、マリアがどうしてそのような態度に出たのか、マルタに、そのことを思いやってあげる温かさ「愛」が欠けていたと、イエスは言われたのでしょう。日常、同じ屋根の下で生活し、同じ職場で仕事をし、地域社会で奉仕している人々の心のうちを慮ってあげることは、私たちすべての者にとって、大事なことではないでしょうか。
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年間第15主日:父なる神に声をかけられている。同じようにしなさい

普段に生きていくこと、この積み重ねの過程で、神のみ旨は実現されていきます。一人ひとりの「見えない力」もまた、その都度、新たに強められ、高められていくのです。誰もが呼ばれ、声かけられているのです。
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年間第14主日:日々の生活の場で、傍らに居るイエスに気づいていますか

使徒たち(12人)でさえ、イエスの直接の援助と時間と行動の積上げを長年体験してここまで来たのです。今のわたしたちも当然のこと、日々の生き方の中(使徒活動の現場)で、そうありたいと積み上げているのです。これが「信仰生活」でしょう。必ず、イエスがともに、その傍らにいてくださっているのです。
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年間第13主日:響き合う仲間づくりを!まずは自ら求め、目指して欲しい

人の内側に秘められた信念・心情は、いずれ、どこかに、何らかのかたちを取って表に出てきます。「わたしの顔」はどのような表情を見せているのでしょう。元気な笑顔は、明るい、勢いのある顔は、心身の健康を助長させてくれます。その力を借りて、響き合う仲間づくりを目指しましょう。
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キリストの聖体を頂くたびに、イエスを、その優しさを感じていますか

聖体の制定は、イエスがご自分の受難と復活を通して全人類に与え尽くされることを願ってのことです。だから、「渡される夜」に制定された聖体によって「わたしは代の終わりまで、いつもあなたがたともにいる」(マタイ28章20節)というイエスの使命が全うされていきます。そして、ご聖体をいただくたびに、わたしたちの信仰センスも成長していきます。

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三位一体:「知」だけでなく「心」の世界で分かりあい、交わり合いたい

「人間の救い」という出来事は、人の知性の問題ではなく、神の恵みによって高められて初めて受け止めることができる神秘です。わたしたちは三位一体の交わりの中に招きいれられました。この交わりを深め、日常の煩雑さの中でも、絶えずこの交わりに戻っていくような「信仰センス」を大事にしていきたいですね。
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聖霊降臨:霊の働きかけを聞いていますか、見ていますか、感じていますか

わたしたちの中には、本来、神から与えられているタレント、恵みがあります。それを覆い隠していく様々なものが、外側から次から次へと加えられていきます。霊の働きを邪魔してしまうほどの強力なものもあります。本来の「わたし」の姿、イエスを伝えること、に気づき、生きる「楽しさ」を一日一日と味わってみましょう。
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