四旬節第1主日

2018年/B年説教=神への道標

四旬節第1主日:内なる「後押し」とは?四旬節は神が与える「訓練の場」

神は「荒れ野」にイエスさまを追いやり、訓練されます。どのような苦境に追いやられても、神だけが支えであるということを体感できる場が「荒れ野」だからです。その訓練の後についてくるのが、確固たる神への信頼です。
日曜日の聖書

四旬節第1主日:「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」

四旬節第1主日(B年)の聖書=マルコ1・12~15 そのとき、”霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。
2015年/B年説教=イエスのこころ

四旬節第1主日:イエスが荒れ野で受けたサタンの誘惑と試練とは?

わたしたちも、人として鍛錬され、信仰者としても鍛えられる工夫を見つけ出していく必要があります。日常の、普通の生き方の中でヒントはたくさんあるような気がします。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第1主日:生きる柱は神から出て、神に生かされ、神に戻る人生

神から出て、神に生かされ、神に戻る人生であるということです。これらがわたしたち一人ひとりの人生の根底にあるかどうかをわたしたちに語り掛けているようです。
日曜日の聖書

四旬節第1主日:「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

四旬節第1主日(A年)の聖書=マタイ4・1~11 イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第1主日:「荒れ野」で誘惑に出会ったとき、神に向かうか、背を向けるか?

今の自分の信仰者としての歩みを確認する大ヒントが、今日の福音のイエスさまの姿に込められています。つまり、神に向いているのか、その反対を向いているのか、どうなんでしょうか。イエスが受けられた三つの誘惑をとおして振り返ってみましょう。
2011年/A年説教=神のみことば

四旬節第1主日:「荒れ野のとき」とはどんな「時」?「ノー」と言えるものがありますか

今日の主日は、神を大切にできなかった人間の姿と、おん父に対して最後まで誠実であられたイエスさまとが対比されています。さて、この「わたし」はどちらに属しているでしょうか。イエスさまは「現世的な」生き方に対して「ノー」という返事を出されたのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

四旬節第1主日:神に背を向けるか神に生きるか、自分の信仰を確かめよう

「人はパンだけで生きるものではない」「「あなたの神である主を試してはいけない」「神なる主を礼拝し、ただ神にだけ仕えねばならない」というイエスさまの回答は、徹底したご自分の心の中を宣言されたものです。
2012年/B年説教=主との出会い

四旬節第1主日:イエスは神であり人間のモデル、目指すべき存在者です

イエスはできることならば苦しいこと、辛いことは避けて通りたいという心と態度をとりたくなる存在者であった。それでも、荒れ野での試みには屈することはなかったのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

四旬節第1主日:まず神の国とそのみ旨を行う生活を求めること

だからと言って、働かなくてもいいということではありません。食べ物を得るためだけの働きではなく、生きる範囲、幅は広いものであるということでしょう。わたしが生きるのは、わたしと、近くでは、わたしの周りにいる人のために役立つことなのです。
日曜日の聖書

四旬節第1主日:イエスは荒れ野で四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。

四旬節第1主日(C年)の聖書=ルカ4・1~13 〔そのとき、〕 イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を″霊″によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。