年間第24主日:わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救う

カトリック教会の日曜日の聖書
今週の聖書

年間第24主日(B年)の聖書=マルコ8・27-35 〔そのとき、〕イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを 何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。

年間第23主日:二千年前の人々の心で「奇跡」を眺め、捉えてみたい

2018年/B年説教=神への道標
「神への道標」

2000年前に生きていた人々の心で「奇跡」を眺め、捉える必要があるでしょう。すると、奇跡の中に込められたメッセージを読み取ることができるのでは・・。イエスさまが歩まれた道のりは、異邦人の地と言われていた町々です。そこの人々に新たな希望をお与えになります。

祈りを中心に抱く「山上の説教」第2講—竹山昭神父の2018年夏期講座

カトリックの教え
竹山昭神父

①マタイの聴衆(マタイ5:1)とルカにおける聴衆の違い(ルカ6:20) ②「八つの幸いの」全体の構成と表現の特徴⇒現在のマタイ版はマタイによるまとめ(創作とは違う)。この表現から、八つの幸いは、いわば将来の約束、希望を語っている。 ③八つの幸いの大意---「霊において貧しい人は幸い」が八つの幸いの根底に共通。

年間第21主日:イエスの人格に惚れ、委ねる。信仰者の生きる姿がそこにある

2018年/B年説教=神への道標
「神への道標」

徹底的に自分を変革したいなら、その人の「人格」にかけることです。委ねることです。「信じている」からこそ理解し、変えられ、納得できる歩みができます。そのような人を、誰でも「尊敬できる人」として持っているのではないでしょうか。

年間第20主日:「食べる・飲む」それは互いに一つであることのしるし

2018年/B年説教=神への道標
「神への道標」

「イエスの肉を食べる、血を飲む」という表現の中に込められていることは、一人ひとりの生き方がイエスの心に合わさって一つになることが求められている!ということ。イエスの十字架上での死は、わたしたちのためであることをしっかりと自覚しましょう。

年間第18主日:神を信じる道は、既に自分の命の苗床に植えられている

2018年/B年説教=神への道標
「神への道標」

福音は「即効性」を期待し、「自分流」の世界に閉じこもっているユダヤ人が、イエスの真意にたどりつかないお話です。イエスは「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい」と言われます。

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