年間第20主日:わたしは、天から降って来た生きたパンである。

カトリック教会の日曜日の聖書
今週の聖書

年間第20主日(B年)の聖書=ヨハネ6・51~58 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

年間第18主日:神を信じる道は、既に自分の命の苗床に植えられている

2018年/B年説教=神への道標
「神への道標」

福音は「即効性」を期待し、「自分流」の世界に閉じこもっているユダヤ人が、イエスの真意にたどりつかないお話です。イエスは「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい」と言われます。

年間第14主日:イエスを受け入れ、歓迎するために必要なこととは?

2018年/B年説教=神への道標
「神への道標」

国民栄誉賞の羽生選手の地元での大歓迎は、人々が羽生選手と共有できる何かを感じているからではないかという気がします。イエスさまも本当は、地元の人々に受け入れられたはずなのに、イエスさまとの心の共有ができなかったのです。それは、何なのでしょうか。

年間第13主日:信仰とは?ヤイロは自己の無力感を通して神に出会った

2018年/B年説教=神への道標
「神への道標」

「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうか、おいでになって娘の上に手を置いてやってください」とイエスにすがる会堂長。そこには、愛する娘の病を前に、なす術をなくした無力な父親の姿がありました。ヤイロは自己の無力感を通して神に出会っていったのです。

年間第11主日:天国には皆が招かれている。しかし天国は場所ではない!

2018年/B年説教=神への道標
「神への道標」

「神に似せて創られた」人間には、目に見えず、感じないながらも中に秘めた素晴らしいものがあるのです。大事なことは、それらの魅力が発揮されやすい環境にあるかどうかです。つまり、神の働きかけが功を奏しやすい状態にあるかということです。

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