「カトリック教会の日曜日の説教」の記事一覧

年間第33主日:神の意図を生きる現場でどう読むか!掟との関わりは?

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

人は神の「意図」を知りながらも、自分の都合を優先してしまいがちです。掟や形を守ることだけに終始し、その掟の意図を見誤ると、偏った生き方、人間となりかねません。頂いた能力をフルに生かしながら、神の意図にそって、絶えず前に進み続けましょう。

年間第32主日:「今」の現実に魅かれながらも、未来の自分に目覚める

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

人は、未来の、不確かな現実よりも、確かな「今」の現実の方に魅力を感じてしまいます。また、負けてしまいます。ですから、将来の現実がどれだけ重要なのか、そのことをいかに感じるかによって、今の生き方に違いが生じてきます。

年間第31主日:わたしの「権威」のよりどころはどこにあるでしょう?

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

「権威」は、その人に託された役割をよりよく奉仕できるように付与されているもの。奉仕のための力、エネルギーです。これが、外面的にはイエスさまの姿でもありました。イエスさまの裏付けがある本物の「権威」を求めていきたいものです。

年間第26主日:心の声を聞いて考え直すことが人間らしく生きる秘訣

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

今日の福音で注目したい表現があります。兄が「考え直して」畑に行ったという言葉とその思いです。はじめは、束縛されるのが嫌だなと思ったのでしょう。その思いがあって反射的に「ノー」といったのでしょうが、その後、彼の中で落ち着きがなくなったのではないでしょうか。

年間第25主日:神のなさり方は、常識や人間の思い込みを超える!

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

神は、みじめで悲しい生き方をしている人間の存在に関心を示し、見ぬ振りができない方なのです。今日も、わたしたち一人ひとりにあわれみ深い神はささやきかけます。「あなたはみじめではありませんよ。さあ、今日も一歩前へ、・・」

年間第23主日:罪は罪、事実は事実として宣言する勇気の先にあるのは愛

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

わたしたちの日常、何気なくしていることは、いつも神の意志との関りの中でやっていることです。一人ひとりがこのことに目覚めていくときに、人からの忠告も進言も、助言も素直に「わたし」の中に入ってくるのではないでしょうか。

年間第22主日:日常の小さな行いの積み重ねがイエスの十字架に繋がる

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

わたしたちの日常の小さな愛の行いの積み重ねが、イエスの十字架につながっています。大きいことはできなくても、積み木のように一つひとつ重ねていきたいもの。現代では、この「小さなこと」が見過ごされているのではないでしょうか。

年間第21主日:欲望に引きずられながら信仰に生きようとする「わたし」

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

わたしたちにとって大事なことは、「人そのもの」です。問題点ばかりを探しあてたところで、その人の本物に近づくことは難しくなります。わたしたちは、崇高さと煩悩さを兼ね備えた存在です。こうした人間の中に、信仰があり、だから恵みに支えられているのです。

年間第20主日:苦悩の中で出会った神の恵みに気付いていますか?

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

究極に立たされた時の「温かいまなざし、援助の手」は、人間回復に大きな力です。戦争孤児となり、生きるどん底を体験した方、絶望の淵に追いやられていたカナンの女性。苦悩の中で見出した一条の光、それは恵みとの出会い、神との出会いであったのです。信仰を見出すのは「どんな時」でしょう。

年間第19主日:自らについてまわる弱さの奥にある居心地のいい場とは

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

「人生のあらし」に圧倒されて、神から目をそらしたくなる、そのような体験を重ねつつ盤石な「自分」をめざせるように、力と勇気を願いましょう。いつも生き方の奥にあるのは、居心地のいい「家庭」環境です。親も子も、大人も子どもも、穏やかに伸び伸びと育っていきますように。

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