『年間第4主日』の聖書と説教一覧はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

カトリック教会の日曜日のミサで朗読される三番目の聖書(福音書)を毎週木曜日の夕方更新。2017年からは第1朗読、第2朗読の掲載も始めました。ページでは主日(日曜日のこと)ごとにそれぞれの福音書に基づいた説教へのリンクもあります。また3年周期のA年、B年、C年を簡単に閲覧できるように工夫しています。

2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第2主日:イエスのもとにとどまる。真の「わたしらしく」なるために

イエスをぬきにして「わたし」はないのです。また、イエスを失うことは、キリスト教はなくなるということです。イエスとともに「とどまる」ことが「わたし」をより「わたし」たらしめることなのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第3主日:神からの呼びだし、それは「賭ける」人生への呼びかけ

弟子たちが網と船を捨ててイエスについていったという今日の福音書の話の意味は、「賭ける」人生、つまりイエス(神)に賭けて生きていく道を探求しなさい、という呼びかけです。わたしたちの洗礼の秘跡は、まさに、その呼びかけに対する「わたし」の応えです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

主の洗礼:神とともにある日々を大事に、音のないメッセージを読み解く

主の洗礼の出来事は、現実を突き破った先に、わたしたちの目と心を向けさせる「仰ぎ見る目」に気づかせてくれます。その歩みを謙虚に続けましょう。いつの日か、今望んでいることが目の前に展開される日が来ます。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

主の公現:自分の真の姿を見誤ることなく、新たな日々を積み重ねたい

新しい年が始まりました。日々の歩みの中に、真の自分の姿を見誤ることなく求めましょう。そこには、前に進む力と勇気が、いつも備えられています。そのことを自分の中に、そして、身近なところで、実感できることは何でしょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

聖家族:神のみ旨を探しあて、親子の人生をさらに生かし、豊かにする

「お宮参りをする」「神にささげる」等の行為は、その時が来たら、子どもが自分たち親元を離れていくであろう痛みを感じながらも、神のみ旨に自分たちの心をあげていく姿なのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

主の降誕:親と子の宝物に注目!クリスマスはヨセフとマリアの宝物にも気づく日です

ヨセフとマリアの生き方は、イエスさまの救いの業の実現という形を変えた生き方となって花開いたのです。飼い葉おけの幼子の中にその力と愛のやさしさを見つけ、もっとイエスさまに引き寄せていただきたいです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第4主日:お言葉通りに!というマリアの奉献から救いはわたしにも

神のみ前に恵みを得たマリア、それは、神の大きなまなざしに包まれ、守られているということになります。神はマリアにそのまなざしを向け、マリアを通して世界の救いを思い、悲しむ人々、傷ついた人々の上に広げていこうと計画されたのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第3主日:「わたし」に向けられた神の恵みへの道に気づいて欲しい

神の恵み、神の愛、神の思いは、わたしたちの中に、心にすでに注がれているのです。わたしたちはそれに目覚めているでしょうか。その現実に気づいているでしょうか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第2主日:メシア(救い主)の力強さは、愛するが故の最高の力です

「ゆるし続けていく」ということの中に、メシア(救い主)としての最高の力があらわれています。ですから、わたしたちは信頼と安心と安全のうちに信じ、希望し続けることができるのです。だからこそなお、わたしたちとしては、立ち直るきっかけを見逃さないことです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第1主日:「目を覚ましていなさい」というイエスのことばを考える

神のわたしたちへの愛のたしかさに気づき、さらなる望みもってこれからを生きるようにという励ましと招きが、「目覚めなさい」という言葉に託されているのではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

王であるキリスト:神は「わたし」の決定的な時に、なにをどう評価する

イエスは「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」といわれます。これは日常生活のごく普通の人間関係の中で、何気なくやっていることです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第33主日:「わたし」をよく知ることが、遠大な奉仕へと繋っている

人は、その決定的な最後の時に、神にいただいた能力をいかに活用したのかが問われるとイエスは言われます。神とマンツーマンの出会いです。その時の重大さを「わたし」は日々感じているでしょうか。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

待降節第4主日:信仰は絶えず希望をもって生活することで受け継がれる

イスラエルの民は自暴自棄の状態になってしまったことが、実際にありました。それでも、耐え、信仰を伝え続けたのでした。それは、日々の生き方の中で子どもたちに、孫たちへと受け継がれていきました。イスラエルの人々の信仰は、まさに生活そのものだったのです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

待降節第4主日:ヨセフの生き方の中心にはいつも神がいた!私たちは?

わたしたちは神を身近に感じながらも、神をあえて遠くに置いているのではないでしょうか。自分の都合に合わせて、身の程知らずに、神を操って(?)いないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第32主日:決定的な未来の時に備えよう!神と人との繋がりを基本に

自分の周りにいるあらゆる方々から学び、教わり合いながら、新たな「自分」を目指しましょう。決定的な時の重みを感じるときに、変化が起こり、新たな歩みが始まるのではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

諸聖人:普通の人だった聖人たち、だからもっと交わって、さらなる成長を

私たちがまず尊敬すべき聖人は、霊名の聖人でしょう。そのためには、少なくとも聖人の生涯を知っておくべきです。そして、その取り次を願い、交わり、日々の通常生活の中で、その手本に倣うことが大切ではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第30主日:強制ではなく自ずと湧いてくる有難さの表れが「愛の掟」

イスラエルの民は「出エジプト」という出来事に、神への愛の根拠がありますが、今のわたしたちにとっては、イエスの十字架の贖いという普遍的な根拠があるのです。イスラエルの民同様に、神からの一方的な恵みの賜物です。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第29主日:日々、自分の力だけに頼っていませんか

「神のものは神に」とは、わたしたち一人ひとりのこの世の人生は、神を無視し自分の力に頼るのではなく、神の愛による力、恵みによるものであるという真実に目覚め、神に感謝することなのです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第28主日:ミサへの参加が、生きた「天国」の体験となるように!

ミサにあずかり、神の恵みの席に招かれたとしても、「礼服」つまり、真実の回心を伴っていなければ、単なる形式、儀式でしかありません。「外の暗闇に放り出されて」しまいます。ミサへの参加は目に見えるそのチャンスのときです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第27主日:わたしの回心を妨げているもの、それは自分自身の中に

表面をいくらつくろってみても、また、駆け引きで面子が保てたとしても、所詮、利己的な己の世界を脱することはできません。権威と地位に胡坐をかくことなく、自分の、今置かれている立場を振り返って見つめましょう。
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