『年間第3主日』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

カトリック教会の日曜日のミサで朗読される三番目の聖書(福音書)を毎週木曜日の夕方更新。2017年からは第1朗読、第2朗読の掲載も始めました。ページでは主日(日曜日のこと)ごとにそれぞれの福音書に基づいた説教へのリンクもあります。また3年周期のA年、B年、C年を簡単に閲覧できるように工夫しています。

2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第3主日:信仰感覚の新たな芽生えと育ちは、「わたし」の日常にある

はるか二千年前に生活していたイエスの隠された神秘に迫ろうとする心、態度はいつも大切にすべきです。イエスのことばをじっくりと確かめ、味わっていくうちに、圧迫から解放され、罪がもたらす苦痛からの赦しをいただくことができます。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第2主日:どんな些細なことでも、神を信頼して願い、委ねること

神はわたしたちの日常のささいなことに対しても、そっとやってきて救ってくださる方です。神はその「時」を見逃すことはないのです。日常の中における、そういう緊迫した「時」を大事にしていきたいものです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

主の洗礼:わたしたちの新しい使命は、普通に生きる中に示されていく

わたしたちは神を必要としています。このことを、人とのかかわり「隣人愛」を通して、神との繋がりを、日常の普通に生きる中で、実感し、さらに高めていけたらいいですね。普段の心身の「訓練」です。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

主の公現:真の救いへのあこがれ、渇きがこの「わたし」にあるのだろうか

救い主としてのイエスのもとへ最初に招かれた人々は、人間の、社会の闇の中に生きている人々であったのです。『神はどん底の闇からの叫びを顧みる』これが今日の福音の訴えではないでしょうか。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

聖家族:人の自らの限界に対処する仕方が、その人の生き方を決める

わたしたちは自分たちの限界にすら気づいていないかもしれない、と思うことがあります。自分一人の楽しみを求めるのではなく、せめて、家族の楽しみを願い、そのために動くことがあれば、限界も見えてくるのかもしれませんね。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

待降節第4主日:挫折の多い自分史の中で、それでも、小さい輝きを大事に

その長さは違っていても、「待つ」「耐える」という点においては、イスラエルの民にも北朝鮮による拉致被害者家族会のみなさんにも、共通する生の体験です。並べて比較すべきではありませんが、暗く、悲しい歴史の中で、一条の光を求め、信じて進むことができるのは、これまた神の力です。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

待降節第3主日:「では、どうすれば良いのか」今の生活の中で考えてみる

今のわたしたちの生活の現場で、生きる充実感を覚えるものは何でしょうか。神は特別なことをして準備をしなさいとは言われません。普段着のままで、その場に望まれる普通のことを今一度、真剣に考えてみましょう。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

待降節第2主日:自らに目覚め、ゆるされたいと願う真剣な自分がいるか?

マイナスやプラスの報道双方に「神からの救いの業のしるし」を見つけていただきたい。わたしたち日本人が大事にしてきたこと、置き去りにしていることは何でしょう。身近なそこにこそ、「神の救いの業の示し」がありはしないでしょうか?
2022年/C年説教=弱き者を救う神

待降節第1主日:「わたし」の今をしっかり見定め、その後の歩みも着実に

今日の福音書は、わたしたちが生きているこの世が、わたしたちの思い通りにはいかない、人の力ではどうしようもないものであることを示すために、終末を語るイエスの言葉を記しています。「人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

王であるキリスト:妥協の世界に生きる「わたし」に、働きかける「まことの霊」

完璧とはいかないまでも、「まことの神」に出合うことはできます。その時、救われた「わたし」の姿に出合えるのでは。「真理の霊」が一人ひとりに働いてくれているからです。このことをイエスは証ししたいのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第33主日:「その時」の唯一の救いの道⇒謙虚に満ちた神への信頼

わたしたちに求められているのは何でしょうか?それは、神のあわれみに対する「謙虚な信頼の心」を豊かにすることです。イエスはわたしたちをお招きになっているのですから、「その時」になって、思いを翻すはずはないのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第32主日:主よ!どうすれば良いのですか?日々、導いてください

イエスのような人は、他者を見る心も、外見もさることながら、もっと内面に注目します。イエスは、みすぼらしいやもめの心を、さい銭の乏しい額に見るのです。乏しい額でも、やもめがすべてを神に捧げているその心を読みとるのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第31主日:神は一人ひとりを愛している。だから、互いを大切にする

一人ひとりの人間の中には神のかたどり、その姿が込められています。人はみな、一人ひとり神から大切にされています。だから、お互いを大切にするのは当然のこと。わたしたちも、自分が尊敬する人が袖にされると嫌な思いになりますよね。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第30主日:「わたし」に向けられているイエスの優しさに触れ、感じたい

今のわたしたちに必要なことは、自らの醜さと穢れをイエスの前にさらけ出すことです。盲人が勇気を出してイエスの前に自分を見せたのと同じように。その背景にあったのは、彼の「信頼と勇気」です。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第29主日:神を求める心をノーベル賞受賞者の「好奇心」に倣いたい

あのノーベル賞受賞者が「好奇心」の向く先を追い求めたように、わたしたちも信仰と神への、それがわずかであっても、感じている「好奇心」を見つめることから始め、そして膨らませていきましょう。それは何、・・・?
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第28主日:神を知る人、知らない人、双方に共通する難敵は「生ぬるさ」

聖書に登場する金持ちは最後の「詰め」がどうしてもルーズ。しかし、彼らは決して神を否定し、享楽的に生きる人たちではない。イエスによると「神への信頼」ができない人たちだったということになるのでしょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第27主日:全ての良しは「神に似せて創られたわたし」の始まりに

「わたし」は神に似せて創られています。だからこそ、弱点だらけの「わたし」でも、自分の原点に戻って前に進むことができます。「始まり(原点)」は、やはり大事であるということではないでしょうか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第26主日:イエスの「気の置けない」弟子、友になっているでしょうか

わたしたちが目指す姿は、家族仲良く、全人類が平和の裡に助け合い、補い合って共に前に進んで行くこと。それは、相手の救いを中心にした姿であり、さらに発展していきます。「気の置けない」仲間との分かち合いであり、その報いはいつの間にか自分の救いにつながっているのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第25主日:「作り物」を脱ぎ捨てた「わたし」の魅力は何だろう?

下手につくられた笑いは単なる「作り笑い」で終わります。その人のありのままの笑いだと「笑顔」になります。自分のメッキを削ぎ落として生の自分を直視し、そのままを受け止め、イエスに向かってさらなる歩みを続けましょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第24主日:イエスは問い続けている「わたしを何者だというのか」

コロナ禍にある今、学生が「私は何者」と自らに問うて、自ら答えようとしている姿に、神からの「わたしたち」への語りかけが含まれているように思えます。果たしてそれは、・・。
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