『年間第29主日』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

カトリック教会の日曜日のミサで朗読される三番目の聖書(福音書)を毎週木曜日の夕方更新。2017年からは第1朗読、第2朗読の掲載も始めました。ページでは主日(日曜日のこと)ごとにそれぞれの福音書に基づいた説教へのリンクもあります。また3年周期のA年、B年、C年を簡単に閲覧できるように工夫しています。

2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第29主日:神を求める心をノーベル賞受賞者の「好奇心」に倣いたい

あのノーベル賞受賞者が「好奇心」の向く先を追い求めたように、わたしたちも信仰と神への、それがわずかであっても、感じている「好奇心」を見つめることから始め、そして膨らませていきましょう。それは何、・・・?
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第28主日:神を知る人、知らない人、双方に共通する難敵は「生ぬるさ」

聖書に登場する金持ちは最後の「詰め」がどうしてもルーズ。しかし、彼らは決して神を否定し、享楽的に生きる人たちではない。イエスによると「神への信頼」ができない人たちだったということになるのでしょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第27主日:全ての良しは「神に似せて創られたわたし」の始まりに

「わたし」は神に似せて創られています。だからこそ、弱点だらけの「わたし」でも、自分の原点に戻って前に進むことができます。「始まり(原点)」は、やはり大事であるということではないでしょうか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第26主日:イエスの「気の置けない」弟子、友になっているでしょうか

わたしたちが目指す姿は、家族仲良く、全人類が平和の裡に助け合い、補い合って共に前に進んで行くこと。それは、相手の救いを中心にした姿であり、さらに発展していきます。「気の置けない」仲間との分かち合いであり、その報いはいつの間にか自分の救いにつながっているのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第25主日:「作り物」を脱ぎ捨てた「わたし」の魅力は何だろう?

下手につくられた笑いは単なる「作り笑い」で終わります。その人のありのままの笑いだと「笑顔」になります。自分のメッキを削ぎ落として生の自分を直視し、そのままを受け止め、イエスに向かってさらなる歩みを続けましょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第24主日:イエスは問い続けている「わたしを何者だというのか」

コロナ禍にある今、学生が「私は何者」と自らに問うて、自ら答えようとしている姿に、神からの「わたしたち」への語りかけが含まれているように思えます。果たしてそれは、・・。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第23主日:「苦しい時の神頼み」は神を感じる第一歩

神さまにはお願いばかりが多いのは、それだけ苦しいことが多いということでしょうが、感謝することも多くありたいもの。それにしても、神さまにお世話になっていると感じているのでしょうか。人への「義理」は敏感ですが、神への「義理」(?)はどうなっていますか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第22主日:「決まり事」には限界がある。絶えず本筋を見つめる努力を

「決まり事」はなくてはいけません。が、しかし、それは人がより良く、安心して、「人間らしく」生きるためにあるものでしょう。それに逆に縛られてしまっては「本来の姿」が覆い隠されてしまいます。絶えず振り返り、本筋に戻ることに勇気を持ち続けたいものです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第21主日:過去を追憶するだけでなく、今に生かし未来に繋ぐ信仰を

過去の歴史的な出来事を、過去として終わらせるのではなく、「今」につながっている伝承、出来事として追憶することが大事。わたしたちの信仰も今の世相の中で育ち、豊かになっていきます。そして、後世に繋いでいくことになるのでしょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

聖母の被昇天:神の登場は、日々の「わたし」の身辺に起きている

この世では相対的な価値基準が基本です。だから、絶えず失敗が続きます。でも、人には神を希求する力も与えられています。それに気づきたいですね。そのきっかけは、日頃の身近な自分の周りにばらまかれています。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第19主日:ユダヤ人はイエスのことばを理解できず去った。あなたは?

ユダヤ人たちがイエスに求めていたのはこの世的な外圧からの救いでした。「食べて飲んで」イエスと一致すること、ここに価値があるということをイエスは教えられますが、彼らの受け止めは浅いままで終わりました。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第18主日:「つぶやき」「不平」の元は、実は自分自身の中にある

「朽ちることのないパン」に対してわたしたちが受け止めている中味はどんなものですか。神を信じていることへのわたしたちの「つぶやき」「不平」の大きさはどうですか。信仰の中心にある「朽ちないパン」の重要さを今一度、振り返ってみましょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第17主日:身の回りに起きる奇跡・しるしの中に何を見ますか

今もなお、わたしたちの周りで「奇跡」は起きています。その中に、己を手放す価値ある神からのメッセージを見抜けるか、読み取れるか、神との繋がりの「密」を切に願い、祈りましょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第16主日:神の思いと導きにあやかる「わたしの時」を見つけたい

車にガソリンを入れるステーションがあるように、エネルギー補給のためにわたしたち人間も中休みする必要があります。要は、そのタイミングです。もともとの養い主である神の思いに触れ、その導きをいただける「わたしの時」を見つけるのが大事です。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第15主日:イエスが弟子たちを2人一組で派遣したワケを探りたい

一人ひとりが持っている個性を自らが十分知ったうえで、「百人百様」の聞き手に、「百人百様」のみことばの奉仕者に。「私は私、人は人」ですが、これらが複数形「わたしたち」になることが、目指す宣教者の姿なのでは・・・。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第14主日:「神思う心にまさる神心」日々の生活の中で気づきたい

「親思う心にまさる親心」という言葉がありますが「神思う心にまさる神心」ということに、日々、生きる中で気づきたいです。やはり命あるうちに、・・。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第13主日:無力な自分に気づいたら、神の前に謙虚に自らをさらけ出す

ヤイロは自尊心をかなぐり捨てて、恥も外聞も忘れてイエスの前にひれ伏しました。その姿に、彼の謙虚さをうかがい知ることができます。私たちもどんなことにも自分の限界を知りつつ、助け合って共に前に進みたいものです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第12主日:普段の生活の中で試されている「わたしたち」の信仰

わたしたちは日々、普段の生活の中で試され、克服し、ますます人として、信仰者として、その任にあるものとしてより豊かな人となりを身にまとい、仲間とともにまた、日常に派遣されていきます。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第11主日:「依存社会」でわが身をゆだねる人が目指すべき相手は?

パウロが言っています。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12.9)。であるからこそ、神の働きにゆだねましょう。少しずつ前に進めていくことこそ、イエスから求められている今日の勧めではないでしょうか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

キリストの聖体:神の愛をどこまでも身近に感じさるためにイエスが制定

信仰の世界で、聖体の制定は、まさに、誰からも受け入れられるわたしたちに身近な、神の愛、イエスのやさしさの具体的やり方です。一片のホスティア、拒もうとすればいとも簡単にできます。それでも、そのやり方にこだわったのが神なのです。
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