カトリック教会の日曜日のミサで朗読される三番目の聖書(福音書)を毎週木曜日の夕方更新。2017年からは第1朗読、第2朗読の掲載も始めました。ページでは主日(日曜日のこと)ごとにそれぞれの福音書に基づいた説教へのリンクもあります。また3年周期のA年、B年、C年を簡単に閲覧できるように工夫しています。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 年間第13主日:イエスの教えは、常識を超えたところに生きる
「わたしらしさ」が「イエス・キリストらしさ」に近づくこと、これがわたしたち信仰者の道しるべであるといえないでしょうか。それが常識外れと言われても・・・否、実は常識を超えているのです。「イエスらしく」なっていくことは、すべての人に対して通用する人になることでもあります。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 年間第12主日:今の時代に、キリスト者に「求められるもの」は何?
今日の福音で気づかされたのは、わたしたちが「信仰者」として生き、信者共同体の中で生活していながら、キリスト者らしくなっているでしょうか、と自問自答させられたということです。キリスト者として今の時代に「求められるもの」をしっかりと見極め、確認できているでしょうか。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 年間第11主日:イエスの目はどこを、何を見ているのでしょうか
今の時代、現代ならではの苦しみ、貧しさ、疲れ果てた姿の原因はさまざまでしょうが、イエスの時代においても、同じような環境に晒された人々はいました。イエスの目は、表だけの観察ではなく、表は普段と変わらぬように見えても、その奥に潜む人間の悲しい姿を見つめていたのではないでしょうか。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される キリストの聖体:わたしたちは大勢でも一つ、皆が一つのパンを分けて食べる
人が育つための「肥し」になっているのは食べ物であり、飲み物であり、励ましの言葉であったり、他者からの援助の働き・手助けであったりします。敢えて言うまでもないことですが、わたしたちの育ちには、心の育ち、体の育ちがあります。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 三位一体:信じて近づこう!わたしたちの思いと能力をはるかに超えた神の心
三位一体とは神の方からわたしたちに近づき示され、明らかになった真理。そこは人間の「欲」が行きかう隙間もないほどに神の愛で満たされているのです。神の心を受け止め信じる歩みを続けましょう。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 聖霊降臨:「主を見て喜ぶ共同体」に発展することを、いつも目指しましょう
イエスは罪を償ういけにえとして遣わされ、十字架の上で命をささげることによって、人々の罪の赦しが現実となりました。わたしたちの新たな使命は、罪をゆるされた仲間を増やし、共に集まり、その真ん中にイエスがおられる集いを作り続けることでしょう。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 主の昇天:イエスはどこまでも「アナログ」、わたしたちと「共にいる」師です
イエスは「対面教話」しかも、自ら人々に近づいて励まし、癒し、元気づけました。デジタル時代に生きる私たちも直接的な交わりや寄り添いの大切さを忘れてはなりません。イエスは今もわたしたちと共におられる「アナログ」の師です。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 復活節第6主日:「わたし」の「キリスト気質」に目覚める
色々な催事に接するとそれぞれの地域や国の「気質」を感じます。わたしたち信仰者には「信仰者気質」なるものが備わっているはずですが、意識しておられますか?では、「キリスト気質」とは・・・
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 復活節第5主日:試練を経て、一歩前へ、人間の常識を超えた信仰へ
イエスの生涯は、外見では敗北感を匂わせていますが、人間的な常識を超えたイエスの神秘に信仰を求めていきたいものです。つまり、真の信仰は人間の力によるのではなく、神の恵みであり、聖霊の働きによるものであることを・・・
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 復活節第4主日:聞き覚えのある声の方に向かって、歩みを進めよう
弱いわたしたちにとって、安心できる場、安全な場所は、大きく成長するために大事な必要な環境となります。このような環境は、人としての成長においても、信仰の成長においても求められることではないでしょうか。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 復活節第3主日:生きているイエスに出会う「場所」は、普段の生活の現場
「信じる」ということにとって、見たかどうかは大事なことではありません。見ても信じないことはあります。むしろ、「聞く」ことが大切なのです。何を聞くのかといえば神の言葉であり、宣教の言葉です。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 復活節第2主日:イエスが復活したからこそ揺らぐことのない希望と平安が
イエスが復活したからこそ、今のわたしたちは、日々、確かな、揺らぐことのない希望と心の平安をいただくことができるのです。仮に、地上の現実の前に打ちのめされることがあったとしても、イエスを仰ぎ見ましょう。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 復活の主日:キリスト者の信仰の出発点は歴史的事実の中に
キリスト者であるためには、十字架と復活の出来事が生きていく上において、「わたし」に意味を持ったものとして受け止められるときに、キリスト者として誕生するといえるのではないでしょうか。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 受難の主日:
都合により今週はお休みです。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 四旬節第5主日:イエスが全身全霊でわたしたちに示す神の思いとは?
イエスは、ラザロを生き返らせることによって、人の苦しみに無関心ではいられない神の心を人々に示し、神の栄光を現します。死という事実の前にわたしたち人間は無力です。わたしたち人間は死という現実を覆す力を持ち合わせてはいません。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 四旬節第4主日:神の恵みは、自分の弱さのうちに開花します
健康な目に恵まれなかったという現実があるとして、だからこそ、自分の弱さ、もろさ、限界が見えていたのではないでしょうか。だからこそ、真の生命に飢えていたのではないでしょうか。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 四旬節第3主日:「主よ、渇くことがないように…その水をください。」
人との出会い、交わりは、本来的には真の変化を成長をもたらしてくれます。直の交わりを省略しがちなデジタル化の時代になってもアナログ的感覚を大事にしたいですね。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 四旬節第2主日:わたしたちの人生は、その実、神に「与えられた」道
イエスは「与えられた」道を歩んだ最たる方です。イエスを聞き続けましょう。主の変容は、イエスが神の子であることを明らかにするだけでなく、山を下りて宣教という日常へ戻ってゆく弟子たちを励ますための出来事でもありました。わたしたちの人生は、「わたし」のもでありながら、その実、神に「与えられた」道です。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 四旬節第1主日:誘惑を受けたイエスを、今一度もっと意識してみましょう
きょうの福音では、イエスが、困難をいかにして「試練」にしてしまったかをお示しになっています。一つは、飢えに悩まされるパンに対する。二つめは、神の支えがあるかどうかを確かめたいという誘惑。三つめは、神を無視して自分の繁栄を求めたいという誘惑です。この三つの誘惑は・・・
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 年間第6主日:「わたし」の「表と裏」は同じ、一つです
イエスはすべての悪の根源である、うちなる本能的な欲望に、真正面から立ち向かうことを求めています。自分のうちにある醜い、不条理な欲望を、殺さない限り、いつ、それが形となって外に表れてくるかわかりません。
