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カトリック教会の日曜日の説教

カトリック教会の日曜日のミサで朗読される三番目の聖書(福音書)を毎週木曜日の夕方更新。2017年からは第1朗読、第2朗読の掲載も始めました。ページでは主日(日曜日のこと)ごとにそれぞれの福音書に基づいた説教へのリンクもあります。また3年周期のA年、B年、C年を簡単に閲覧できるように工夫しています。

2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第26主日:「考え直す力」は、神のささやき=”良心の声”に気づく時に

今日の大事な言葉は「後で考え直す」ということです。その意味は、残念に思い、悔やむことですが、同時に、「考えを変える」という意味合いもあるそうです。たとえ話の兄は、最初、父の申し出に対して「ノー」といった時の考えを変えて、ブドウ園に出かけました。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第25主日:信仰者の「固定観念」はプラスか、それともマイナスか?

神は確かに正しく、聖なる方です。でも、その前に、神の心は憐みにみちておられることをもっと見つめるべきではないでしょうか。厳しいまえに、やさしく温かい方です。その一番の証は、十字架上でわたしたちのためにささげられたイエスの姿です。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第24主日:お互いの命を慮るやさしい心を大きく、豊かにしたい

わたしたちはお互いが慮る心を持ち合わせることによって、断ち切れそうになっているかもしれない関係を修復し、交わりを損なうことなしに保たれていきます。実に、それは神からの恵みです。神の前に「仲間」として生きることになり、人を心から赦していくように招かれているのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第23主日:教会はイエス中心の集い。社会や教育現場の真ん中には?

すべてをつなぎ、また解くという教会の権威は、教会の中心にいるイエスと天の父に由来します。そして「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」とあるように、教会はイエスが中心にいる集いなのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第22主日:自己否定、愛によって高められるいのちの価値

助け合って生きようとすれば、どうしても自己否定、それに伴う自己犠牲がついてきます。そこに愛があるからです。イエスの生き方、十字架への道のりは、わたしたち人間への愛に満ちた、自らの生きる権利までも否定した道のりだったのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第21主日:我々は神から名指しで集められた。各自の応答や如何に?

「あなたは生ける神の子です」というペトロの告白は、神からの呼びかけ(恵み)があってこその応答でした。これがイエスが言う「信仰」なのです。そこには人間の思いはなく、神の思いのみが働いています。同じく神からの名指しの呼びかけに集まった者たちが「神の民」と呼ばれる教会なのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第20主日:神との出会いは、闇の中でともる目立たない明かり

母親は恵みにあずかるには値しないことも知りつつ叫ぶのでした。ひたすらあわれみに向かって叫ぶのです。ここにイエスは真の信仰を見出したのです。闇の中に、絶望感の中にも神との出会いはあるのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第19主日:日常の「わたし」の成長の歩みは、その実、信仰の育ちの歩み

わたしたちは、今与えられている環境の中で、自分を神に託しているのかが問われています。つまり、その場その場における現実の中で、神の慈しみと恵みの確かさに気づき、そのことを見出すことができているでしょうか、ということです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

主の変容:「わたし」の道と「呼び出され、与えられた」道

三人の弟子たちが呼び出され、あらたな任務に派遣されるその始まりが、今日の「主の変容」の福音に示されています。「わたし」はどの道を示され、派遣されているのでしょうか?
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第17主日:中身や伝え方の工夫など、キリスト者側にも責任がある?

渇きが満たされないのはどうして?善意ある人々、彼ら本人だけの責任でしょか。その時代の人々が抱えている問題、また不安に対して、キリストのメッセージをいかに伝えているのか、その中身、伝え方の工夫はどうなのか、問われることがありはしないでしょうか。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第16主日:毒麦の話は外見で評価し、裁いてしまいがちな人間への警鐘

毒麦のたとえは、いわゆる「悔い改め」に気づく時間を、わたしたちに与えてくださっているのです。同時にこれは、外見で簡単に人を裁くな、それは神の領域の世界である、と言われているのです。自分の「はかり」ほど身勝手で、不安定で不確実なものはありません。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第15主日:かけがえのない宝を得るために⇒み言葉の前で素直に

イエスは無駄になるかもしれない相手であっても、語るのをやめなかった。それはなぜか?み言葉が豊かで強い生命力を持っているからです。わたしたちの心もイエスの言葉、福音が育つ土壌として、ますます肥沃になっていきますように!
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第14主日:「幼子のような者」に示される神の隠し事、それは…

「知恵ある者や賢い者」は、自分の力で救いに達しようとしますので、イエスが示そうとする天の国の福音を受け入れようとしないのです。それに比べ「幼子のような者」は、神に信頼するしか道がありません。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第13主日:隣人愛を真実のものにし、永遠のものにするイエスの教え

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15章12~13節)
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第12主日:恐れるな、思い出せ!お前の命は神の保護のもとにある

弟子たちと同じような辛い境遇に置かれることはありませんか。そのような境遇を、自らが作ってしまいたくなるような「安易さ」「誘惑」がないでしょうか。それでも!わたしたちは神の保護のもとにあります。だから、現在の恐れも未来の恐れも、恐れるなかれ、なのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第11主日:一歩でも前に!誰にでもイエスのやさしさを実践できる

イエスは絶えず、人に向かっています。わたしたち一人ひとりも、その働き人として招かれています。仮に献身的に奉仕できなくても祈ることはできます。召命のために祈ることは、立派な宣教活動です。イエスのわたしたちに示された愛の業の継承者です。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

キリストの聖体:聖体はイエスの救いの業を伝える神の愛の深いしるし

聖体の秘跡を制定されたのは、神は人が滅びるのを望まれないからです。神のみことばであるイエスは、自身の「血と肉」を差し出すことによって、信じる者の中に「いのち」を実現させるのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

三位一体:「独り子」の歩みの中に、神からのわたしたちへの愛を見る

神からの働きかけに対して、わたしたち人間のとるべき態度といえば、それは「信じる」ことです。そうすれば、将来を待つまでもなく、今「裁かれない」状態にあるというのです。「裁き」は将来起こることではなく、今ここで起こっているのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

聖霊降臨:聖霊の業、それは冷え切った心を温め、どんなときにも前に進む力

神の働きに逆らう何かを持っている「わたし」でも、悔いて、素直に自らを開くとき妨げは取り除かれます。聖霊の働きにより、どんなに悪の波が押し寄せても、それらを跳ねのけていく力が湧いてくるのです。これが聖霊の業です。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

主の昇天は、別れであるとともに、「わたし」の信仰、救いに目覚めるとき

主の昇天は、別れであるとともに、「わたし」の信仰、救いに目覚めるときでもあります。そのためにも、人とのかかわり、「出会い」はすべてにおいて「わたし」に必要です。そして、大切です。
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