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2022年/C年説教=弱き者を救う神

2022年/C年説教=弱き者を救う神 2022年/C年説教=弱き者を救う神

カトリック典礼暦年2021年(2021年11月~2022年11月)は、主にルカ福音書が朗読されるB年。

わたしたちはいつも誰かに支えられながら生きています。その「誰」かを知っている時もあれば、知らない時もあります。でも、知らないときの方が多いのではないでしょうか。
それだけ、いつも、どこかで誰かに支えられているのです。一人ひとりは弱いからです。いくら回心して、新しい生き方に気づいても。しかし、「弱い」ことは悪いことではないです。大事なことは、だからこそ「弱きものを救う神」がいることに思いを馳せ、日々、思い起こし、声をあげることです。
そこに、もっと新しい生き方が、・・。「神よ、わたしを助けてください」
2022年/C年説教=弱き者を救う神

王であるキリスト:イエスを受け入れるのか拒むのか。その選択が迫られている

イエスの最後の瞬間においても、イエスを受け入れる人と拒む人が存在しているのです。この二つの十字架観のどちらを選ぶか、わたしたちにもその選択を迫られています。今「わたし」の目の前にある十字架、それは絶望か希望か。
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年間第33主日:「本物の信仰」は日々の窮屈さ、辛さを経て、成長する

信仰のために迫害されること、今はないかもしれませんが、信仰者であるがゆえに、窮屈さと苦しさを感じることはあるかもしれません。このような体験を積み重ねることによって、わたしたちの信仰はイエスの思いにより近く高められていきます。
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年間第32主日:信仰は日々の戦いの真っただ中で、試され、高められていく

ふるさと広報誌を編集する担当者が営々と引き継がれていったように、わたしたちの信仰も、絶えず前に進む動きを止めないことです。そこから、朽ちないものを選び、会得する道を切り開いて行く新たな力をさらにいただくことができるでしょう。
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年間第31主日:わたしたちは「強く望み」そして、直ちに動いていますか

年間第31主日(C年)の説教=ルカ19・1~10 2022年10月30日 ザアカイは「イエスがどんな人か見ようとした」 今日の福音書では、また、イエスとの一つの出会いが語られています。その出会いの相手とは、徴税人のザアカイです...
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年間第30主日:「わたし」のありのままを見てください、主よ!

ファリサイ派の人が義とされなかったのは、自分の努力によって弱さを克服しようとし、「自らを頼り」にしたことなのです。自らを「義」とすることはできません。それは神にしかできないことです。
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年間第28主日:感謝の心を素直に、直ちに行動に移す。そこに救いが・・・

今日の福音では、いやされたことに気づき、感謝するためにイエスのもとに戻ってきた一人のサマリア人がいます。わたしたちも恵みを感じたら直ちに行動に移しましょう。そのために体を動かしましょう。イエスのもとに戻って、あらためて「感謝する」ためです。
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年間第29主日:今日の福音の要は、神を「信頼して待ち続ける」こと

やもめのように、神に向かって叫びをあげなければいけない、とイエスはわたしたちに訴えています。神こそが力ある方だからです。しかし、待つことが求められるかもしれない。それでも、信頼しつつ待ちつづけるのです。
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年間第27主日:神と人との隔たりは無限。だから、神からの恵みを願う

神は創造主であり、わたしたちは被造物です。したがって、神とわたしたちの間には本質的な差があります。神と交わりを持てるとすれば、それは、ひとえに神からの一方的な恵みによるものです。
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年間第26主日:自分の周りの声なき声、叫びに心の耳を研ぎ澄まそう

大事なことは、生きている間の一人ひとりの「生きている姿」が、死後のあり方を決定しまうということです。ひとこまひとこまの中に、死後の世界につながる重さが横たわっているということです。
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年間第25主日:「この世の富」は友を作るため、他人のために用いなさい

今日の福音でイエスが言いたかったことは、この世の富は自分のために貯めこむのではなく、友を作るため、人のために用いなさいということです。それが、自らにいい結果をもたらし、天に自らの宝を摘むことになります。
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年間第24主日:イエスは罪人の「わたし」と「一緒に」、いつも、どこまでも

イエスは神の「あわれみ」を前面に押し、罪びとを迎えてかれらと「一緒に」いる方なのです。この現実を受けて、わたしたちは、もはやファリサイ派のように、より劣ったものを引き合いに出して、自分の清さを誇示することなんてできません。
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年間第23主日:わたしに神がして下さった心地よい出来事に目覚めたい

イエスは最高の価値を天のお父に置いています。私たちはどうしても人間的な愛情に惹かれがちですが、イエスとの関係を「真」なるものにしたければ、しっかりと神を見つめる目と心が必要とされます。
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年間第22主日:自分を低くする者は、神によって高くされる

自分の命は、自分でつくり上げ育ててきたものではない。どこにおいても、だれかのお世話になっています。「高められる」「報われる」のはどなたがなさるのかと言えば、いつも神です。
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年間第21主日:イエスの教え⇒狭い戸口から入る人は救われる!なぜか?

「彼方を立てれば此方が立たず」という限界を感じながらも、それでも前に進もうとする勇気と知恵と大胆さがあるならば、必ず道は開けます。自己の弱さ、未熟さの上に立って、周りの人々に心を配り、実践がともなう時、平安な、安らぎをいただく恵みを味わうことができるでしょう。
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年間第20主日:「失敗」の連続であるとしても、挑戦はどこまでも続く

「失敗」は、やるべきことを誰がやったとしても、人である限りなくなることはないでしょう。大事なことは、やったことを振り返り、そして、次回へと諦めないことではないでしょうか。
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年間第19主日:「目を覚まして待つ」信仰者になっているか自問自答を

一人ひとりの置かれた年齢と環境を生かしながら、また、「目を覚まして」忍耐強く待ちながら、新たな力をいただいて神の影響を、光を人々に与えることができているでしょうか。そうでありますように。アーメン
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年間第18主日:人生の旅路の先に待っている温かい父なる神

人生の旅路のゴールには神が待っておられます。見てそれを分かることはできなくても、人生は神との出会いのための準備の旅路であるという意識と自覚があることを、芽生えることを祈りたいですね。
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年間第17主日:祈りとは神への叫び。神に委ね、神の働きを求めること

祈りとは、一人ひとりに目を注ぎ、手を差し伸べてくださる神に元気づけられ、信頼をもって神に心を開いて委ねることです。祈りは現実逃避ではありません。人として、神の望みを生きるために神の働きを求めるのです。
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年間第16主日:最高の”おもてなし”とは?価値あるものはただひとつ

相手が一番喜ぶであろう「おもてなし」は何でしょうか。粗相がないようにと配慮しても、完璧はないかもしれません。それでも、肝心な点はぬかしたくないですね。相手が大事な人であればあるほど・・・。
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年間第15主日:頭では理解しながらも、実践しない信仰者への警鐘

今日の福音書は「善きサマリア人」の話。「わたしの隣人とは誰ですか」という問いに対するイエスの答えは「では、行って、あなたも同じようにしなさい」。人は情報を取得し知り得ても、そこにあるメッセージに気づかない限り、成長しません。
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