復活節第3主日

日曜日の聖書

復活節第3主日:わたしについて書いてある事柄は、必ずすべて実現する

復活節第3主日(B年)の聖書=ルカ24・35~48 〔そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、〕道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
2018年/B年説教=神への道標

復活節第3主日:復活は「教会」誕生の原点。落胆の弟子たちを激変させた!

弟子たちの変貌の大きな要因は?イエスさま主導による「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」くださったからです。復活の大きな意図は、落ち込んでいる弟子たちを勇気づけ、そして、復活の証人として派遣し、教会を誕生させることにあったといえるでしょう。
2017年/A年説教=神のふところ

復活節第3主日:人は皆、外に見えない神のメッセージを持っている。

出来事の裏、見えないところに秘められている神からのメッセージは、現実の生きざまの中で体験しています。人間の常識の世界に留まることなく、否、その中にいながら永遠の命への望みを確かなものとしていくように、信仰を増していただきましょう。
日曜日の聖書

復活節第3主日:イエスが食事の席でパンを裂いたとき、二人の目が開いた

復活節第3主日(A年)の福音=ルカ24・13~35 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
日曜日の聖書

復活節第3主日:イエスはペトロに三度問う「わたしを愛しているか」

復活節第3主日(C年)の聖書=ヨハネ21.1~19 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活節第3主日:信仰は神さまのイニシアティブでいただく、恵みです。

今日の福音にあるように、イエスさまにここまでしていただかないと信じられなかった弟子たちの姿に、わたしたちは励まされているように感じます。不信仰者であった弟子たち、逃げ回っていた弟子たちの話は、わたしたちを信仰の道へと後押ししてくれているようです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第3主日:神の元に戻るには、ありのままの自分を直視する

ペトロのイエスさまとの問答の中に、信仰者の、教会の宣教活動の力の源があります。つまり、自分の弱さをしっかりと担い、その状態でイエスさまにゆるされている体験を経ることです。
2011年/A年説教=神のみことば

復活節第3主日:イエスの復活は、苦しみや悲しみが希望ある命への道となることを悟らせます

人間的にみれば、絶対敗北の象徴である「十字架」上の死の中に、本当は価値があるんだということを気づかせようとします。しかし、なみたいていなことではありません。深い闇がきても、悲しさが連続しても、希望ある命への道を歩み続けましょう。神に感謝!
2012年/B年説教=主との出会い

復活節第3主日:主の復活のメッセージは自分を変えることではなく、変えていただくことです。

わたしたちも自分で自分を変えていこうとしないで、変えていただくという考え方が大事になってくるのではないでしょうか。そこには「不思議なこと」がなくなっていくような気がします。ここに主の復活のメッセージがあります。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

復活節第3主日:再出発にはゆるしを願う前向きな心が大事

ペトロは悲しくなりながらも、答えます。「あなたはすべてをご存知です」と。イエスさまに直接「ごめんなさい」と言えなかったペトロにとって、このことばの中に、イエスさまへの謝罪の心を感じます。そして、ペトロは新たに使徒としての道に招き返されました。新たな「船出」です。
2014年/A年説教=神のたしかさ

復活節第3主日:ミサでパンを裂くとき、イエスさまがそこにおられます

今の日々のミサはどうでしょうか。ミサを捧げるわたしたち一人ひとりが喜んでいるか、希望に輝いているのか、エマオの弟子たちと同じく「悲しげで、暗い」顔をしていないか。二人の目が遮られていたのは、「主の受難と復活」を理解していなかった結果でした。