2015年/B年説教=イエスのこころ

カトリック典礼暦年2015年(2014年11月~2015年11月)は、主にマルコ福音書が朗読されるB年。Fr.YASUさんの今週の説教の年間テーマは「イエスのこころ」です。

2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第14主日:日常性をうまく使いながら一歩前へ進みましょう。

日常の安定性はだいじです。でも命はうごめいているのです。止まっていません。だからこそさらなる挑戦が求められます。そこにイエスさまの真意が見えてきます。
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待降節第1主日:目覚めていれば、完璧ではなくても十分な準備はできる

来たるべき救い主との出会い(到来)を「目をさまして」待つように勧めて、始まります。その一つは、主の誕生を準備し、もう一つは、イエス・キリストの再臨を意識して準備する時なのです。
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待降節第2主日:メシアを「待ち望む」ことに裏切りはあり得ません。

待降節は字のごとく、「待ち望む」期間です。キリストの誕生を待つと同時に、将来における救いの完成を待ち望む心を整えるという意味も含んだ「待つ」です。
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待降節第3主日:一人ひとりの中にある「宗教心」にもっと目覚めましょう

「あなたの人生を一言でいうと、・・」と問われたら、何と答えますか。答えに、挑戦してみるのもいいのではないでしょうか。そこに、いつも希望と信頼を増大させ、後世への「あかし」としていきましょう。
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待降節第4主日:神のまなざしに包まれて、無に過ぎない者が恵みを得る

神に「とくべつに目をかけられること」の中に、恵みを見ているのです。ましてや、受けるほうに、自分には目をかけてもらえる価値や資格はないと思えば、それだけ恵みだという自覚が強くなります。
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聖家族:マリアとヨゼフの要にあったのは、「主・神」との繋がりでした

神との出会いがすべての始まりでした。「出会い」というとき、双方の思いと動きがあって出会います。イエスさまとの出会いも、双方が近づき、出会い、病と心の癒しがあって、弟子となっていくというパターンが普通です。
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主の公現:神の救いの計画の広さと豊かさを示してくれる主日

律法に従った正しい生き方のみで救われるというのではなく、福音を「信じる」ことで救われるという神の計画が示されています。だからこそ、律法を知らない羊飼い、東の世界の異邦人・学者たちがいち早く「イエスさま誕生」の席に招かれました。
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主の洗礼:その人にとって、その生き方が決まる人生最大の瞬間です

わたしたちの受洗はどうでしょうか。あの時は燃えていたな、活力満点だった、素直に従順だった、思い出すことがたくさんあるのではないでしょうか。「初心忘るべからず」で、原点に気づくことでしょうか。
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年間第2主日:日常の中でなされる神からの「呼びかけ」を無駄にしない

年間第2主日(B年)の説教=ヨハネ1.35~42 羊飼いにしても、東方からの訪問者たちも、神から差し出された日常的な呼びかけに応え、隠された神の救いの計画の中に引き込まれていったのです。
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年間第3主日:自分自身を捧げものとして奉献できますように!

自分はこのような仕事をするにふさわしい存在ではない、ということはないのです。それを十分に果たすことのできる力をも用意してくださっているのです。
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年間第4主日:イエスの言葉が群衆に「権威ある教え」として伝わったわけ

マルコはイエスさまと出会った感動をそのまま「権威ある者、教え」として伝えています。初めての人々を前にして臆することなく、堂々と確信に満ちた言動をなさいます。
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年間第5主日:イエスの「寄り添う」とは、人々の苦しみを取り除くこと

現実の人間のはかなさを直視していくことにこそ、そして、その上で祈ることにこそ神との真の出会いを感じ取ることができるようになるのでしょうか。そのためにも、他者に「寄り添う」ことを学びたいものです。
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年間第6主日:重い皮膚病を清くされた人に、口止めをした理由とは?

イエスさまはただ「奇跡をおこなう人」ではないこと、神の憐れみと罪のゆるしを伝え、人々を救う方であることを理解するためにはまだ時間がかかります。
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四旬節第1主日:イエスが荒れ野で受けたサタンの誘惑と試練とは?

わたしたちも、人として鍛錬され、信仰者としても鍛えられる工夫を見つけ出していく必要があります。日常の、普通の生き方の中でヒントはたくさんあるような気がします。
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四旬節第2主日:高い山上でのご変容は、神の思いと人間の思いの交流点

ご変容の目的は、明らかに弟子たちの信仰を固めるためであったのです。同時に、それはイエスさまが、おん父が定めたご自分のこれからの道のりを受け入れる「はい」という返事をくだされた出来事でもありました。
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四旬節第3主日:イエスの「神殿を三日で建て直す」が意味するものは?

「建て直す」は、「復活する」とも訳されるようです。そこで、今後は、エルサレムの神殿に替わって、イエスさまの体が神殿になり、ご聖体になってわたしたち一人ひとりの中に入られるということでしょう。つまり、一民族の宗教から脱皮し、世界民族の宗教になっていくことの宣言であるといえないでしょうか。
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四旬節第4主日:先に神から愛されているからこそ、安心できるのです

イエスさまが要求される「愛を生きる」道は、「神から愛された」自覚と体験が出発になっています。このことは、日常体験からもわかります。愛されている、認められている、相手にされていることがあって、人を愛し、大事にし、人として成長していきます。
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四旬節第5主日:イエスさまが伝えようとされたご自分の死の意味とは?

それは、一度自分を否定すること、そこに新しい命へと変容していくイエスさま本来の「死」の意味が込められています。つまり、自分の姿(一粒のまま残る)を消していく中に、死んだままでは終わらない復活(豊かな実)の結びがあります。
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受難の主日:ローマの百人隊長がこの人は神の子であったと宣言

百人隊長は、苦しみにじっと耐えながら前に進もうとしているイエスさまに、何を見たのでしょうか。何を感じ取ったのでしょうか。イエスさまの外見を見る限り、「神の子」であることを感じさせるものはないのに、・・。
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復活の主日:人間的常識にこだわる限り、「わかりません」としか言えない

すべての人に死は訪れます。人間的に見れば、死によってすべてが終わりです。しかし、「主の復活」は神とつながっている限り、死を乗り越えて新たな命につながっていくことを、わたしたちに保証してくださった、大きな希望をいだかせてくれる出来事です。