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年間第6主日

日曜日の聖書

年間第6主日:貧しい人々は、幸いである、神の国はかれらのものである

年間第6主日(C年)の聖書=ルカ6・17、20-26 2019年2月17日 〔そのとき、〕6・17イエスは十二人と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また...
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第6主日:弱さを認めて誰かに頼る率直さの先に、神は待っている

今日の福音に何回も出てくる「さいわい」という言葉は、逆境にある人々へのイエスの叫びとも言えます。「喜びなさい」という言葉に置き換えることができるでしょうか。神がともにいるから裏切られることは絶対にないのです。
日曜日の聖書

年間第6主日:重い皮膚病の人に手を差し伸べて触れ、「清くなれ」と言われた

年間第6主日(B年)の聖書=マルコ1・40~45 〔そのとき、〕重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
2018年/B年説教=神への道標

年間第6主日:救いとは?幸せとは?それが日常の中核にありますか?

今のわたしたちにも、特に、疎外された境遇にある人にとって、「救い」の実感が伴う日々であるよう祈り続けましょう。一人ひとりが違うということは、人間共同体の「財産」です。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第6主日:重い皮膚病を清くされた人に、口止めをした理由とは?

イエスさまはただ「奇跡をおこなう人」ではないこと、神の憐れみと罪のゆるしを伝え、人々を救う方であることを理解するためにはまだ時間がかかります。
日曜日の聖書

年間第6主日:わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである

年間第6主日(A年)の聖書=マタイ5・17~37〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕  「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第6主日:「平和」実現のために新たな挑戦を!律法の完成の意味はそこにある

イエスさまの言葉の奥にあるものは、難しくても、そこに向かって進んでみましょう、と言われます。でないと、「地上の平和」への道が閉ざされます、と。「平和」実現のために挑戦しなさいと強力に勧めておられます。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第6主日:自分の内なる醜さは人には見えないが、神の前にはさらけ出されています。

自分を清めることは神から絶えず求められていることであり、一人ひとりがそれに取り組んでいくならば、地上の平和も実現します。その根本にあるものは、徹底した受容と自己放棄です。イエスさまの生き方がまさにそうでした。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第6主日:人の知恵ではなく「神の知恵」に気づくことができれば・・

「法律」は人のためにあるのであって、もっとつき進めれば、人のいのちを守るため、人としてその人らしく生きるためにあるということができます。本来の姿でしょう。法によって人間の品位が落ちるようなことはあり得ないことです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第6主日:本当に価値あるものは目に見えず気付きにくい

「他言無用」の戒めの裏にあるイエスさまの思いは、人々が目先の「癒やし」というご利益だけを求めてイエスさまのもとに集まってくることを恐れての対応だったのではないかといわれています。