年間第15主日

日曜日の聖書

年間第15主日:イエスは12人を呼び寄せ、2人ずつ組にして遣わされた

年間第15主日(B年)の聖書=マルコ6・7~13 〔その時、イエスは〕十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、
2018年/B年説教=神への道標

年間第15主日:宣教するとは、イエスの生き方を示し、語り継ぐこと

今日の福音から言えることは、「宣教する」とは「イエスさまご自身を伝えること、語ること」であり、イデオロギー、主義を語り継ぐことではない。イエスさまのそばにいることは、宣教のための最強の教育であったということができます。
日曜日の聖書

年間第15主日:御言葉を聞いて悟る人は百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶ

年間第15主日(A年)の福音=マタイ13・1~23 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第15主日:私たちの信仰は「人の常識」を超えたところに芽生え育つ

どんなに高貴なもの、優れたものであっても、そのものの使い道、生かし方を知らないとすれば、宝の持ち腐れです。種まきの話では、種そのものは素晴らしい生命力を持っていても、まかれた場所がそれに見合う土地でなければ実らないのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第15主日:弟子たちの役割はイエスさまの「証し人」となること

「派遣される」ということは、イエスさまとともに生活していた中からあふれ出てくることを見せるために、語るために出ていくのです。自分を見せ、伝えるためではないのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第15主日:お互いが安心でき、やすらぎを得られる関わりを広げたい

日頃は人を感動させる言葉を発していても、愛情がこもっていないと、その感動は打ち上げ花火で終わってしまいます。水の波紋のように広く、あざやかに繋がっていかないのです。
日曜日の聖書

年間第15主日:自分のように愛すべき、わたしの隣人とはだれですか?

年間第15主日(C年)の聖書=ルカ10・25~37 〔そのとき、〕ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第15主日:自分の方から隣人に近づいていくことこそ大事

お互いが「隣人になっていく」ことに、敵も見方も無いよと、今日のイエスさまはおっしゃいます。半死半生の人の隣人になった人が、当時、敵視されていたサマリア人であったことはこのことを指し示しています。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第15主日:種は蒔かれた場所によって育ち方が大きく変わる

イエスさま時代のパレスティナでは耕さずにまず種を蒔いていたので、種自体はみな等しい生命力を持っていたはずですが、蒔かれた土地によって生育に大きな違いが出てきます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第15主日:イエスさまの福音が実るか無駄になるかは「わたし」次第

仮に、イエスさまのことばが、教えが無駄になったとしても、語ることを決してやめないのが、救い主・イエスさまの姿です。むしろ、止めることができないのです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第15主日:窮地で「神がどうにかしてくれる」確信を持つ

大事なことは、窮地に立たったとき、「神がどうにかしてくださる」という確信があるか。「満足度」をそこに感じるか。日頃からの訓練が必要です。信仰も鍛錬されなければいけないのです。