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カトリック教会の日曜日の聖書

カトリック教会の日曜日の聖書 日曜日の聖書

カトリック教会の日曜日のミサで朗読される三番目の聖書(福音書)を毎週木曜日の夕方更新。2017年からは第1朗読、第2朗読の掲載も始めました。ページでは主日(日曜日のこと)ごとにそれぞれの福音書に基づいた説教へのリンクもあります。また3年周期のA年、B年、C年を簡単に閲覧できるように工夫しています。

音声版・聖書の導入をそろそろ、検討してみたいですね!

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ええっ? はい! 努力します。

日曜日の聖書

年間第25主日:最後に来た者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ

年間第25主日(A年)の福音=マタイ20・1~16 〔イエスは弟子たちに語られた。〕 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
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年間第24主日:兄弟があなたに罪を犯したら、七の七十倍までも赦しなさい

年間第24主日(A年)の福音=マタイ18・21-35 〔そのとき、〕ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
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主の変容:これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け

主の変容(A年)の福音=マタイ17・1~9 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
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復活の主日/イースター:二人の弟子は墓に入って、空の状態を見て、信じた

復活の主日の福音=ヨハネ20・1~9 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。
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四旬節第2主日:これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け

四旬節第2主日(A年)の聖書=マタイ17・1~9 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。
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神の母聖マリア:羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた

神の母聖マリアの福音=ルカ2・16~21 〔そのとき、羊飼いたちは、〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
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主の降誕【クリスマス】今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった

主の降誕の福音=ルカ2・1~14 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニゥスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
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年間第27主日:しもべが主人に命じられたことを果たすのは当然だ

年間第27主日(C年)の聖書=ルカ17・5~10 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木 に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。
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年間第26主日:モーセと預言者に耳を傾けないのなら、死から生き返る者の言うことも聞き入れはしない

年間第26主日(C年)の聖書=ルカ16・19~31 〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。〕「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。
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年間第25主日:どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない

年間第25主日(C年)の聖書=ルカ16・1~13 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 《「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』
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年間第24主日:一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちに喜びがある

年間第24主日(C年)の聖書=ルカ15・1~32 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。
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聖金曜日:イエスは、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19・30)

主の受難の福音(ヨハネによる主イエス・キリストの受難=ヨハネ18・1~19・42)夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。
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聖木曜日:イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた(ヨハネ13・1)

主の晩餐の夕べの聖書(ヨハネ13・1~5)過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。
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主の洗礼:イエスが洗礼を受けて祈っていると、天が開け聖霊が降った

主の洗礼(C年)の聖書=ルカ3・15~16、21~22 〔そのとき、〕民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
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死者の日:父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである。

死者の日の福音=ヨハネ6・37~40 〔そのとき、〕イエスは人々に言われた。 「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
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年間第27主日:神が結び合わせてくれたものを、人は離してはならない

年間第27主日(B年)の聖書=マルコ10・2~16 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。
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年間第26主日:わたしを信じる小さな者の一人をつまずかせてはいけない

年間第26主日(B年)の聖書=マルコ9・38~43、45、47~48 ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」
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年間第25主日:すべての人に仕える者になりなさい!イエスは弟子に言われた

年間第25主日(B年)の聖書=マルコ9・30~37 〔そのとき、イエスと弟子たち〕一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
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年間第24主日:わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救う

年間第24主日(B年)の聖書=マルコ8・27-35 〔そのとき、〕イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを 何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。
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主の洗礼:「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

主の洗礼(B年)の聖書=マルコ1.7~11 〔そのとき、洗礼者ヨハネは〕こう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
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