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年間第5主日

2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第5主日:イエスの選びは確か。ペトロは、ありのままを差し出した

イエスの選びによる恵みの結果とは言え、ペトロがイエスの呼びかけに自分を開いて委ねた姿勢をも見逃すわけにはいきません。私たちの日常でも同じようにイエスは「呼びかけ」ているのです。自分の限界を知るとともに、ありのままを差し出しましょう。
日曜日の聖書

年間第5主日:彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った

年間第5主日(C年)の聖書=ルカ5・1~10 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。
日曜日の聖書

年間第5主日:イエスはガリラヤ中の会堂に行って宣教し、大勢の人を癒した

年間第5主日(B年)の聖書=マルコ1・29~39 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネもー緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。
2018年/B年説教=神への道標

年間第5主日:自分の弱さ、もろさを直視しながら、人として一歩前へ

今の「わたしらしさ」は何なのでしょう?日本社会という環境に生まれ、育ち、教育を受け、恩恵をいただきながら大きくなり、そして、弱さを持ちながら、間違いながらも託された使命を生きようとしています。いつも振り返りながらその時の自己を直視し、「人間」としてちょっと前へ進みたいですね。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第5主日:イエスの「寄り添う」とは、人々の苦しみを取り除くこと

現実の人間のはかなさを直視していくことにこそ、そして、その上で祈ることにこそ神との真の出会いを感じ取ることができるようになるのでしょうか。そのためにも、他者に「寄り添う」ことを学びたいものです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第5主日:「生きる原型」はプロでありながら限界を知る

ペトロ以下他の弟子たちは、漁師としてプロでした。プロはご自分の限界を知り尽くしています。漁師としては素人のイエスさまに指摘されて素直に網を打ちます。「おことばですから、・・」
日曜日の聖書

年間第5主日:あなたがたは地の塩である。塩に塩気がなくなれば役に立たない

年間第5主日(A年)の福音=マタイ5・13~16 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第5主日:地の塩、世の光となるためには、罪に汚れた自分を素直に認めることから

大事なことは、自己卑下することではなく、罪に汚れた人間のありのままの姿をしっかりと見ることでしょう。それは、自分のエゴイズムとそこからくる欲望の強さが、自分と世の闇を深くしている現実に気付くことでしょう。自分を変えることができるのは、神からの働きかけだけであることに目覚めることではないでしょうか。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第5主日:大事なことは塩気を保ち、光を放ち続けることです

自力によってではなく、受洗によってもたらされたキリストの光に照らされ、導かれている事に気づき、受け止めることです。「わたし」の活動に味わいをつけてくださるのはイエスさまだからです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第5主日:「神の幸福」に与るには自分のみじめさを直視する

自分のみじめさを直視する人にとっては、そこから神に向かう祈りが始まり、神との出会いに到達し、平安と安心を受け取ることができるのです。人びとにとっては幸福なのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第5主日:信仰は超常識。人間の頑張りには限界がある

「信じること」は、一対一の個人的な呼びかけです。それは、「わたし」が生きる具体的なところにおいてです。家庭であり、職場であり、地域の生きる場です。そこでこそ訓練され、身についていく「賭け」の生き方です。
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