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年間第5主日:「生きる原型」はプロでありながら限界を知る

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年間第5主日(C年)の説教=ルカ5.1~10

2016年2月7日

神のぬくもり「男は野球で育つ、女はままごとで育つ」。五百田達成(いおたたつなり)氏の著書の中に見つけました。それによりますと、「男と女の価値観は『野球』と『ままごと』に凝縮されます」とあります。アメリカでコンサルティング会社を経営する女性が、男性と女性の仕事に対する姿勢がどのように違うかについて、目からウロコの解説をしています、というものです。

「男性は(多少の個人差はありつつも)子どものころから野球やサッカーなどのチームスポーツに親しんでいます。そこでは、監督がバントしろと言ったら、文句を言わずにバントをする。・・・歯向かったりはせず、チームが勝てば自分の手柄でなくても大喜びするのがルールです。」

「しかし、女性が子どものころに親しむ遊びの代表は『ままごと』。・・そこには明確な目的もゴールもありません。みんなで楽しく仮想世界をつくり上げる、『協調性』や『共感』が重んじられる世界です」。

こうして大きくなってきた男性、女性にとって、子どものころにかかわったスポーツ、遊びごとから身についた「感性」は、大人になって形を表してくるというのです。ある一人の人の意見を受け入れるかどうかは自由ですが、上述の内容にはなるほどと感じるものがあります。

イエスさまと弟子たちの時代に、「野球・サッカー」があったかどうかわかりませんが、「共同体意識」は確かにあったと感じています。その証拠に、弟子たちは共同体として召されています。イエスさまから一人ひとりが名指しで呼ばれているとはいえ、「使徒団」を形成しています。

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ペトロ以下他の弟子たちは、漁師としての専門家でした。本当のプロでした。いかなる職種の方でも、プロはご自分の限界を知り尽くしています。できるふり、知っているふりができないのです。今日の福音でもこのことがよく表現されていると思います。漁師の専門家であるペトロ以下の弟子たち。漁師としては素人のイエスさまに指摘されて素直に網を打ちます。「おことばですから、・・」この言葉の中に、ペトロのイエスさまへの信仰を感じることができます。人間としての自己の限界を自覚し、イエスさまのすごさを実感し、そして、したがうことを決断します。

ペトロの新しい歩みの出発でした。イエスさまの人間性のその奥を見つめ、目が開かれ、イエスさまと一つとなって自分の命を生き始めるのです。そこには、人としての生きる原型が、・・、それに気づきたいものです。

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