『キリストの聖体(6/7)』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

キリストの聖体:わたしたちは大勢でも一つ、皆が一つのパンを分けて食べる

人が育つための「肥し」になっているのは食べ物であり、飲み物であり、励ましの言葉であったり、他者からの援助の働き・手助けであったりします。敢えて言うまでもないことですが、わたしたちの育ちには、心の育ち、体の育ちがあります。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

三位一体:信じて近づこう!わたしたちの思いと能力をはるかに超えた神の心

三位一体とは神の方からわたしたちに近づき示され、明らかになった真理。そこは人間の「欲」が行きかう隙間もないほどに神の愛で満たされているのです。神の心を受け止め信じる歩みを続けましょう。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

聖霊降臨:「主を見て喜ぶ共同体」に発展することを、いつも目指しましょう

イエスは罪を償ういけにえとして遣わされ、十字架の上で命をささげることによって、人々の罪の赦しが現実となりました。わたしたちの新たな使命は、罪をゆるされた仲間を増やし、共に集まり、その真ん中にイエスがおられる集いを作り続けることでしょう。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

主の昇天:イエスはどこまでも「アナログ」、わたしたちと「共にいる」師です

イエスは「対面教話」しかも、自ら人々に近づいて励まし、癒し、元気づけました。デジタル時代に生きる私たちも直接的な交わりや寄り添いの大切さを忘れてはなりません。イエスは今もわたしたちと共におられる「アナログ」の師です。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

復活節第6主日:「わたし」の「キリスト気質」に目覚める

色々な催事に接するとそれぞれの地域や国の「気質」を感じます。わたしたち信仰者には「信仰者気質」なるものが備わっているはずですが、意識しておられますか?では、「キリスト気質」とは・・・
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

復活節第5主日:試練を経て、一歩前へ、人間の常識を超えた信仰へ

イエスの生涯は、外見では敗北感を匂わせていますが、人間的な常識を超えたイエスの神秘に信仰を求めていきたいものです。つまり、真の信仰は人間の力によるのではなく、神の恵みであり、聖霊の働きによるものであることを・・・
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

復活節第4主日:聞き覚えのある声の方に向かって、歩みを進めよう

弱いわたしたちにとって、安心できる場、安全な場所は、大きく成長するために大事な必要な環境となります。このような環境は、人としての成長においても、信仰の成長においても求められることではないでしょうか。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

復活節第3主日:生きているイエスに出会う「場所」は、普段の生活の現場

「信じる」ということにとって、見たかどうかは大事なことではありません。見ても信じないことはあります。むしろ、「聞く」ことが大切なのです。何を聞くのかといえば神の言葉であり、宣教の言葉です。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

復活節第2主日:イエスが復活したからこそ揺らぐことのない希望と平安が

イエスが復活したからこそ、今のわたしたちは、日々、確かな、揺らぐことのない希望と心の平安をいただくことができるのです。仮に、地上の現実の前に打ちのめされることがあったとしても、イエスを仰ぎ見ましょう。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

受難の主日:

都合により今週はお休みです。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

四旬節第5主日:イエスが全身全霊でわたしたちに示す神の思いとは?

イエスは、ラザロを生き返らせることによって、人の苦しみに無関心ではいられない神の心を人々に示し、神の栄光を現します。死という事実の前にわたしたち人間は無力です。わたしたち人間は死という現実を覆す力を持ち合わせてはいません。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

四旬節第4主日:神の恵みは、自分の弱さのうちに開花します

健康な目に恵まれなかったという現実があるとして、だからこそ、自分の弱さ、もろさ、限界が見えていたのではないでしょうか。だからこそ、真の生命に飢えていたのではないでしょうか。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

四旬節第1主日:誘惑を受けたイエスを、今一度もっと意識してみましょう

きょうの福音では、イエスが、困難をいかにして「試練」にしてしまったかをお示しになっています。一つは、飢えに悩まされるパンに対する。二つめは、神の支えがあるかどうかを確かめたいという誘惑。三つめは、神を無視して自分の繁栄を求めたいという誘惑です。この三つの誘惑は・・・
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

年間第6主日:「わたし」の「表と裏」は同じ、一つです

イエスはすべての悪の根源である、うちなる本能的な欲望に、真正面から立ち向かうことを求めています。自分のうちにある醜い、不条理な欲望を、殺さない限り、いつ、それが形となって外に表れてくるかわかりません。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

年間第3主日:毎日を生きる日常のあちこちで、イエスと出会い、語りたい

わたしたちの日常は、順風満帆ばかりではなさそうです。でも、それを上回るだけのイエスのかかわり、イエスのあわれみを受け取ることができます。そこで求められているのが、心の姿勢です。イエスのあわれみを受け取るための姿勢とは・・・
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

年間第2主日:誰に出会うかで幸不幸、喜びや悲しみが決定づけられる

きょうの福音書は、洗礼者ヨハネが自分の弟子たちにイエスの正体をあかし、宣言するお話です。ヨハネの弟子たちは、ヨハネによって教えられ、導かれてイエスに出会い、その後についていき、最後にはイエスの弟子になっていきます。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

待降節第4主日:

待降節第4主日(A年)の福音=マタイ1・18~242025年12月21日.先週に続き今回までお休みをいただきます。待降節第4主日【12月21日】の聖書はこちら
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

待降節第3主日:

待降節第3主日(A年)の説教=マタイ11・2~112025年12月14日都合により今週はお休みです。待降節第3主日【12月14日】の聖書はこちら
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

待降節第2主日:望みのないとき、ところにも一すじの希望が…

人間の世界では、備えが完璧、十分であるということはないでしょうが、神の前では、神ご自身が十分に備えてくださいます。身を任せることの重要さ、そして、ありがたさを分かればこの上ないですね。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

待降節第1主日:「待つ」ことの大切さ、重さをしっかりと学びたい

わたしたちは何をするかといえば、じっとその時を「待つ」ことです。これが待降節を過ごす課題ともいえるものです。別の言い方をすれば、キリストの降誕を祝う者は、キリストの再臨を待ち望みながら生きてゆきます。