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2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

2021年/B年説教=新しいいのちの輝き 2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

カトリック典礼暦年2021年(2020年11月~2021年11月)は、主にマルコ福音書が朗読されるB年。

イエスは、いつも人間の悲しさ、さびしさに心を向けられ、そして、その醜さのすべてを見ぬき、わたしたち一人ひとりの心にしみとおる温かな恵みを注いでくれます。
ただ、わたしたちに求められるのは、信頼のうちに、自らをイエスの前にさらけ出す勇気です。その勇気が、絶えず「新しいいのちの輝き」をもたらしてくれます。
いつも、イエスは「わたし」の味方です!!
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

王であるキリスト:妥協の世界に生きる「わたし」に、働きかける「まことの霊」

完璧とはいかないまでも、「まことの神」に出合うことはできます。その時、救われた「わたし」の姿に出合えるのでは。「真理の霊」が一人ひとりに働いてくれているからです。このことをイエスは証ししたいのです。
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年間第33主日:「その時」の唯一の救いの道⇒謙虚に満ちた神への信頼

わたしたちに求められているのは何でしょうか?それは、神のあわれみに対する「謙虚な信頼の心」を豊かにすることです。イエスはわたしたちをお招きになっているのですから、「その時」になって、思いを翻すはずはないのです。
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年間第32主日:主よ!どうすれば良いのですか?日々、導いてください

イエスのような人は、他者を見る心も、外見もさることながら、もっと内面に注目します。イエスは、みすぼらしいやもめの心を、さい銭の乏しい額に見るのです。乏しい額でも、やもめがすべてを神に捧げているその心を読みとるのです。
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年間第31主日:神は一人ひとりを愛している。だから、互いを大切にする

一人ひとりの人間の中には神のかたどり、その姿が込められています。人はみな、一人ひとり神から大切にされています。だから、お互いを大切にするのは当然のこと。わたしたちも、自分が尊敬する人が袖にされると嫌な思いになりますよね。
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年間第30主日:「わたし」に向けられているイエスの優しさに触れ、感じたい

今のわたしたちに必要なことは、自らの醜さと穢れをイエスの前にさらけ出すことです。盲人が勇気を出してイエスの前に自分を見せたのと同じように。その背景にあったのは、彼の「信頼と勇気」です。
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年間第29主日:神を求める心をノーベル賞受賞者の「好奇心」に倣いたい

あのノーベル賞受賞者が「好奇心」の向く先を追い求めたように、わたしたちも信仰と神への、それがわずかであっても、感じている「好奇心」を見つめることから始め、そして膨らませていきましょう。それは何、・・・?
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年間第28主日:神を知る人、知らない人、双方に共通する難敵は「生ぬるさ」

聖書に登場する金持ちは最後の「詰め」がどうしてもルーズ。しかし、彼らは決して神を否定し、享楽的に生きる人たちではない。イエスによると「神への信頼」ができない人たちだったということになるのでしょう。
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年間第27主日:全ての良しは「神に似せて創られたわたし」の始まりに

「わたし」は神に似せて創られています。だからこそ、弱点だらけの「わたし」でも、自分の原点に戻って前に進むことができます。「始まり(原点)」は、やはり大事であるということではないでしょうか。
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年間第26主日:イエスの「気の置けない」弟子、友になっているでしょうか

わたしたちが目指す姿は、家族仲良く、全人類が平和の裡に助け合い、補い合って共に前に進んで行くこと。それは、相手の救いを中心にした姿であり、さらに発展していきます。「気の置けない」仲間との分かち合いであり、その報いはいつの間にか自分の救いにつながっているのです。
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年間第25主日:「作り物」を脱ぎ捨てた「わたし」の魅力は何だろう?

下手につくられた笑いは単なる「作り笑い」で終わります。その人のありのままの笑いだと「笑顔」になります。自分のメッキを削ぎ落として生の自分を直視し、そのままを受け止め、イエスに向かってさらなる歩みを続けましょう。
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年間第24主日:イエスは問い続けている「わたしを何者だというのか」

コロナ禍にある今、学生が「私は何者」と自らに問うて、自ら答えようとしている姿に、神からの「わたしたち」への語りかけが含まれているように思えます。果たしてそれは、・・。
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年間第23主日:「苦しい時の神頼み」は神を感じる第一歩

神さまにはお願いばかりが多いのは、それだけ苦しいことが多いということでしょうが、感謝することも多くありたいもの。それにしても、神さまにお世話になっていると感じているのでしょうか。人への「義理」は敏感ですが、神への「義理」(?)はどうなっていますか。
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年間第22主日:「決まり事」には限界がある。絶えず本筋を見つめる努力を

「決まり事」はなくてはいけません。が、しかし、それは人がより良く、安心して、「人間らしく」生きるためにあるものでしょう。それに逆に縛られてしまっては「本来の姿」が覆い隠されてしまいます。絶えず振り返り、本筋に戻ることに勇気を持ち続けたいものです。
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年間第21主日:過去を追憶するだけでなく、今に生かし未来に繋ぐ信仰を

過去の歴史的な出来事を、過去として終わらせるのではなく、「今」につながっている伝承、出来事として追憶することが大事。わたしたちの信仰も今の世相の中で育ち、豊かになっていきます。そして、後世に繋いでいくことになるのでしょう。
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聖母の被昇天:神の登場は、日々の「わたし」の身辺に起きている

この世では相対的な価値基準が基本です。だから、絶えず失敗が続きます。でも、人には神を希求する力も与えられています。それに気づきたいですね。そのきっかけは、日頃の身近な自分の周りにばらまかれています。
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年間第19主日:ユダヤ人はイエスのことばを理解できず去った。あなたは?

ユダヤ人たちがイエスに求めていたのはこの世的な外圧からの救いでした。「食べて飲んで」イエスと一致すること、ここに価値があるということをイエスは教えられますが、彼らの受け止めは浅いままで終わりました。
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年間第18主日:「つぶやき」「不平」の元は、実は自分自身の中にある

「朽ちることのないパン」に対してわたしたちが受け止めている中味はどんなものですか。神を信じていることへのわたしたちの「つぶやき」「不平」の大きさはどうですか。信仰の中心にある「朽ちないパン」の重要さを今一度、振り返ってみましょう。
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年間第17主日:身の回りに起きる奇跡・しるしの中に何を見ますか

今もなお、わたしたちの周りで「奇跡」は起きています。その中に、己を手放す価値ある神からのメッセージを見抜けるか、読み取れるか、神との繋がりの「密」を切に願い、祈りましょう。
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年間第16主日:神の思いと導きにあやかる「わたしの時」を見つけたい

車にガソリンを入れるステーションがあるように、エネルギー補給のためにわたしたち人間も中休みする必要があります。要は、そのタイミングです。もともとの養い主である神の思いに触れ、その導きをいただける「わたしの時」を見つけるのが大事です。
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年間第15主日:イエスが弟子たちを2人一組で派遣したワケを探りたい

一人ひとりが持っている個性を自らが十分知ったうえで、「百人百様」の聞き手に、「百人百様」のみことばの奉仕者に。「私は私、人は人」ですが、これらが複数形「わたしたち」になることが、目指す宣教者の姿なのでは・・・。
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