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年間第16主日:神の思いと導きにあやかる「わたしの時」を見つけたい

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年間第16主日(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

年間第16主日(B年)の説教=マルコ6・30~34

2021年7月18日

3人の子育て奮闘中の母親の悩み相談に…

 「夫と娘3人の5人暮らしです。夫は仕事が忙しく、夜中の帰宅や休日出勤もしばしば。子どもと過ごす時間はほとんどありません。上の娘2人は発達に気になる点があり、手が掛かります。加えて3女はイヤイヤ期の“魔の2歳児”。私は専業主婦ですが、家事のほかは自分の時間を娘たちに3等分している状態で、精神的にギリギリです。たまに息抜きできる程度に余裕を持ちたいです」と30代のお母さんが373相談室にご相談なさっています。(南日本新聞2021年7月11日朝刊)

このニュースを見て「お母さん気張れ!」と言いたくなりました。このように子育てに奮闘しているお母さんが、やはりいらっしゃるんだ(?)と納得させられたのです。なりふりかまわず、がむしゃらに子育てに邁進しているお母さんの姿です。

いつ頃でしたか、かつて、こうしたお母さん方の働きを、お金に換算したらいくらになるんだろうと思った時がありました。その時は、あの手この手を使って引き出した金額でしたが、その当時でも(約50年前)、びっくりするような多額の日給金額でした。

お金の話は別にして、人が生活している現場では、人と交わりがあるから問題が起きます。しかし、その解決に当たっても人がその糸口を提供してくれます。結局、わたしたちはいつも人を求め、癒され、励まされるのです。

少しでも、自分の時間を作ってください!

「精神的にギリギリ」のお母さんの言い分に答えているのは、落語家の林家彦いち師匠です。「子どもは夫婦で育てることが前提です。とはいえそれぞれのご家庭での都合、時間の分担などさまざまです。・・・忙しくても伴侶の理解があるかどうかで、気の持ちようが変わります」と答えます。そして「家庭は大事ですがあなた自身も大切にしなければいけません。・・できれば1日、いや半日でも数時間でもお子さまを預けて自分の時間を作ってください。・・一人の時間をつくるのです。このままではあなたが壊れてしまう可能性があります。自分の時間は好きなものを食べたり、奮発してエステに行ったりして、自分のためだけに時間とお金を使って解放するのです」とアドバイスしています。

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自分を見失うほどに疲れ切ってしまうことは、逆に、疲労感をもっと増大させてしまいます。つまり、新たな「疲れ」を引き起こしてしまうのです。わたしたちも日常、二進も三進もいかない時って、疲労感が絶頂に達していませんか。いや、そう感じることによって、さらにどっと疲れてしまうということです。なんとなく、だるくなってきます。挙句の果てには、茫然自失になり、自らを見失っていきます。よくある体験です。

自画自賛の誘惑や自失克服のためにも必要

きょうの福音書は、宣教活動から戻ってきた弟子たちの姿を語っています。大成功を収めて戻ってきたことでしょう。人間が陥りやすい境地、自画自賛の心情は、時には慢心と化して、途端に人となりまでもが変質してしまいます。

人々は、弟子たちの語りを通して知らされたイエスの教えに酔いしれているのである、ことを片時も忘れてはいけないんでしょう、と分かっていても、・・。確かに、弟子たちの人間的な魅力も、大きな力になっていることはあっても、メッセージの中心はイエス自身です。でも、こうした誘惑は、今のわたしたちにも同じように言えることです。一人ひとりがいただいているタレントは、人を引きつける大きな「武器」です。これだって神からの恵みです。神の関与なしには語ることができないのです。原点に戻ることによって、自らを律していくことができます。紆余曲折を経て、・・。これが、わたしたちの現実的な歩みなのではないでしょうか。

イエスの思いもそこにあったと思われます。戻ってきた弟子たちのもとに群衆がひっきりなしに集まり、その対応に迫られる中で、自分でも自覚しないままに、「霊性」の貧しさに引きずり込まれていくのです。弟子たちの場合は、宣教が成功の裡に終わったことに酔いしれて自らを失っていくのに対し、その逆もあり得るのです。人間の場合はこの在り方が普通で、多いのではないでしょうか?「子育て」奮闘中のあのお母さんの場合は、まさしく後者のあり方による「自失」状態ということができます。

自分を見つめることで見えてくるものとは

いずれの場合も、「人里離れたところで一人だけの時間」を持つように、とイエスは弟子たちを、そしてわたしたちをも送りだします。思う存分自分を見つめ、神と対峙してみるのです。自分にこびり付いた社会のしがらみ、騒々しさから解放され、それらが自分の視界から消え去ったときに、そこに見えるものは何でしょうか。「わたし」の人生にこびり付いている要らぬ「殻」を剝ぎ取ったそこにあるものは果たしてなんでしょうか。

こうしてわたしたちは自分を取り戻します。わたしたちは「世間」の中で鍛錬され、成長の歩みを刻んでいきます。車にガソリンを入れるステーションがあるように、エネルギー補給のためにわたしたち人間も中休みする必要があります。要は、そのタイミングです。もともとの養い主である神の思いに触れ、その導きをいただける「わたしの時」を見つけるのが大事です。

これが宣教活動の秘訣なんだということを、今日の福音でイエスはわたしたちに示しています。あのお母さんにも是非見つけてほしいです。

それはいつ?・・「わたし」のステーションは「祈り」です。

 

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