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2020年/A年説教=応えていますか、いつも

2020年/A年説教=応えていますか、いつも 2020年/A年説教=応えていますか、いつも

カトリック典礼暦年2020年(2019年12月~2020年11月)は、主にマタイ福音書が朗読されるA年。

今年の年間テーマは「応えていますか、いつも」です。わたしたちは、毎日、神からの呼びかけ、励まし、助けなどの刺激を受けています。その神からの誘いかけに「反応」しているのでしょうか。反応の仕方にもいろいろあるでしょう。どの反応でもいい。以前よりは少しでも反応の仕方に「敏感」になっていくことを願っています。(Fr.YASU)

2020年/A年説教=応えていますか、いつも

受難の主日:今起こっているできごとの中で、イエスの受難を黙想したい

来る聖週間の典礼を通して、神のわたしたちへの関りをじっくりと見つめてみませんか。神にしていただいたあの事、この事、たくさんあるのではないでしょうか。その時の神からのメッセージは何だったのでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

王であるキリスト:神は「わたし」の決定的な時に、なにをどう評価する

イエスは「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」といわれます。これは日常生活のごく普通の人間関係の中で、何気なくやっていることです。
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年間第33主日:「わたし」をよく知ることが、遠大な奉仕へと繋っている

人は、その決定的な最後の時に、神にいただいた能力をいかに活用したのかが問われるとイエスは言われます。神とマンツーマンの出会いです。その時の重大さを「わたし」は日々感じているでしょうか。
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待降節第4主日:ヨセフの生き方の中心にはいつも神がいた!私たちは?

わたしたちは神を身近に感じながらも、神をあえて遠くに置いているのではないでしょうか。自分の都合に合わせて、身の程知らずに、神を操って(?)いないでしょうか。
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年間第32主日:決定的な未来の時に備えよう!神と人との繋がりを基本に

自分の周りにいるあらゆる方々から学び、教わり合いながら、新たな「自分」を目指しましょう。決定的な時の重みを感じるときに、変化が起こり、新たな歩みが始まるのではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

諸聖人:普通の人だった聖人たち、だからもっと交わって、さらなる成長を

私たちがまず尊敬すべき聖人は、霊名の聖人でしょう。そのためには、少なくとも聖人の生涯を知っておくべきです。そして、その取り次を願い、交わり、日々の通常生活の中で、その手本に倣うことが大切ではないでしょうか。
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年間第30主日:強制ではなく自ずと湧いてくる有難さの表れが「愛の掟」

イスラエルの民は「出エジプト」という出来事に、神への愛の根拠がありますが、今のわたしたちにとっては、イエスの十字架の贖いという普遍的な根拠があるのです。イスラエルの民同様に、神からの一方的な恵みの賜物です。
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年間第29主日:日々、自分の力だけに頼っていませんか

「神のものは神に」とは、わたしたち一人ひとりのこの世の人生は、神を無視し自分の力に頼るのではなく、神の愛による力、恵みによるものであるという真実に目覚め、神に感謝することなのです。
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年間第28主日:ミサへの参加が、生きた「天国」の体験となるように!

ミサにあずかり、神の恵みの席に招かれたとしても、「礼服」つまり、真実の回心を伴っていなければ、単なる形式、儀式でしかありません。「外の暗闇に放り出されて」しまいます。ミサへの参加は目に見えるそのチャンスのときです。
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年間第27主日:わたしの回心を妨げているもの、それは自分自身の中に

表面をいくらつくろってみても、また、駆け引きで面子が保てたとしても、所詮、利己的な己の世界を脱することはできません。権威と地位に胡坐をかくことなく、自分の、今置かれている立場を振り返って見つめましょう。
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年間第26主日:信仰者の「良心」は、素朴な「業」の繰り返しの中に

信仰者としての「良心」の育ちも繰り返しが大事なのでしょう。だから、「信じる心」が根付くために、素朴な、単純な「業」(信心業)の繰り返しを大事にしたいですね。
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年間第25主日:神は人のみじめさに敏感、神の秤は人に対するあわれみ

神は人間のみじめさに反応してくださる方です。罪を犯す人間のみじめさに敏感になってくださる方です。人間は自己本位の楽しみだけにとらわれがちですが、神はわたしたちを見捨て置き出来ないのです。神のはかりは「あわれみ」なのです。
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年間第24主日:日常に生きている「わたし」の中に育つイエスの心

「やさしさ」は、日常の生活から離れて何か特別なステージを設け、体験しなければ得られないものではありません。通常のごく日常的なできごとの中でこそ味わい、得ることのできる心です。
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年間第23主日:一粒の砂のようであっても、神は「わたし」を気にかける

わたしたちの共同体(教会)は、イエスが中心にいる集いです。どんな小さな一人でも滅びることがないようにと願う神の思いが実現されるために、わたしたちは悔い改めを必要としている人への働きかけを、今日もするように求められています。
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年間第22主日:イエスの十字架は、人間には納得がいかなくとも、神の愛

「真に召された者」にならない限り、人の思いが神の思いと融合することはないでしょう。ペトロたちは神の愛によって十字架の価値を理解し、それを生きるように変えられました。私たちも神の愛によって変えられるようイエスと語り合い(祈り)、その語りを聴きましょう。
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年間第21主日:良さと悪さを併せ持つ「わたし」に勧める、それでも!

わたしたちは聖と俗、表と裏、強さと弱さを併せ持ちながら信じています。だからこそ、弟子たちがそうであったように、神の恵み、聖霊の助けが必要なのです。神の支えがなければ「わたしの生」はない---このことを伝えていくことが、信仰宣言であり宣教活動ではないでしょうか。
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年間第20主日:日々の苦しみの中で、「我が信仰」を見出せますか?

わたしたちも、カナンの女と同じような苦しみの真っ只中に置かれることがしばしばあります。誘惑なのか試練なのか、わかりません。その時でてくる思い、言葉は何でしょうか。確たる神への信頼のもとに出てくる「叫び」でしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第19主日:信仰は、失敗を含む日常の営みの中で強く育っていく

信仰は、人を不安と恐れから解放してくれます。しかし、それは現実の「嵐」の中で試され、鍛えられてこそ。「嵐」の中で、目をそらさず神を見ているでしょうか。何度も失敗し、躓き倒れながらも、最後は立ち上がっていくことで「わたしの信仰」は育っていきます。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第18主日:「あなたがたが与えなさい」は現在の我々も求められている

イエスは、弟子たちに「あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」といわれます。今のわたしたちも同じように言われています。大群衆に食べ物を与えるなんて…どうしたらできるでしょうか?それは、イエスに頼るのです。イエスから、もっと光と力を引き出す弟子となることで…
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年間第17主日:イエスを知らない人への、キリスト者の奉仕の中身は・・

イエスが、我が人生に決定的な変化を持つものであることに気づけば、なにがなんでも放しはしないでしょう。多くの方に気づいてもらうために、イエスを伝えるわたしたちキリスト者の奉仕と責任はどこにあるのでしょう。
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