年間第19主日

日曜日の聖書

年間第19主日:このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。

年間第19主日(B年)の聖書=ヨハネ6・41~51 〔そのとき、〕ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。
2018年/B年説教=神への道標

年間第19主日:神の引き寄せに気付くことができる「わたしの心」とは?

今日の福音書では、イエスさまとの出会いが信じるに足るものになるのか、ならないかは「心のあり方」に負うところが大きい!ということが示されているのではないでしょうか。
日曜日の聖書

年間第19主日:イエスはペトロに「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

年間第19主日(A年)の福音(マタイ14・22~33)それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第19主日:自らについてまわる弱さの奥にある居心地のいい場とは

「人生のあらし」に圧倒されて、神から目をそらしたくなる、そのような体験を重ねつつ盤石な「自分」をめざせるように、力と勇気を願いましょう。いつも生き方の奥にあるのは、居心地のいい「家庭」環境です。親も子も、大人も子どもも、穏やかに伸び伸びと育っていきますように。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第19主日:常識の世界にとどまり続けると、信じることは難しい

イエスさまは、決して強制的に引き寄せることはなさいません。イエスさまの話は「むずかしい」だけで終わるのではなく、自分はどうありたいのかを熟考するに値する時です。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第19主日:神が付加価値を与えて下さる。神に希望をおきなさい。

日常性の中で、いつ、どのようなことで神の関与を感じているでしょうか。神がすべてであるという実感をどのように表現しているのでしょう。それができた時に、確実にイエスさまの、福音の証人となることができるのでしょう。
日曜日の聖書

年間第19主日:常に用意していなさい。人の子は思いがけない時に来る

年間第19主日(C年)の聖書=ルカ12・32~48 イエスは弟子たちに言われた。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。自分の持ち物を売り払って施しなさい。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第19主日:イエスが弟子たちに求めた生き方は、「神がすべて!」

イエスの弟子の生き方は、「神がすべてである」ということです。一方、私たちは「お金がすべてであり、地位、高学歴が第一である」という社会の流れを断ち切ることが、まず大事な作業になるのでしょうか。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第19主日:何度躓いても、新たな一歩を踏み出す努力が大事

ペトロのことば、「主よ、助けてください」は、葛藤しながらも、不安が、恐れが消えてしまっていないペトロの姿を示しています。それでも、神の方に目を向けようとする努力の繰り返しが大事です。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第19主日:人は弱く脆く迷い傷つき易いが、それもよい!

弟子たちもそれこそ、失敗を繰り返しながらも、最期はイエスさまのためにその命をささげるまでにいたったのでした。わたしたちも、どろどろした人生ながらも、迷いをかんじる生き方の中で成長していきましょう。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第19主日:とんでもない馬鹿げた話を思い巡らすゆとりを

弟子たちは「思いめぐらし」ながら、イエスさまの証人としての成長を遂げていきます。走りっぱなしでは疲れ果てます。急ぎ足ながら、じっくりと歩み続けましょう。