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年間第19主日:信仰は、失敗を含む日常の営みの中で強く育っていく

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年間第19主日(A年)の説教

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

年間第19主日(A年)の説教マタイ14・22~33

2020年8月9日

日本列島もやっと梅雨が明け、真夏の暑い季節に入りました。特に、子どもたちにとって、今年は例年になく厄介な「新型コロナウイルス」に悩まされる夏休みになってしまいました。わたしの身近にいる小学生の保護者に伺いますと、親子でする宿題が、いつもよりたくさん出されたといって嘆いていましたが、・・。これでは夏休みの楽しさも、もっと減少でしょうか?

毎年暑い夏が来ますと、同時に、戦争を考えさせられる時期でもあるんだなと思います。終戦から75年を経た今年、時間の経過とともに、戦争体験者の話を聞くことが難しくなってきました。しかし、戦争を考えなければいけない夏は、これからも続けられていくことになります。それは、戦争をするためではなく平和な世界を、日常を築くための摸索です。

精神科医・加賀乙彦さんの戦争体験から

作家で精神科医の加賀乙彦さん(91歳)が戦争体験を語っています。(讀賣新聞西部本社、2020年8月3日朝刊)

「『どうせ軍隊に行くなら早いほうがいい』と両親に勧められ、43年、よく知らないまま名古屋陸軍幼年学校に進みました。はじめからなんか嫌でしたね。まだ14歳の少年に、全寮制の将校養成所は連日、『お前たちは、天皇様のためにいのちを捧げよ』と、『名誉の戦死』を叩き込んだからです」

と当時を語っておられます。

「午前の仏語、国語など『学科』は楽しかったけど、都会育ちの僕には軍事教練や柔剣道をする午後の『術科』はつらかった」

とも語っています。

そして迎えた1945年8月15日。

「よく晴れた、風のない、なんとも嫌な感じの蒸し暑い日でした。」

天皇陛下の玉音放送を正装で聞いたそうです。

「翌16日だったか、宮城(きゅうじょう)で将校が自決したという情報が流れてきて、『我々も続くべきだ』という生徒もいましたが、しばらくするとそうした声は消えていきました。人間って、こんなに変わりやすいものか、と思ったものです」

と述懐しています。

人間らしさは自由の中でこそ発揮できる

加賀さんにとって大ニュースは、新憲法が誕生したことです。1946年11月3日公布、1947年5月3日施行。「『ああ、ついに別世界になった。うれしい』と実感し、嫌なことが多かった幼年学校の記憶が、不思議にもサーッと消えていきました。・・国民が平気で政府の悪口を言える、これが自由です」とそのありがたさを語っています。

いつの時代もそうでしょうが、わたしたちが人間らしさを覚え、より自らを実感し、お互いを配慮できるのは、何といっても、わだかまりのない自由さの中ではないんでしょうか。「自由」とはいっても、同じ平和への思いを抱く仲間と秩序ある共同体の営みの中で、お互いが生かされあって育まれていくものだと感じていますが、・・。いわゆる「安心できる」環境が一番ですね。

平和な環境での自分を振り返ってみると

わたしたちの住んでいる日本は、今、戦争のない、平和の裡に生活できている環境にあります。とてもありがたいことです。そして、順調な人生を送っているということもできるのでしょうか。完璧ということはないのでしょうが、・・。しかし、こうした中では、冷静に自らを振り返ることができ、自らの居場所も確認することができます。その上、信仰者として、神の見守り、「わたし」の歩みが神の導きのうちに進められていることを「信じている」ということもできます。

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わたしたちの人生の根底に、天地万物を無から創造された力ある神がおられると信じている人にとって、これほど心強いことはないでしょう。パウロが言う通りです。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か、苦しみか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。‥…死も、命も、天使も、支配する者も、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ8章35~39節)

「わたし」のほうから離さない限り。

嵐が起きると神の世界を見失いがちでは

しかし、現実のわたしたちはどうでしょうか。人生の嵐が起きると、「神の世界」を見失い、不安に満ち満ちた自分の心に対して全くの無力さを感じてしまいます。でも、感じるその前に、右往左往してしまっている「わたし」があるといったほうが正しいのかもしれません。

きょうの福音の船上のペトロたちも、同じような状態に陥っているのではないでしょうか。突然の逆風に煽られ、さすがのプロの船乗りさんも、混乱してしまっているのです。これまで、イエスのおそば近くにいて、どの人々よりもイエスのすばらしさを見聞してきた弟子たちです。イエスの力強さを、身をもって体験してきた弟子たちです。しかし、その「体験」は嵐の前では、乗り越える力となってくれないのでした。人間が人間である限り、信仰者といっても、迷いやすさ、感じやすさ、傷つきやすさ、もろさは、いつまでも付いて回るものです。

信仰は、そもそも不安と恐れから解放してくれる力なのでしょう。しかし、それは現実の「嵐」の中で試され、鍛えられていきます。「嵐」の中で、目をそらさず神を見ているでしょうか。神に懸けているのでしょうか。何度も失敗し、躓き倒れながらも、最後は立ち上がっていくそこに、「わたしの信仰」は育っていくのでしょう。確信を持ち続けたいものです。

戦争が嫌で、幾多の「人生の嵐」を経たのちに、加賀乙彦さんは58歳の時、ご夫婦でカトリックの洗礼を受けるに至ったということです。

 

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