2017年/A年説教=神のふところ

カトリック典礼暦年2017年(2016年11月~2017年11月)は、主にマタイ福音書が朗読されるA年。Fr.YASUさんの今週の説教の年間テーマは「神のふところ」です。

2017年/A年説教=神のふところ

王であるキリスト:日常生活で自然に行っている業を確認し、奉献しよう

普段、何気なくやっていることを通して、日々、わたしたちはイエスさまに出会っているのです。このことに気付きたいものです。「最も小さな者の一人にしたことは、わたしにしたのである」とおっしゃっておられるからです。
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年間第33主日:神の意図を生きる現場でどう読むか!掟との関わりは?

人は神の「意図」を知りながらも、自分の都合を優先してしまいがちです。掟や形を守ることだけに終始し、その掟の意図を見誤ると、偏った生き方、人間となりかねません。頂いた能力をフルに生かしながら、神の意図にそって、絶えず前に進み続けましょう。
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年間第32主日:「今」の現実に魅かれながらも、未来の自分に目覚める

人は、未来の、不確かな現実よりも、確かな「今」の現実の方に魅力を感じてしまいます。また、負けてしまいます。ですから、将来の現実がどれだけ重要なのか、そのことをいかに感じるかによって、今の生き方に違いが生じてきます。
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年間第31主日:わたしの「権威」のよりどころはどこにあるでしょう?

「権威」は、その人に託された役割をよりよく奉仕できるように付与されているもの。奉仕のための力、エネルギーです。これが、外面的にはイエスさまの姿でもありました。イエスさまの裏付けがある本物の「権威」を求めていきたいものです。
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年間第30主日:神の恩恵を具体的に自覚して「神の側」に立っているか?

いつの時代も、何事に対しても、その人の「側に立つ」ということは、その人の恩恵に与ったという自覚の大きさに比例します。はたして、大恩ある「神の側」に立っていますか、いませんか、・・。
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年間第29主日:世界はすべて神のもの!という現実に目覚めるべきです

自力に頼ろうとする者は、いずれ崩れ去ります。神のものを神に返すことが、聖なる人への道のりであり、神の恵みへの感謝の道のりでもあります。それぞれの居場所で、地位で、その役割をお互いに見せていきましょう。
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年間第28主日:日々受けている神からの招待に、どのように対応すべきか

福音の中で王からの招きを拒絶する人、礼服を身につけない人に共通することは、品格と賢明さの無さではないでしょうか。私たちは神からの招待を受けています。その招きをお受けできる「わたし」でいるでしょうか?
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年間第27主日:意識改革こそ必要。回心とはより善いものを目指す志です

自分の足りないところ、弱いところを正すことだけが「回心」ではない。より善いことに目覚めていくことが本命だと思います。これまた、大きな「意識改革」ではないでしょうか?
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年間第26主日:心の声を聞いて考え直すことが人間らしく生きる秘訣

今日の福音で注目したい表現があります。兄が「考え直して」畑に行ったという言葉とその思いです。はじめは、束縛されるのが嫌だなと思ったのでしょう。その思いがあって反射的に「ノー」といったのでしょうが、その後、彼の中で落ち着きがなくなったのではないでしょうか。
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年間第25主日:神のなさり方は、常識や人間の思い込みを超える!

神は、みじめで悲しい生き方をしている人間の存在に関心を示し、見ぬ振りができない方なのです。今日も、わたしたち一人ひとりにあわれみ深い神はささやきかけます。「あなたはみじめではありませんよ。さあ、今日も一歩前へ、・・」
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年間第24主日:あわれに思うとは、見て見ぬ振りができない神の心

多くの人が、日常生活を離れた特殊な生活現場で生きているわけではありません。ごく日常的な生活、心がまえの中にこそ、聖なる人になるべき現場があると、今日の福音は示してくれます。
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年間第23主日:罪は罪、事実は事実として宣言する勇気の先にあるのは愛

わたしたちの日常、何気なくしていることは、いつも神の意志との関りの中でやっていることです。一人ひとりがこのことに目覚めていくときに、人からの忠告も進言も、助言も素直に「わたし」の中に入ってくるのではないでしょうか。
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年間第22主日:日常の小さな行いの積み重ねがイエスの十字架に繋がる

わたしたちの日常の小さな愛の行いの積み重ねが、イエスの十字架につながっています。大きいことはできなくても、積み木のように一つひとつ重ねていきたいもの。現代では、この「小さなこと」が見過ごされているのではないでしょうか。
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年間第21主日:欲望に引きずられながら信仰に生きようとする「わたし」

わたしたちにとって大事なことは、「人そのもの」です。問題点ばかりを探しあてたところで、その人の本物に近づくことは難しくなります。わたしたちは、崇高さと煩悩さを兼ね備えた存在です。こうした人間の中に、信仰があり、だから恵みに支えられているのです。
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年間第19主日:自らについてまわる弱さの奥にある居心地のいい場とは

「人生のあらし」に圧倒されて、神から目をそらしたくなる、そのような体験を重ねつつ盤石な「自分」をめざせるように、力と勇気を願いましょう。いつも生き方の奥にあるのは、居心地のいい「家庭」環境です。親も子も、大人も子どもも、穏やかに伸び伸びと育っていきますように。
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年間第20主日:苦悩の中で出会った神の恵みに気付いていますか?

究極に立たされた時の「温かいまなざし、援助の手」は、人間回復に大きな力です。戦争孤児となり、生きるどん底を体験した方、絶望の淵に追いやられていたカナンの女性。苦悩の中で見出した一条の光、それは恵みとの出会い、神との出会いであったのです。信仰を見出すのは「どんな時」でしょう。
2017年/A年説教=神のふところ

主の変容:「イエスは神である」と言う天からの声は聞こえていますか?

主の変容は、イエスさまが「神である」ことの天からの「確認作業」です。だから、日常生活で迷いが生じたり、困難に出会ったりして、どうしたらよいかわからない時、「かれに聞け」という神の声を思い出しましょう。
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年間第17主日:定かでない何かを求めている人は、周りにたくさんいる

隠されている「何か」とは、絶対的な安心感を抱きうる神に向けられている飢え渇きではないでしょうか?マスコミを使い、口コミを通して、尊い志と高い技術を兼ね備えて、イエスさまを伝えていきましょう。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第16主日:外見でなく、人の内側に隠れて生きているその人の心に注目しよう

外見で人を裁かず、むしろ「わたし」自身がイエスさまと出会えているかどうか、じっくりと見つめ、共に温かい雰囲気作りができれば、刈り取る実りの時期に、みんなで喜び合えます。そのための助け合いを求めて生きましょう。
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年間第15主日:私たちの信仰は「人の常識」を超えたところに芽生え育つ

どんなに高貴なもの、優れたものであっても、そのものの使い道、生かし方を知らないとすれば、宝の持ち腐れです。種まきの話では、種そのものは素晴らしい生命力を持っていても、まかれた場所がそれに見合う土地でなければ実らないのです。