2017年説教の年間テーマ「神のふところ」
【神のふところは限りなく大きい】

年間第33主日(A年)の説教=マタイ25・14~30

2017年11月19日

読売新聞が報じたある高校の頭髪に関する規則

  • 頭髪は清潔な印象を与えるよう心がけること
  • ジェルやワックスなど整髪料は使用禁止
  • 特異な髪形やパーマ、洗髪、脱色、エクステ(付け毛)などは禁止
  • ドライヤーやアイロンによる変色も禁止
  • カチューシャ、ヘアバンドなどは禁止
  • 高校生らしくないと判断されるものは不可

(讀賣新聞大阪本社、2017年11月14日朝刊)

ある高校の頭髪についての規則内容が掲載されていました。当然のことながら、わたしが高校生のころとは隔世の感があります。

黒染めを強要された女子生徒が大阪府を提訴

今、大阪府立高3年の女子生徒(18歳)が大阪府に損害賠償を求めた訴訟が波紋を広げています。2015年4月に入学した彼女は、生まれつき茶色い髪なのに学校から黒染めを強要され、精神的苦痛を受けたとして賠償を求めた訴訟です。学校の対応は「人権侵害だ」という声もあれば、「黒染め強要は問題だが、一定の指導は必要」という指摘もあるようです。

女子高生の母親は「髪の色は生まれつき」と説明しましたが、生徒は教員から「その髪の色では登校させられない」と黒く染めるよう指導されたといいます。その教員の指示に従ったものの「不十分」「染めないなら学校にくるな」などと再三言われたのだそうです。授業に加え、修学旅行や文化祭への参加も禁じられたようです。そして、2016年9月から女子生徒は不登校になりました。

「生徒指導」には海外メディアも注目している

「生徒指導」という名の下に行われるこうした出来事に、海外も注目しているようです。海外の主要メディアが今回のケースを取り上げています。ロイター通信は日本の学校について「髪の色や化粧、女子生徒のスカートの長さまで厳しい規則を設けている」と紹介。アメリカ経済誌「フォーブス」の電子版は背景として、「日本社会では調和が求められる」と説明しています。

学校現場の頭髪指導を巡っては訴訟や議論が、各地で絶えないといいます。2005年には宮城県立高校の元女子生徒が、生まれつき栗毛の髪を、教諭に無理やり黒いスプレーで染められるなどしたとして、県に慰謝料などの損害賠償を求めて提訴。県は生徒に謝罪し、解決金を支払って和解が成立したケースもあります。2008年には奈良県生駒市立中学校の女子生徒、2001年から2004年にかけては、香川県丸亀市、京都、松山各市立中学校でも問題が発覚しています。

頭髪指導の意図、目標が分かり難いのでは

この「頭髪指導」はそもそも何のために行われているのでしょうか。その意図、目標を生徒に、しっかりと伝えるべきなのではないかという気がします。単に、「禁止されているから」「そうするように定められているから」だけでは、「指導」という言葉と内容が意味を成さないでしょう。そういう方はいらっしゃらないと思いますが、・・。

今日の福音はよく知られている「タラントンの話」が登場します。

一タラントンを死守した僕は主人に叱られた

今日のイエスさまのお話の主役は、一タラントンを預かったしもべに設定されていると思います。このしもべは、当時、一番無難と考えられていた方法をもって、預かった一タラントンを地中に埋めておきました。主人から預かった大事なお金なので、盗人にあわないように安全策をとったのでした。彼は、そのお金を一タラントンのまま守りとおしたことに大きな誇りをもっていたのです。ところが、逆に主人からおしかりを受ける羽目になりました。不可解です。なんとも不愉快です。

しかし、彼は重大なことを見落としていたといえます。長年仕えた主人の心を見抜けなかったのでした。大失態です。それは、主人がしもべたちにお金を預けた際の狙い、主人自身の「意図」です。しもべは精一杯の用心深さと配慮をもって、大事なお金を死守したのでした。しかしそれは、あくまでも自分自身の立場だけを考慮して行動したにすぎません。

失態の原因は、主人の意図を読めなかったこと

一番目、二番目のしもべたちへの、主人の対応を見ればわかるように、預かったお金を活用して、さらに大きくすることを願っての預け金だったのです。ここに、主人の意図した狙いがあったのです。三番目のしもべは、「あなたが厳しい方で、ご自分で蒔かなかった土地から収穫し、ご自分でふるいにかけなかったものをかき集める方であることを知っています。わたしは怖かったので、あなたのタラントンを土の中に埋めておきました」と弁解します。

掟や形を守ることだけに終始してはならない

わたしたちも注意しないと、同じような錯覚を抱いてしまいます。つまり、神の「意図」を知りながらも、ないがしろにして、自分の都合を優先してしまうのです。おきてや形を守ることだけに終始し、そのおきての意図を見誤ると、偏った生き方、人間となりかねません。禁止すればいい、処罰すればいい、だけでは新たな差別が生じないでしょうか。

わたしたちはみな、それぞれに能力をいただいています。フルに生かしながら、神の意図にそって、絶えず前に進み続けましょう。