カトリック教会の日曜日のミサで朗読される三番目の聖書(福音書)を毎週木曜日の夕方更新。2017年からは第1朗読、第2朗読の掲載も始めました。ページでは主日(日曜日のこと)ごとにそれぞれの福音書に基づいた説教へのリンクもあります。また3年周期のA年、B年、C年を簡単に閲覧できるように工夫しています。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 四旬節第2主日:わたしたちの人生は、その実、神に「与えられた」道
イエスは「与えられた」道を歩んだ最たる方です。イエスを聞き続けましょう。主の変容は、イエスが神の子であることを明らかにするだけでなく、山を下りて宣教という日常へ戻ってゆく弟子たちを励ますための出来事でもありました。わたしたちの人生は、「わたし」のもでありながら、その実、神に「与えられた」道です。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 四旬節第1主日:誘惑を受けたイエスを、今一度もっと意識してみましょう
きょうの福音では、イエスが、困難をいかにして「試練」にしてしまったかをお示しになっています。一つは、飢えに悩まされるパンに対する。二つめは、神の支えがあるかどうかを確かめたいという誘惑。三つめは、神を無視して自分の繁栄を求めたいという誘惑です。この三つの誘惑は・・・
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 年間第6主日:「わたし」の「表と裏」は同じ、一つです
イエスはすべての悪の根源である、うちなる本能的な欲望に、真正面から立ち向かうことを求めています。自分のうちにある醜い、不条理な欲望を、殺さない限り、いつ、それが形となって外に表れてくるかわかりません。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 年間第5主日:神の恵み・聖霊の力に、自らの心を開きましょう
イエスとの関りに生きようとして集まった人は、すでに「地の塩、世の光」なのです。塩味という役割を担い、世の光となるように、すでにいただいている光を輝かすことによって、初めはおぼつかなくても、徐々に成長していく自らを確認したいですね。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 年間第4主日:人間的な力も求めながら、さらに、神に向かう「わたし」
イエスが言いたいことは、幸いな人とは、前半部(3~6節)が示すように圧迫されて苦しんでいてもへこたれない人のことであり、また後半部(7~10節)が示すように、圧迫の中にあっても平和を作り出す人のことです。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 年間第3主日:毎日を生きる日常のあちこちで、イエスと出会い、語りたい
わたしたちの日常は、順風満帆ばかりではなさそうです。でも、それを上回るだけのイエスのかかわり、イエスのあわれみを受け取ることができます。そこで求められているのが、心の姿勢です。イエスのあわれみを受け取るための姿勢とは・・・
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 年間第2主日:誰に出会うかで幸不幸、喜びや悲しみが決定づけられる
きょうの福音書は、洗礼者ヨハネが自分の弟子たちにイエスの正体をあかし、宣言するお話です。ヨハネの弟子たちは、ヨハネによって教えられ、導かれてイエスに出会い、その後についていき、最後にはイエスの弟子になっていきます。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 主の洗礼:イエスは”民の一人として”、神への「義」を示された
今日の福音で、「我々にふさわしいことです」という言葉の「我々」とはだれを指すのか。イエスがヨハネのところにやってきたのは、「彼から洗礼を受けるため」であり、人々も同じ理由から集まってきています。イエスも民の一人としてヨハネの前に現れたといえます。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 待降節第4主日:
待降節第4主日(A年)の福音=マタイ1・18~242025年12月21日.先週に続き今回までお休みをいただきます。待降節第4主日【12月21日】の聖書はこちら
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 待降節第3主日:
待降節第3主日(A年)の説教=マタイ11・2~112025年12月14日都合により今週はお休みです。待降節第3主日【12月14日】の聖書はこちら
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 待降節第2主日:望みのないとき、ところにも一すじの希望が…
人間の世界では、備えが完璧、十分であるということはないでしょうが、神の前では、神ご自身が十分に備えてくださいます。身を任せることの重要さ、そして、ありがたさを分かればこの上ないですね。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される 待降節第1主日:「待つ」ことの大切さ、重さをしっかりと学びたい
わたしたちは何をするかといえば、じっとその時を「待つ」ことです。これが待降節を過ごす課題ともいえるものです。別の言い方をすれば、キリストの降誕を祝う者は、キリストの再臨を待ち望みながら生きてゆきます。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神 王であるキリスト:「わたし」はどちらの「イエス」を選択する?
十字架上のイエスに「メシアなら十字架から降りてこい」という大勢の人々。一方で「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」という犯罪人・・・わたしたちはどちらの側に立つのでしょうか?
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神 年間第33主日:人として、信じる者として「生きる」信条はどこに・・・
きょうの福音では、終末とそれに先立って起こる出来事をテーマとしていますが、「これらのことがすべて起こる前に」と言って、わたしたちを現実に引き戻します。そこは、わたしたちが託され大切な使命を果たす場なのです。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神 ラテラン教会の献堂:新しい神殿(イエス)の中で、わたしたちの叫びと神の恵みが出会う
イエスが強固にまた強引に、ユダヤの人々と対立してまで、神殿のありさまにこだわったのはどうしてだったのでしょうか。エゼキエルが今日の第一朗読で説くように、神殿はすべてのものに命をもたらす神の住まいです。しかし、それは容易に人間の欲望の住まいに堕落してしまいがちです・・・
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神 死者の日:「人の思い」だけに支配される人生にならないように!
きょうの福音からイエスのメッセージを受け止めようとすれば、一つは「人の思い」だけに支配される生き方ではなく、「神の思い」によってわたしたちの歩む道を照らす努力を怠ることのないように・・。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神 年間第30主日:神のみ心に響く祈りは、弱さを知り、神により頼む人の言葉
きょうの福音に登場する二人はその「弱さ」への対処に大きな違いがありました。義人ではなく、罪びとを招くために来られた方は、徴税人こそ神の前に正しい人だと教えられました。神は「自分を便りにする人」ではなく、「神を頼りにする人」を義とされたのです。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神 年間第29主日:キリスト者は、落胆せずに疑うことなく「絶えず祈る」こと
父である神はいつも祈る者から目をそむけることはなさいません。必ず、しかも速やかに祈りを聞き届けてくれます。だからキリスト者は、落胆せずに疑うことなく「絶えず祈る」ようにと教えられます。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神 年間第28主日:真の信仰は、「告白」することにより実る
真の救いは「清くされた」だけでなく、「癒された」ことに気づくこと。奇跡はあくまでも「信仰する」ことの入り口でしかなく、その出来事の奥に「いやす方」の指、力を見て神との交わりに導かれていく。そのことを感じ取りたいです。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神 年間第27主日:人には神の恵みが必要!だから叫ぶ「信仰を増してください」
神は万物の創造者であり、わたしたちは被造物。ですから神とわたしたちとの間には本質的な差があり、わたしたち人間がいかなる努力を重ねたところで神と交わる資格や権利を得ることは出来ないのです。
