2018年/B年説教=神への道標

カトリック典礼暦年2018年(2017年11月~2018年11月)は、主にマルコ福音書が朗読されるB年。Fr.YASUさんの今週の説教の年間テーマは「神への道標」です。

2018年/B年説教=神への道標

王であるキリスト:虚偽と妥協の現実にあっても、キリストの真理を望みたい

人の世界では「言葉」が時として不便な「壁」になることもありますが、神との関係では何の問題もないのです。だからこそ、神とのかかわりを確かめ、追及していきたい。その心こそ、わたしたちに救いをもたらそうとして君臨される王、イエスさまが望まれることではないでしょうか。
2018年/B年説教=神への道標

年間第33主日:救いへの道は今日が大事!神にすがって謙虚に生きよう

一人ひとり、自分が置かれている立場を理解し、受け止め、「謙虚に」生きるように目覚めなさい、とイエスさまは勧めます。自分の立ち位置をしっかりと受け止め、謙虚に神のあわれみに信頼する生き様を貫いてみましょう。
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年間第32主日:真の権威は、各々の日々の生き方の中で培われていく

献金はいいことですが、何も自慢することでもないでしょう、とイエスさまはおっしゃりたいのでしょうか。少なくとも、献金の度に、新たな動機づけをもって捧げたいですね。自分にとって、より有意義なミサ、祈りとなりますように・・・。
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年間第31主日:相手を大切にする心が双方にあれば、お互いが生かされる

「お互いを大切にする心」がお互いにあれば、お互いが生かされていくことになります。生きる出発点が「相手」にある時、希望に満ちた楽しい生き方を、一人ひとりが満喫できるようになります。信仰者の生き甲斐もそこにあるのではないでしょうか。
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年間第30主日: どんな痛み、悲しさにも敏感なイエスに必死に叫ぼう

わたしたちは「必死に叫んでいる」でしょうか。今置かれている現状を訴えているでしょうか。願っても、祈っても埒があかないんじゃどうしようもない、で終わっていないでしょうか。人間の痛みと悲しさに敏感なイエスさまです。新たに勇気をだして、神への信頼心をもって叫び、訴えてみましょう。
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年間第29主日:どんな状況でも、希望をもって歩を前に進める勇気を!

弟子たちも、イエスさまの思いを完ぺきにわがものにして進んできたのではありません。進むうちに、徐々に明らかになってきたのです。要は、歩を前に進めることです。今の自分の姿にがっかりせず、「希望をもって」、前に進む勇気を願い、祈りつつ生きましょう。
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年間第28主日:今の自分に欠けているものは?環境はそっと語りかけている

今のわたしたちの環境はどうでしょう。良いも悪いも、生かしていける創意工夫が、「わたし」の中にあるでしょうか。答えは、日々生きている「日常」現場の中にあります。ノーベル賞の喜びにも、自然被災の悲しみにも、「永遠をめざした」メッセージが、一人ひとりに投げかけられています。
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年間第27主日:すべては基礎から始まり、長い年月を経て実り熟する

ノーベル賞を受賞した医学の「基礎研究」は長い年月の先に、その実りが熟しました。わたしたち自身も、目の前のことだけにとらわれず、「人として、信仰者として」の生き方の基本(自分らしさ)を、しっかりと築き、そのための時をかけたいですね。
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年間第26主日:改革は小さい事から始まる。まずは心と意識の変革が大事

「改革」は、形も大事ですが、先ずは、心、意識の変革から始まるのではないでしょうか。制度をいじるのも結構ですが、いじる人の心はどうなんでしょう。大きな変革は、小さなことから始まります。一滴の水が集まって大海原となります。時をかけて、時を大事に「しもべ」になられたイエスさまについて行きましょう。
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年間第25主日:偉大な人、魅力的な人は、自分の過ちに目をつぶらない

わたしたちの「人間」としての魅力は、神からの裏付けがあって初めて、真の魅力になっていくのでしょう。わたしたちの信仰者としての内面的、外面的な怠慢生活も、もしあるとすれば、正直に見つめ、認めることによって新たな道が開けます。
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年間第24主日:イエスは苦しみと十字架を通して、人間を救うメシア

イエスは順風満帆の人にも、辛さ、苦しみの真っただ中にいる人にとっても、さらなる「希望の光」を見させてくださいます。わたしたちがどのように変わろうとも、神は絶えることなく一人ひとりを支えてくださいます。
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年間第23主日:二千年前の人々の心で「奇跡」を眺め、捉えてみたい

2000年前に生きていた人々の心で「奇跡」を眺め、捉える必要があるでしょう。すると、奇跡の中に込められたメッセージを読み取ることができるのでは・・。イエスさまが歩まれた道のりは、異邦人の地と言われていた町々です。そこの人々に新たな希望をお与えになります。
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年間第22主日:変わるものではなく、変わらないものに目を向けなさい。

イエスさまがおっしゃりたいことは、外に見える部分ではなく、見えない心のうちをよく見なさい、ということです。外部についてまわるものは、その都度変化していくが、心は変わるものではないからだ、と言われます。
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年間第21主日:イエスの人格に惚れ、委ねる。信仰者の生きる姿がそこにある

徹底的に自分を変革したいなら、その人の「人格」にかけることです。委ねることです。「信じている」からこそ理解し、変えられ、納得できる歩みができます。そのような人を、誰でも「尊敬できる人」として持っているのではないでしょうか。
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年間第20主日:「食べる・飲む」それは互いに一つであることのしるし

「イエスの肉を食べる、血を飲む」という表現の中に込められていることは、一人ひとりの生き方がイエスの心に合わさって一つになることが求められている!ということ。イエスの十字架上での死は、わたしたちのためであることをしっかりと自覚しましょう。
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年間第19主日:神の引き寄せに気付くことができる「わたしの心」とは?

今日の福音書では、イエスさまとの出会いが信じるに足るものになるのか、ならないかは「心のあり方」に負うところが大きい!ということが示されているのではないでしょうか。
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年間第18主日:神を信じる道は、既に自分の命の苗床に植えられている

福音は「即効性」を期待し、「自分流」の世界に閉じこもっているユダヤ人が、イエスの真意にたどりつかないお話です。イエスは「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい」と言われます。
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年間第17主日:「任せきる心」がイエスとの真の出会いをもたらす

今日の福音では群衆の「自分本位」が露(あらわ)にされます。イエスさまのねらいに気付くゆとりはありません。表に見えるところで終わっていて、見えないイエスさまの心の部分に届かないのです。
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年間第16主日:「人里離れたところ」そこは活動の始まりの場

人間社会の具体的な施策の背後には、いつもそれを導く「神」がいることを心し、教育の世界で、その他の世界でわたしの「個」を生かしていけるようにあり続けたいです。そのためにも、思う存分休むことは、活動の一部でしょう。
2018年/B年説教=神への道標

年間第15主日:宣教するとは、イエスの生き方を示し、語り継ぐこと

今日の福音から言えることは、「宣教する」とは「イエスさまご自身を伝えること、語ること」であり、イデオロギー、主義を語り継ぐことではない。イエスさまのそばにいることは、宣教のための最強の教育であったということができます。