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年間第17主日:「任せきる心」がイエスとの真の出会いをもたらす

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「神への道標」

2018年説教の年間テーマ「神への道標」

年間第17主日(B年)の説教=ヨハネ6・1~15

2018年7月29日

オスマン・サンコンさんの新聞記事から

かつて、外交官として日本に駐在していたオスマン・サンコンさん(69歳)についてのニュースが掲載されていました。(讀賣新聞大阪本社、2018年7月24日朝刊)

「日本の介護技術 ギニアへ」という介護に関する彼の思いが記されています。彼は1972年、ギニアの外交官として来日。近年は高齢者施設でのボランティア活動などを積極的に行っています。

実は、彼は50歳の時、苦戦しながらも約1年かけてホームヘルパー2級の介護資格を取ったといいます。ベッドメイキングから歩行介助の仕方まで学んだそうです。介護の技術を細かく教える国は珍しいとサンコンさんはいいます。また、日本的だなと感心しているとも。

日本の介護技術を祖国・ギニアで母に実践

そして、ギニアで暮らしているお母さんのために実践したそうです。さらに、介護予防の考え方も伝えたそうです。つまり、「足腰が弱ったからといって、車椅子に乗せっぱなしにしたり、寝かせきりにしたりしてはいけない。手を取って一緒に歩いてほしい」などです。

また、ギニアには日本のように湯につかる習慣がないんですが、血行を良くするようなので、湯船を作り、シャワーだけでなく、入浴するようにしてもらったということです。そのせいか、ギニアでは60歳で亡くなる人も多いのに、お母さんは2005年に86歳でお亡くなりになったということです。

サンコンさんの夢は、日本の介護技術をギニアに広めること、そして、介護を学ぶ場所や、実践できる老人ホームを作りたいとのことです。

加齢とともに体は疲弊、病院通いが増える

人は年を重ね、自ずと病院通いが多くなっていきます。それまで何十年も利用し、しかも、自分の身勝手な都合に合わせて活動してくれた体の機能が、その利用期間の長さに比例して少しずつ疲弊してきたのでしょうか。体に、ご苦労さまでした、ありがとうございました、とお礼を言いたくなります。実際に、そういう思いを抱く年齢に到達しましたね。この年になって、やっと、体の凄さ、ありがたさに気付かされたような気がします。健康を維持するためのさまざまな機能、よく創造されているなと感じ入ります。

医療や介護の技術、設備、薬は進化したが

一度その機能に狂いが生じますと、否応なしに病院通いが始まるのです。今では進んだ医学的治療、薬、設備等もちろんですが、たくさんの医療関係の方々の力をいただいて回復に専念するわけです。

健康回復の大事な要因は、本人の元気になりたい心

先の、サンコンさんの「介護技術」にしましても、今や、医療器材としても立派なものが、また、施設としても便利なものが誕生しています。周囲を取り巻く環境もさることながら、健康回復のための第一要因は、何といっても、ご本人の「心」ではないんでしょうか。元気になりたい、癒されたい、元気な時に戻りたい等、治療する前の大事な要因になってくるような気がします。

ドクターもそのようなことをよくおっしゃいます。サンコンさんのお母様も、介護技術とその精神に驚き、感動して安心しきっていたのではないでしょうか。しかも、自分の息子が自信をもって世話してくれたことにも、心から委ね、任せきっていたのでしょう。

誰でも自分のことは「良かれ」と必死に願う

こと、自分の健康、幸せ、生活等に関係する用件になると、誰でも関心を示します。とにかく、自分にとって「良かれ」と願うものです。ひょっとして無理かもしれないと予想されたとしても、ひたすら「良かれ」と願い、必死に祈り、合掌しています。しかも、それは、あくまでも自分自身が発想し、自分の領域内のできごとに限定されています。他者が置かれている状況には思いも、祈りも及んでいません。同時に、他者の自分への配慮に関しても気づいていないのです。どこまでも自分本位なのです。

対照的に、イエスは周りの人々のために

これとは違ってイエスさまは、自分の周りの人のことを思いつつ、自らの人々へのメッセージを抱きながら行動されます。今日のパン増やしの奇跡の場面では、「ご自分では何をしようとしているかを知っておられた」のです。

この奇跡は他の福音書にも記されていますが、それは、「人びとのあわれな姿」が、ことさら強調されています。ヨハネには、こうした描写はなく、「何をしようとしているのか知っておられた」のです。食べるもののない群衆を前に、パンを与えながら何か別のねらいを持っておられるのがうかがえます。

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ヨハネが、他の福音記者と違って強調しているのは、群衆の奇跡に対する反応です。イエスを王にしようとして、ローマからの解放を指導する者として担ぎ上げようとしていることです。

群衆はイエスと真に出会うチャンスを逃している

群衆の「自分本位」が露(あらわ)にされます。イエスさまのねらいに気付くゆとりはありません。表に見えるところで終わっていて、見えないイエスさまの心の部分に届かないのです。イエスさまとの真の出会いのチャンスを逃してしまったのでした。

サンコンさんのお母さんのあの「任せきった心」を、日々、イエスさまをいただく拝領の時に、燃やし続けることができますように、一つひとつ積み上げていきましょう。

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