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年間第17主日:祈りは存在の限界を知り、神に委託する心で

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年間第17主日(C年)の説教=ルカ11.1~13

2013年7月28日   

寄り添うイエス年老いたご夫婦の姿が目に入りました。ご主人は歩き、その傍らには膝で歩いている(?)奥様がいらっしゃいました。その膝たるや血が滲んでいました。こうした光景は聖なる巡礼地にいきますとしばしば目にします。その度に思うこと、「どんな思いで、何を祈っているのだろうか」と。

何も巡礼地にいかなくとも、わたしたちの周りには、自分自身を含め、祈りを必要としている人、祈っている人、祈りたくても祈れない人等、たくさんいらっしゃいます。祈っている方々を見てみますと、やはり祈る形があるように思います。

誰でも、「祈らなければ、・・・」と思っているのではないでしょうか。少なくとも、日常生活の中で限界をよく覚え、自己に対する自信が持てない人にとっては特にそうだと思ってしまいます。しかし、「自信」はどのようにして持てるのでしょうか。否、自信を持てる人なんて実はいないのです。仮に持てたとしても、次の瞬間、奈落の底に落とされてしまいます。この繰り返しの中で、わたしたちは成長し、変化し、賢明になっていきます。いつも「より良く」ということは望めますが、「絶対に良い」ということはあり得ません。

だから、弟子たちは「祈りを教えてください」とイエスさまに願ったのでした。自分たちの限界をよく知っていたのでしょう。そこに示された「神」は、はるかかなたの遠い存在者としての神ではなく、アッバ・父よ、と身近に感じる存在者としての神です。わたしたち一人ひとりに配慮し、わたしたちの不幸にその心を痛め、そっと手を差し伸べてくださる親しい神の姿でした。

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したがって、今のわたしたちに必要なことは、能力の限界だけでなく、存在しているそのものとしての限界(神の支えなしにはあり得ない)に気付くことでしょう。そして「委託の心」があれば、・・・。

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