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2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光 2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

カトリック典礼暦・2024年(2023年12月~2024年11月)は、主にマルコ福音書が朗読されるB年。

イエス・キリストは、2000年余り前に、わたしたち人間の世界に、「神の独り子」として登場しました。そして、当時の多くの人々に幾多の教えを説き、より人間らしい生き方へとわたしたちを招かれました。当時の人々からは、特に指導者階層のみなからは歓迎されませんでした。がしかし、民衆からは気持ちよく迎えられたのです。そして、イエスの言葉と業に多くの慰めと喜び、希望と救いの力を実感したのです。神の声だったからです。

その「み言葉」は今に受け継がれてきました。わたしたち人間が置かれている現場は、イエスの時代とはかなり違いますが、「み言葉」は今もなおわたしたちへの神からのメッセージであり、喜び希望、さらには救いへの力強い、温かい招きであり、混とんとした複雑な世界にあって、選択肢の多い中、より人間らしく生きる最善の道への神からの光であり、灯なのです。

毎日の営みの中で、神を聞いていますか、感じていますか、そして、神と語っていますか、・・・?

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

三位一体:わたしたちは未完の信仰者。理解するより、信じて託せるかどうか

わたしたちは未完の信仰者です。常にともにおられるイエスを信じて、教えにしたがうとき、「弟子」とされ、宣教活動を通して、より完成へと歩き始めます。自分の信仰の内面を、いつもシンプルに見つめる訓練をしましょう。
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聖霊降臨:「時」は何かを語り、教えてくれる。その中身をしっかりと聴き、心に留めよう

弟子たちは、自らが弱く、卑怯者であり、ずるく醜い存在であることを重々承知し、「祈り」の時が大事であるということもよく知っていました。現代の教会を背負っているわたしたちも同じく弱さ、醜さ等を身に帯びた存在です。弟子たちと同じく、「祈りの時」の必要性を感じているでしょうか。
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主の昇天:世界の嘆き、自分の隣の人の苦しみ・叫びに敏感でありたい

教会は地球上のすべての被造物に対する責任があります。福音を宣べ伝えることは、一人間の信念やイデオロギーを伝えることではありません。イエスを伝えること、それだけです。そのためにも、世界の嘆きと苦しみの叫びをききとれる感性を豊かにしたいものです。
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復活節第6主日:聖霊に信頼し続けながら、イエスが求める隣人愛の極みを求めて

イエスから逃げ去ったあの弟子たちが、純粋な愛に生きることができるようになったのは、聖霊が与えられたからです。 わたしたちも聖霊に信頼しつつ、イエスが求める隣人愛の理想を、日々の努力の目標にしましょう。
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復活節第5主日:「わたし」の罪、醜さを包み込むイエスの心に「今」目覚める

「わたしのうちにとどまっていなさい」という呼びかけは、「わたしに信頼しなさい」という弟子たちへの励ましと招きの言葉でもありました。幹につながっているかぎり、その枝は生き続けることができます。
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復活節第4主日:愛は動詞。真の愛は犠牲を払いつつ、いつも動いている

わたしたち人間にとっては、愛すること、人を大事にすることには、自己犠牲が伴い、苦しく辛いです。自分の思いのままに生きたいと思いつつ、周りに対する配慮も欠かせません。何となくすっきり感がしません。でも、そこにその人の真実の愛が横たわっているのではないでしょうか。
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復活節第3主日:弟子たちを「使徒」にしたもの、それはイエスに出会うこと

十字架にかかったメシアを理解するためには、神によって召される、呼ばれる必要があります。学習するということは、神に呼ばれる状態を自分の中につくっていくことに繋がります。今日の福音では、イエスの弟子は新たな生活に目覚めつつ「使徒」となっていったのです。
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復活節第2主日:押し売りではなく、神からいただいた慈しみを、多くの人に分かち合い

トマスは格好いいことを言ったにもかかわらず、全うできずに落ち込んでしまい、次第に仲間から離れていったのですが、その後いただいている命を精一杯生かして、イエスのよき宣教者としての仕事に従事していくのです。
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復活の主日:イエスの死は、わたしたちを神につなぎとめた

イエスは、自らが死ぬことでわたしたちに近くなったのです。別の言い方をすれば、「神との関係を断つ死を、つなぎとめている」のが、イエスの死です。
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受難の主日:「今」を大事に。「他者」を大事に。生きる本当の意味が訴える

現実に自分の周りで起きる出来事の中に、神の関与、神の助け、神の動き、神の配慮を感じ、その結果として人が行動するなら、それは「証し」になっていきます。百人隊長は、そのことを自然にできたのです。百人隊長が言った言葉「本当に、この人は神の子だった。」を噛み締めましょう。
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四旬節第5主日:イエスの生き方は「自己否定」。わたしたちを生かすために

イエスの生き方は、まさに、他者を生かすために、つまりわたしたちひとりひとりを、神の子にふさわしく生きるようにとの父のご計画だったのです。父の栄光を現すために生きられた一生でした。
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四旬節第4主日:救いは力で勝ち取るものではない!神からの恵みである

天の国は、わたしたち人間の力で勝ち取るものではないということです。それはひたすら神からの恵みなのです。わたしたちは神から愛されているのです。その確信を絶えず思い起こし再確認していくことです。
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四旬節第3主日:イエスにごまかしは効かない!「わたしの伝家の宝刀」は?

イエスにとっておきの宝物は神へのひたむきな情熱です。イエスの武器は、貧しさの中で燃える神への愛、炎、安心できる場です。さて、信仰者であるわたしにとっての「わたしの伝家の宝刀」は果たして何でしょう。
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四旬節第2主日:イエスの生きている世界は「わたし」に近いですか、遠いですか

「これに聞け」というおん父からの指示通り、ペトロはイエスの神秘に目を挙げます。イエスの生き方を学ぶことに専念するよう呼びかけられる中で、ペトロは少しずつ、変えられていきます。日ごろの積み重ねこそが大切です。
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四旬節第1主日:イエスに倣って、四旬節は”信仰を鍛える機会”にしたい

今日の福音は、これから始まるイエス自身の道のりに向かうイエスの意気込みを感じます。霊の導きに身を任せ、人間的な自分を鍛え、ひたすら霊の導きに注目し、従っていく決意が、その行動に現されています。
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年間第6主日:イエスの癒し、救いは、苦しさの中にこそ発見できる

人に相手にされないことほど、さびしいことはありません。体験した人、または今体験している人、いるのではないでしょうか。辛いけど、その寂しさ、苦しさにしっかりと向き合ってみましょう。見続けてみましょう。そこから道が開けます。
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年間第5主日:神から出てきたイエスの使命は、「宣教する」こと。その中で、・・

イエスが来たのは、「宣教する」ためであって、奇跡は手段にすぎません。使命を遂行する中で、新たに力を得、幾多の困難を乗り越えて、救いの実現を成し遂げていかれました。わたしたちも「宣教する」中で力をいただきましょう多くの人々に、み言葉を告げ知らせる使命を受け継いでいます。
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年間第4主日:「汚れた霊の追放」は、イエスの「権威ある教え」の具体例

イエスが教える「神の国の福音」は、イエスその人のうちに実現していて、イエスという存在がすでに「教え」だった。イエスは悪霊の支配を終わらせ、神の国の支配を告げる「神の聖者」。それゆえに、人々はイエスの中に、神の子の神秘を感じ取っていったのです。
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年間第3主日:漁師たちはなぜ、網や家族を捨ててイエスに従ったのか?

イエスからの呼び出し・召命はとりもなおさず「わたし」の生き方の転換です。その本質となるのが神の介入であるとなれば、網や家族を捨てるのが重要ではなく、何かを捨てたくなるほどに神に「見られてしまい、呼ばれた」ということが肝心なことになります。
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年間第2主日:主のみ言葉の伝播は、「わたしの居場所」への招待状

今のわたしたちは、後世に語り継いでいく役割を負っています。「自分の居場所を見つけたもの」として、喜びの分かち合いをしていくのです。多くの人に真の居場所を見つけてほしいからです。自信をもって、力強く、でも、謙虚にお招きしましょう。
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