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2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光 2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

カトリック典礼暦・2024年(2023年12月~2024年11月)は、主にマルコ福音書が朗読されるB年。

イエス・キリストは、2000年余り前に、わたしたち人間の世界に、「神の独り子」として登場しました。そして、当時の多くの人々に幾多の教えを説き、より人間らしい生き方へとわたしたちを招かれました。当時の人々からは、特に指導者階層のみなからは歓迎されませんでした。がしかし、民衆からは気持ちよく迎えられたのです。そして、イエスの言葉と業に多くの慰めと喜び、希望と救いの力を実感したのです。神の声だったからです。

その「み言葉」は今に受け継がれてきました。わたしたち人間が置かれている現場は、イエスの時代とはかなり違いますが、「み言葉」は今もなおわたしたちへの神からのメッセージであり、喜び希望、さらには救いへの力強い、温かい招きであり、混とんとした複雑な世界にあって、選択肢の多い中、より人間らしく生きる最善の道への神からの光であり、灯なのです。

毎日の営みの中で、神を聞いていますか、感じていますか、そして、神と語っていますか、・・・?

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第17主日:行き詰まった時は神の思いに戻り、自分の歩む道を確認したい

言葉とかサインとかは、他者が理解するための助けにはなるでしょうが、時には、誤解を生じることもあり得ます。その時、イエスはどうしたでしょう。「人里離れたところ」に退き、静かにおん父の思いを確認したのでした。
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年間第16主日:日常は大事なことに繋がっている。「休む」ことは無駄ではない

「人里離れたところで休みなさい」というイエスの指示は何を意味するのでしょうか。人の知恵ではなく、神の知恵、神の愛を人々に伝え続けるために、祈りが必要、大切にされなければいけないということです。
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年間第15主日:イエスに呼ばれた者の役割⇒神のことば、思いを人々に伝える

現在のわたしたちも弟子たちと同じく、イエスに呼び寄せられ、養成され、そして遣わされています。時代による変化があるにしても基本的な役割、任務は「神のことば、思い」を多くの人に伝えることです。
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年間第14主日:イエスを追い続ける何かに、忍耐強くこだわってみよう

イエスに対し「驚き」を感じる人がいれば、「つまずく」人もいたのです。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か」と、忍耐強く問い続けることができませんでした。
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年間第13主日:日常の身近な出来事、ふるまいの中にイエスからのメッセージを見る

イエスが示す言動には、明らかに確たる「メッセージが込められて」います。身近に起きる出来事、振る舞いの中に、そのメッセージを読み取ることができれば、わたしたち一人ひとりの生き方に大きな変化がでてくるのではないでしょうか。
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年間第12主日:「わたし流」の信仰伝達の道を求め、実現しよう

イエスは人を、民衆を、弟子たちを相手に神を示されました。それは「イエス流」の見せ方、示し方です。わたしたちも、「私流」の道を求め実現していきましょう。それによって、誰かを神の方へと導く機会となっていきます。
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年間第11主日:人知れず働かれる神に関心を!時には心からの思いを馳せよう

神の働きは人間の目にはかくされています。見えないし、いつも人知れず静かになされるので、神の働きを感覚でとらえ、確かめることはむずかしい。だからこそ、時には神の働きに、思いを馳せてみることは大事だと思います。
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年間第10主日:日常生活の中に働かれる神(聖霊)の介入を気づいているか

イエスが説く神の国は、血脈を中心とする人間関係を終わらせ、まったく新たな関係を作り出しています。人との緊密な関係を求める神は、イエスを通してわたしたちの間に介入されました。今もなおそれは続けられています。
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キリストの聖体:無視されてもなお、わたしたちに留まろうとするイエスの愛

イエスは誤解されっぱなし、その挙句の果てが、十字架刑でした。イエスを擁護する人は誰もいませんでした。それでもなお、イエスはわたしたちの間に留まろうとなさるのです。これがの聖体の制定でした。つまり、一片の白いホスティアです。
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三位一体:わたしたちは未完の信仰者。理解するより、信じて託せるかどうか

わたしたちは未完の信仰者です。常にともにおられるイエスを信じて、教えにしたがうとき、「弟子」とされ、宣教活動を通して、より完成へと歩き始めます。自分の信仰の内面を、いつもシンプルに見つめる訓練をしましょう。
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聖霊降臨:「時」は何かを語り、教えてくれる。その中身をしっかりと聴き、心に留めよう

弟子たちは、自らが弱く、卑怯者であり、ずるく醜い存在であることを重々承知し、「祈り」の時が大事であるということもよく知っていました。現代の教会を背負っているわたしたちも同じく弱さ、醜さ等を身に帯びた存在です。弟子たちと同じく、「祈りの時」の必要性を感じているでしょうか。
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主の昇天:世界の嘆き、自分の隣の人の苦しみ・叫びに敏感でありたい

教会は地球上のすべての被造物に対する責任があります。福音を宣べ伝えることは、一人間の信念やイデオロギーを伝えることではありません。イエスを伝えること、それだけです。そのためにも、世界の嘆きと苦しみの叫びをききとれる感性を豊かにしたいものです。
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復活節第6主日:聖霊に信頼し続けながら、イエスが求める隣人愛の極みを求めて

イエスから逃げ去ったあの弟子たちが、純粋な愛に生きることができるようになったのは、聖霊が与えられたからです。 わたしたちも聖霊に信頼しつつ、イエスが求める隣人愛の理想を、日々の努力の目標にしましょう。
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復活節第5主日:「わたし」の罪、醜さを包み込むイエスの心に「今」目覚める

「わたしのうちにとどまっていなさい」という呼びかけは、「わたしに信頼しなさい」という弟子たちへの励ましと招きの言葉でもありました。幹につながっているかぎり、その枝は生き続けることができます。
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復活節第4主日:愛は動詞。真の愛は犠牲を払いつつ、いつも動いている

わたしたち人間にとっては、愛すること、人を大事にすることには、自己犠牲が伴い、苦しく辛いです。自分の思いのままに生きたいと思いつつ、周りに対する配慮も欠かせません。何となくすっきり感がしません。でも、そこにその人の真実の愛が横たわっているのではないでしょうか。
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復活節第3主日:弟子たちを「使徒」にしたもの、それはイエスに出会うこと

十字架にかかったメシアを理解するためには、神によって召される、呼ばれる必要があります。学習するということは、神に呼ばれる状態を自分の中につくっていくことに繋がります。今日の福音では、イエスの弟子は新たな生活に目覚めつつ「使徒」となっていったのです。
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復活節第2主日:押し売りではなく、神からいただいた慈しみを、多くの人に分かち合い

トマスは格好いいことを言ったにもかかわらず、全うできずに落ち込んでしまい、次第に仲間から離れていったのですが、その後いただいている命を精一杯生かして、イエスのよき宣教者としての仕事に従事していくのです。
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復活の主日:イエスの死は、わたしたちを神につなぎとめた

イエスは、自らが死ぬことでわたしたちに近くなったのです。別の言い方をすれば、「神との関係を断つ死を、つなぎとめている」のが、イエスの死です。
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受難の主日:「今」を大事に。「他者」を大事に。生きる本当の意味が訴える

現実に自分の周りで起きる出来事の中に、神の関与、神の助け、神の動き、神の配慮を感じ、その結果として人が行動するなら、それは「証し」になっていきます。百人隊長は、そのことを自然にできたのです。百人隊長が言った言葉「本当に、この人は神の子だった。」を噛み締めましょう。
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四旬節第5主日:イエスの生き方は「自己否定」。わたしたちを生かすために

イエスの生き方は、まさに、他者を生かすために、つまりわたしたちひとりひとりを、神の子にふさわしく生きるようにとの父のご計画だったのです。父の栄光を現すために生きられた一生でした。
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