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キリストの聖体

2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

キリストの聖体:聖体はイエスの救いの業を伝える神の愛の深いしるし

聖体の秘跡を制定されたのは、神は人が滅びるのを望まれないからです。神のみことばであるイエスは、自身の「血と肉」を差し出すことによって、信じる者の中に「いのち」を実現させるのです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

キリストの聖体:聖体を定めたイエスの思い⇒愛の結晶。その思いに近づきたい

ご聖体は、地上のいっさいの罪をその身に受け取り、つつみこんでしまわれたイエスのわたしたちへの愛の結晶です。したがって、聖体をいただくたびに、わたしたちは、イエスを十字架に追いやった罪を悔い、そして、その罪をはるかに超えた主の愛の恵みをいただくことができます。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

キリストの聖体:神の愛をどこまでも身近に感じさるためにイエスが制定

信仰の世界で、聖体の制定は、まさに、誰からも受け入れられるわたしたちに身近な、神の愛、イエスのやさしさの具体的やり方です。一片のホスティア、拒もうとすればいとも簡単にできます。それでも、そのやり方にこだわったのが神なのです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

キリストの聖体:聖体は、わたしたちに見えるイエスの愛

愛は、自分のいのちを惜しまない。愛する者のために、その人のいのちを守り抜くのです。「主の聖体」は、まさに、イエスのわたしたちへの愛が、形になってわたしたちの前に提示されたイエスの愛そのものであるといえます。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

キリストの聖体を頂くたびに、イエスを、その優しさを感じていますか

聖体の制定は、イエスがご自分の受難と復活を通して全人類に与え尽くされることを願ってのことです。だから、「渡される夜」に制定された聖体によって「わたしは代の終わりまで、いつもあなたがたともにいる」(マタイ28章20節)というイエスの使命が全うされていきます。そして、ご聖体をいただくたびに、わたしたちの信仰センスも成長していきます。

2018年/B年説教=神への道標

キリストの聖体:神のなさりかた、それは、自分を無にする。人のために!

人の世界では立場が人をより上に推し進めます。本人も役職を自覚して成長していきます。外見上も品ある姿に変貌していきます。ところが、イエスさまの場合は、みじめな姿に落とされていくのです。
2017年/A年説教=神のふところ

キリストの聖体:イエスは傷つけられても、全てを与えて私たちのいのちを保つ

お母さんがわが子に注いだ奉仕と惜しみない愛によって、子にその心が引き継がれていったように、弟子たちに注がれたイエスさまの愛が、弟子たちをとどめたのです。イエスさまの愛は、さらに、聖体の制定へと突き動かされたのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

キリストの聖体:イエスの愛の「ふくらみ」のしるしが聖体の秘跡

人の醜さが頂点に達しようとすればそれだけ、その醜さをつつみこむ愛の極みが膨らんでくるのです。その「ふくらみ」のしるし(形見)がご聖体の秘跡です。しかも、人間一人ひとりの中に飛び込んでいかれます。もろくて醜い、弱いものを身におびていながらも、いや、そのことを知っているからこそ、イエスさまは飛び込んでこられるのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

キリストの聖体: イエスさまの思いが限りなく込められた秘跡

ご聖体をいただくたびに、わたしたちはイエスさまの十字架の死を告げ知らせることになります。イエスさまからは愛とゆるしのしるしであり、わたしたちにとっては、ゆるしと清めの恵みです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

キリストの聖体:ご聖体は交わりの場、わたしたちを養う「主の食卓」

ご聖体を食べ物としてイエスさまはわたしたちに示されました。「わたしは天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」。さらに「パン」とは「わたし自身だ」と言われます。
2012年/B年説教=主との出会い

キリストの聖体:「わたしは、いつまでもあなたたちとともにいる」

いつまでもわたしたちを内側から支え、助けようとされるのです。弟子たちを通して約束されたことを、果たし、継続されようとなさったのです。それが「聖体」の秘跡です。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

キリストの聖体:人には豊かな包容力のある存在者が必要

キリストの聖体(C年)の説教=ルカ9.11b~172013年6月2日 先進国がかかえる問題点なのでしょうか。さびしい、やるせない気持ちをかかえている子どもたちがこんなにまでたくさんいるとは、・・・。わたしたちが目指している人としての育ちの要...
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