キリストの聖体(B年)の説教=マルコ14.12~16、22~26

2012年6月10日

主との出会い

「かわいい子には旅させろ」とか「ドラ息子ほどかわいい」という表現は、今や「死語」になってしまったのでしょうか。大人、親にしてみれば、いずれをとっても「やっかいさ」は残ります。金がかかるし、気持ちの落ち着く時がそうそうあるものではありません。それでも、苦にはならないのです。
それは、親子関係だからなのです。

言葉に出して表現すると「念力」が落ちそうですが、根底には親子の愛が横たわっています。苦境に立たされれば立たされるほどに、内側からこみあげてくる愛情を禁じ得ないのです。これが普通の親子関係ではないでしょうか。日本だけではなく、世界共通であると確信します。なのに、普通であることを拒み、わざと(?)普通ではない言動をとる若者が、多くなったのではないかと案じております。

聖書でも、この普通の姿が示され、それが究極の結果をもたらしてくれることを伝えてくれています。このことに気づかせてくれるのが今日の聖体の主日です。ご聖体の制定は、その翌日は、十字架の死を遂げることになっていた最後の晩餐の席でなされました。自分は死んでいくことが分かっている時、普通の人だとどのような様相を見せてくれるのでしょうか。基本的には生きていたいと思っている中で、「死」と相対するのです。

イエスさまはその生涯の中で、人々の労苦や重荷を背負いながら、あわれみの心でわたしたちの輪の中のひとりとなって、生きてこられました。そのイエスさまの歩みを動かし続けてきたのは、わたしたちの誰ひとりも失いたくない、というわたしたちへの真実の愛、あわれみでした。日常やってきたことのゴール(十字架上の死)で、イエスさまの思いがほとばしり出たのです。

それまでは、やることなすこと、ことごとに誤解され、曲解されてきましたが、最後の最後は、誰にも反対されることなく、否、人々の誤解をたてにして、ご自分の真実の思いをわたしたちに示されました。それが「聖体」の秘跡です。いつまでもわたしたちを内側から支え、助けようとされるのです。弟子たちを通して約束されたことを、果たし、継続されようとなさったのです。

「わたしは、いつまでもあなたたちとともにいる」と。