年間第11主日:人知れず寄り添い働きかける神に委ねる

年間第11主日(B年)の説教=マルコ4.26~34

2012年6月17日

主との出会い

先日、ある本を読んでおりましたら次のような文章が目に留まりました。日本の教育制度に関する話です。

「徳川時代の寺小屋教育は別にして、全国的に近代的教育制度が施行されたのは明治になってからです。当時の日本の立場、事情、国際情勢からみれば当然のことだったかもしれませんが、富国強兵が国家目標にされ、明治政府の考えも、『国家に役立つ人間』が教育の目的であり、かつ、それが公教育から一斉に始まっています。この流れは現在もあまり変わっていないように思います。…(中略)今度は『社会に役立つ人間』が目標になり、自由とか平和とか人格とかが叫ばれ始めました。大きな進歩でしたが、対象が『国』から『社会』に移っただけで、相変わらず『役立つ』ことが目標です」。

いつの時代においても「教育」は大事です。その教育の根底にある、見逃してはならない視点は何なのでしょうか。今日の福音の中にそのヒントを見ることができるのではないかと感じます。

つまり、神の国は成長するものです。その成長の動きを知る人は誰もいません。種も成長してその実をつけます。しかし、種をまいた本人でさえどのように変化し、成長して身をつけるのか、その実態を知る人はいません。種については、自然界の関与が大きく影響しています。土の成分であったり、水であったり、また太陽のエネルギーも大きな力となって種の実りに貢献します。

神の国も、同じように何かの「関与」があるのです。それによっておのずと豊かに大きくなっていくのです、とイエスさまはおっしゃいます。その何かとは、「神の働きかけ」ということができます。しかし、わたしたちはそれらを意識的に感じることは、さほどないのではないでしょうか。感じるとすれば、自分の弱さであったり、醜さであったりします。みなにとって、これらのことは背負っていかなければいけないことではありますが、今日のイエスさまは、「人知れず」神はそのようなわたしたちに寄り添い、わたしたちを支え、導いてくださるのです、と言われます。

年間第11主日:イエスは人々の聞く力に応じて、たとえで語られた
年間第11主日(B年)の聖書(マルコ4・26~34)〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

したがって、そうした神に、「あなたは身をゆだねることができますか」とわたしたちを誘われます。その実、「わたし」が返事に躊躇しつつも、この間も、神は働きかけてくださっています。神の国は、まず、「わたし」の中に実現します。

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