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年間第11主日:「依存社会」でわが身をゆだねる人が目指すべき相手は?

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年間第11主日(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

年間第11主日(B年)の説教=マルコ4・26~34

2021年6月13日

地球全体を悩ませている新型コロナ感染症、多くの地域で、少しはその感染状況が下火になってきたのでしょうか、世界の現状は落ち着いてきたのかなという印象を受けます。それに比べ、わが国は未だに衰える気配がありません。

コロナ禍で「スマホ依存症」が一段と進む

ワクチン接種に関して、「政権は6月中に接種券を発送するよう求めるだけでなく、職場や大学で打つのを可能とする新機軸を提示。高齢者の後に照準を移した形で、政権浮揚に向け混乱をいとわず接種が済んだ人数を積み上げようと突き進む…」(南日本新聞2021年6月6日朝刊3面)と報道され、自治体が振り回されているのではないかと論評されています。

病の発症は、現実的に避けられないものであるかもしれません。が、実生活の中で、その影響を受けて派生するさまざまな病も気になります。今、国内で最も多い病気の一つが「依存症」だといいます。デジタル環境の進展に伴い、従来の人同士のつながりが希薄化。長引くコロナ禍でそのリスクが高まっています。その一つが「スマートフォン」との向き合い方であるといいます。

四六時中届くLINEの着信が気になって

「胸ポケットのスマホが、ブルッと震えた気がした。慌てて確認したが、着信も通知もない」。東京都の不動産販売業の男性(59歳)は、こんな錯覚に悩まされているといいます。(讀賣新聞西部本社2021年6月8日朝刊)

浅川クリニック(東京都江東区)を受診すると、院長で精神科医の浅川雅晴さんに「幻想振動症候群(ファントム・バイブレーション・シンドローム)といわれました。「スマホにすぐに反応しなければという過剰な緊張状態が原因で起きる症状。身に覚えがある人も多いはず」と浅川さんは指摘します。

男性が体調に異変を感じたのは、数年前に会社の同僚数人とLINEを始めたのがきっかけだそうです。メンバーが徐々に増え約140人になると、勤務時間に関係なく四六時中メッセージが投稿されるのです。仕事の連絡もあるし社内で孤立したくないから無視ができないので、トークルームに流れてくる投稿を目で追い必死に返信します。気がつくと3時間もたっていたこともあったといいます。お風呂にも持ち込み「片時も離せない。体の一部のようでした」といいます。

スマホのゲームが止められない高校生

一方で、高校生はといいますと、スマホを買ってもらってから無料でダウンロードしたゲームがやめられないといいます。顔も知らないゲーム仲間とチャット機能で会話しながら進めていくのが楽しくて、一日12時間以上も・・。昼夜が逆転して学校に通うのが面倒になり、不登校が続くようになったそうです。

スマホは暮らしを便利に快適にしてくれる道具です。SNSにゲーム、動画、さまざまなアプリ。手軽にいつでもどこでも、そして制限なく楽しむことができます。旭山病院(札幌市)精神科医長の中山秀紀さんは断言します。「スマホは最強の依存物の一つだ」と。

いつの時代も同じことが言えるのかもしれません。つまり、人間は自分たちが発明し、制作した「もの」に使われてしまい、その「奴隷」になり下がってしまってはいませんか、ということです。そのものの本来の価値評価をゆがめてしまってはいないでしょうか。知らず知らずのうちに、心身のリフレッシュではなく、「わたし」全体が侵されてしまっているのです。

年間第11主日:イエスは人々の聞く力に応じて、たとえで語られた
年間第11主日(B年)の聖書(マルコ4・26~34)〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

きょうの福音書では、「神の国」とは、が語られています。具体的には何をさしているのでしょうか。

神の国は領土ではなく、まるで自然界の営み

イエスは、神の国を大自然のいとなみのたとえで話します。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」と。確かに、その変化、成長の過程を、つまびらかに目の当たりにすることはできません。秋になると葉が落ち、冬には枯れてしまったのではないかと思わせるほどに、木の生気を感じさせなくなります。でも、春になるとしっかりと生命の息吹が野山に満ちあふれてきます。そして成長し、実りをもたらしてくれます。こうした自然のいとなみは、やむことなく繰り返されているのです。

神の国は、こうした自然界のいとなみのようであるといわれるのです。つまり、「神の国」とは領土ではありませんよ、ということをおっしゃりたいのでしょう。自然界の草木もなにがしかの働きかけがあって成長し、結実します。その働きかけ、その影響による成長への変化等、知る由もありません。だから「人は知らない」のです。その働きかけは、いたって静かです。気づかれないうちに肝心なことは進められ、その実りによってその木の生命に気づかされます。

神の国とは神の働きかけ、そこに依存すべき

神の国とは神の働きかけなのです。それをわたしたちが感覚的にとらえることは難しいです。日常生活でわかるのは、ただ自分の弱さです。日ごろの生活がうまくいかなくなると、すぐに不平不満に覆われ、動揺したりしてしまいます。わたしたちがその働きかけを感じられなくても、神の力は人知れずわたしたちの弱さの中で、わたしたちを支え、育てているのです。

まさしくパウロが言っています。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(第二コリント12章9節)と。であるからこそ、神の働きにゆだねましょう。そのようにできるよう祈り、願いましょう。少しずつ前に進めていくことこそ、イエスから求められている今日の勧めではないでしょうか。

とにかく、歩を前に進めることです。神への「依存症」にかかるといいのです、・・が。

 

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