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年間第12主日:普段の生活の中で試されている「わたしたち」の信仰

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年間第12主日(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

年間第12主日(B年)の説教=マルコ4・35~41

2021年6月20日

人本来の生きる姿・「ともに楽しく、一緒に」

音楽の力を信じていた小林亜星さん。「新しい感覚で世界を切り開く人間の力が衰えたのではないですか。一緒に仲良く歌おうという雰囲気がなくなった。歌にあふれた世界を切に願います」と言い、また、「人類にとってつまらない時代だ」と言って、現役世代を嘆いていた彼が、先月の5月30日に亡くなっていたことが報道されました。(南日本新聞2021年6月15日朝刊)

作曲は遊びみたいと言った小林亞聖さん

「作曲は遊びみたいなものだから、『家』とつくと偉そうでぴんとこない」と、「作曲家」と呼ばれるのを嫌っていました。その遊び心から心躍る多彩な音楽を生み出しています。「日立の樹(この木なんの木)」「野に咲く花のように」など、何年たってもつい口ずさんでしまう曲です。同じ作曲家のキダ・タローさんに、「日立のCM『日立の樹(この木なんの木)』はちょっとまねできません。詩の言葉の一つ一つに全部、これ以外ないというメロディーを入れている。感動しました」と言わしめています。

2019年の談話で、「大人も子どもも歌える新しいメロディーがなくなり、世界でテロや非難の応酬が相次いでいる」と嘆いていました。今、コロナ感染の世の中。それこそ、大人も子どもも一緒に楽しく歌える歌が生まれ、そして、そこに働く音楽の力が「新しい世界」を誕生させてほしいものです。なんといっても、音楽の魅力、力は世界万人に共通です。

絵本の魅力を紹介し合う母親サークル

一方、音楽ではありませんが、コロナ感染拡大の影響で緊張感が続く日常に、安らぎを求めて動く女性たちがいます。それに「はまった」という人たちは、母親たちや、サークル活動を通じて大人ならではの解釈を得た女性などさまざまです。専門家は「大人も子どもも自由に楽しんでほしい」と呼びかけています。

それというのは、「絵本」です。「紹介する絵本がある人いる?」「春にぴったりの作品があるのだけど」。絵本を紹介し合うサークル「のんきみち」のメンバーによるオンライン集会の一コマです。このサークルは、幼稚園で図書ボランティアに取り組む山元真理子さん(39歳)=東京都小平市=が「大人だからこそ気付ける絵本の魅力があるのではないか」と思いつき、2017年に結成。

子どもへの読み聞かせを通じて絵本の魅力にはまったという母親、石川県小松市の山本さやかさん(37歳)は、子育て奮闘の真っ只中にいます。3人の息子たちは、コロナ感染拡大に伴う小学校の休みで「おうち時間」が増加。ストレスにさらされる日々の中で、絵本の読み聞かせが心の救いになったといいます。「空とこども絵本館」(小松市)の尾木沢響子館長(66歳)は、大人にとっての絵本の魅力は「豊かな絵と必要最低限の言葉が想像を膨らませ、心の隙間を埋めてくれるところにある」と解説しています。

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上述の話の中で共通するのは「ともに楽しく一緒に、・・・する」ということでしょう。ここに、人本来の生きる姿があるような気がします。本来のあるべき生きていく姿に戻ることができたのではないでしょうか。つまり、人は常に人を求め、人とともに成長し、より良く完成した人間になっていく、という人が生きるための現実を、コロナ禍でどこかに置き忘れていたのではないでしょうか。デジタル化が進めば進むほどに、個が強調され、「一緒に共に・・する」ことがおろそかになってきます。人と交わる必要がなくなるからです。

イエスは弟子たちをグループで招き、派遣した

イエスは弟子たちをグループで呼ばれ、共同体として派遣します。個であっても、互いのつながりのある温かな生のいとなみを推し進められたのです。特に苦境の真っ只中にあるとき、心細くなるのは誰もが経験していることではないでしょうか。今日の福音書の弟子たちにとっても同じです。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」というイエスの言葉の中に、この言葉をじっくりと味わっている今の「わたし」を感じてみなさいと、わたしたちに呼びかけておられるのではないでしょうか。

試練が訪れるとき、平静な時には輝いていた自分が、何だったのだろうと思えるほどに自分を見失ってしまいます。つまり、神を信じることが何の役にも立っていないと感じることが多々あるのです。何度繰り返されても同じ心境になってしまう自分があります。

嵐の船中で動揺する弟子たちvsイエスの静けさ

イエスと弟子たちとの関係でも、弟子たちにとっては、絶えずその信仰が試される体験をしています。その度に、弟子たちの信仰の浅はかさが暴露されるのです。今日の話も、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言って、激しいあらしの風に恐れおののいています。この言葉から感じることは、イエスへの信頼はどこかに吹き飛んでいます。プロのベテランの漁師である彼らが恐れるくらいの船の揺れなのです。

あらしの中で静かに眠るイエス、それは、おん父のみ旨のままに委託できるイエスの平静さを意味します。また、弟子たちにおん父への信仰を教え、さとすものだったのです。そして、イエスへの信仰に導くものでした。こうして、弟子たちは挫折を繰り返しながら、それぞれに成長していくのです。

イエスはいつも「団」として弟子たちに接しています。皆でともに試され、イエスにより親しく接し、より詳しく、より深くイエスのメッセージを知る機会に恵まれました。にもかかわらず、いつも人間の思いが勝ってしまうのです。

これは今のわたしたちにも同じことが言えないでしょうか。わたしたちは日々の、普段の生活の中で試され、克服し、ますます人として、信仰者として、その任にあるものとしてより豊かな人となりを身にまとい、仲間とともにまた、日常に派遣されていきます。

揺らぐことのない「わたし」を求めつつ、「わたしたち」が共に楽しめる信仰を生きていけたらいいですね。

 

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