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復活節第6主日:理想は高く、自らは低く、「わたし」は神を見つめて「わたしたち」らしく

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復活節第6主日(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

復活節第6主日(B年)の聖書=ヨハネ15・9~17

2021年5月9日

明けても暮れても「新型コロナ」のニュースばかりです。こうした状況が一年以上も続くと、何をどうしたらよいのか、具体的な方策すら混とんとし、集中力も減退し、他人への配慮など、もうどうでもよいと思う人も出てきたのではないかと、・・。

連休の人出の多さは、我慢疲れの現れ?

今度の「緊急事態宣言」は三回目となりました。したがって、これ以上の感染拡大を防ぐために、人の波を停止することの大事さは、言うまでもなく、みな一人ひとりはよくわかっていることではあるでしょう。それなのに、大型連休時の人出の多さは何を意味するのでしょうか。皆が我慢と忍耐を強いられ、それが求められていることもよくよくわかっています。だからこそ一致団結して、一緒に前に進む必要があるのではなかったでしょうか。この事もよくわかっているのです。なのになぜ、…なのでしょう。

新しい感染者が増大し、激しくなると、「自粛してください」「我慢してください」「不要不急の外出は遠慮してください」の連呼だけで、これまでの対策の効果を分析することもなく、しているのかもしれないが公表されず、それまでと何ら変わりのないくりかえしに、みなが逆に疲れ果ててきたのではないでしょうか。この言葉を一年間、聞き続けてきたのです。もっと、一人ひとりに、一人ひとりの心に共鳴する、気持ちを揺り動かす、感染防止に向かいたくなるメッセージが望まれているのでしょう。人の気持ちの、無駄なガス抜きをしてくれそうな温まるメッセージを、皆は望んでいるのでしょうか。皆は、やることはわかっていて、喘いでいるのです。あがき、もがいているのです。その心のやり場を探し求めて(?)・・。

子どもの貧困対策で地道に活動する団体

しかし、その中で、持続可能な開発目標を求めている方々がいらっしゃいます。何も、コロナの感染拡大がその目標達成の動機付けになっているのかどうかは分かりませんが、明らかに目標に向けて拍車がかかっているのは否定できないでしょう。それは「子どもの貧困」です。国連が2015年に採択した持続可能な開発目標のゴールの一つに挙げられています。

18歳未満の子どものうち、平均的な所得の半分を下回る家庭で暮らす子どもの割合を「こどもの貧困率」というそうです。世界では子どもの5人に一人が一日約200円以下で暮らさなければならない極度の貧困状態にあると聞きます。一方、わが国でも、2018年度時点の厚生労働省がまとめた内容によりますと、子どもの貧困率は13.5%、7人に一人の割合です。特にひとり親の仮定では48.1%と、2人に一人が厳しい状況にあります。(南日本新聞2021年4月30日朝刊) 外国のような極度な貧困には当たりませんが、食事がきちんととれなかったり、自宅ではあまり勉強できる環境がなかったりと、見えにくい悩みがあります。因みに、鹿児島の「子ども貧困率」は12.9%だそうです。

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826村のテーマは、インターネット教会(電子教会)の研究です。

日本全国そうだと思いますが、鹿児島の地でも、子どものこうした貧困対策に乗り出している民間団体があります。食事を無料で振る舞う「子ども食堂」、また、無料で勉強を教える学習支援が広がっています。行政の後押しをいただきつつ、子どもたちのニーズをとらえ、それをもとにこれからの支援の在り方を絶えず見つめながら、協力し合ってさらに推し進めていく必要があるでしょう。

支援は「ともに育っていこう」の思いで

「~してあげている」の考えではなく「共に育っていこう」の思いで、共に前に進んで行きたいものです。大隅くらし・しごとサポートセンター学習支援員の米蔵雄大さん(33歳)は「支援が必要というと、昔は非行に走る子どもたちを指しましたが、今は社会から離れて孤立した子どもたちが多い印象です。センターでは学習相談や中退防止などの個別支援もしています。学校と家庭の隙間を、いろんな組織や人の支援でつないでいければと思います」と語っています。

今日の福音書では、一言で言えば「隣人愛」の実践を促しています。イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」と言われます。これが新しい掟なのです。何が新しいかといえば、旧約時代の隣人愛は、隣人愛の基準が「自分」にあるのです。ところが、今日の新しい隣人愛の基準は「キリスト」になっています。つまり、キリストが愛したようにです。ここに新しさがあるのです。

理想が高いほど、聖霊が働いてくださる

その上、「父がわたしを愛してくださったように・・」隣人を愛しなさいと言われるわけです。その父の愛とは「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。

だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」といわれるのです。

しかし、わたしたちは一人ひとりが承知しているように、そして、誰も自己否定しないでしょう、エゴイストです。何かにつけて自分を優先したいのです。たまには自己犠牲することがあっても、力のない弱々しいもの、とどのつまり、自らの生活を先に考慮しています。

こうしたわたしたちの実際をご存知でありながら、いや、ご存知だからこそ、イエスは理想を高く上げ、自らの弱さに妥協することなく前に進めといわれるのです。むしろ不可能なことだからこそあきらめずに恩恵にすがりなさい、と。理想が高ければ高いほど聖霊ははたらいてくださるといわれるのです。主の復活を体験し、聖霊に強められ、それまでは弱かった弟子たちがそうでした。

コロナ禍にある今だからこそ、もっと一人ひとりが自分の弱さに気づき、弱いからこそ分かち合い、そこから誰かの助けを、支援を受け入れ、もっと「わたしらしく」そして「わたしたちらしく」なりましょう。本来の「人間(わたし)」取り戻しましょう。

 

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