『受難の主日』の聖書と説教はこちら

年間第12主日:「わたし」は神に生かされているから、今も、未来も恐れるなかれ

この記事は約5分で読めます。
2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

年間第12主日(A年)の説教=マタイ10・26~33

2020年6月21日

「少子化社会対策大綱」が決定されました。政府が新たに決定した大綱は、おおむね5年に一度の改定で、今後5年間の少子化に対応する政策の指針となります。(南日本新聞2020年6月14日朝刊)

少子化社会対策大綱という政策指針から

昨年生まれた赤ちゃんの数が統計開始以来初めて90万人を割った「86万ショック」を踏まえた指針であります。5年前の改定でも危機感を前面に出し、さまざまな政策を打ち出しましたが、少子化に歯止めはかからず、むしろ加速しています。

少子化が進めば、経済や社会保障の根幹が揺らぎかねません。それを避けるには、若い世代が将来に展望を描ける社会づくりが欠かせません。政府は長期的視点に立ち、抜本的な対策に取り組むべきである、と社説は論じています。

「少子化」の問題は、すでに何十年となく論じ、心配し、あれやこれやと専門家を交えた対策が講じられてきたことと思います。なのに、それが功を奏さないとは、・・。

社説は続けます。

男性の子育て参加や給付金なども検討要請

少子化の最大の原因は、晩婚・未婚化にあると位置づけています。そのために、未婚者の多い若い非正規労働者の正社員化を支援することなどで雇用の安定化を図り、望む時期に結婚や子育てができる社会にすることを基本的な目標にしました。

さらに、男性の子育て参加を促すため、現状6%にとどまる男性の育児休暇取得率を25年に30%にするなどの目標を設定。併せて、育児休暇取得を後押しする事業主への支援や、育児中の給付金充実に向けた検討を要請しています。ただ、いずれも多額の経費を要し、財源の裏付けが必要です。政府は税や企業拠出の引き上げを念頭に置くが、国民に負担増を求めるなら納得されるよう、丁寧な説明が求められます。

財政的視点に加えて宗教家の意見も必要か

このような問題に対する対応・対策を考えるとき、どうしても財政的な視点からの解決策に動いてしまいます。でも、それは大事なことです。同時に、「少子化」は人、人口の問題であるだけに、別な視点からの対応策も考慮する必要があるのではないかと感じます。

それと言いますのは、宗教家の意見が求められてもいいのではないかと思うのです。問題の対策の実現に、財政的な対策の裏付けが必要なように、さらにその裏付けが求められてもいいのではないかと。つまり、人のいのちに関する考え、信仰的な視点からの裏付けがあって、お互いに支え合っていくことの尊さが見えてくるのではないかと思うからです。神から預かっているこのいのち、それを他者のために生かしてこそ自分が生かされている、そして、人として生きる嬉しさ、楽しさがあるといえないでしょうか。そのために「安心感」は大事です。先々不安を抱えていては繁栄するもないでしょう。心身の不安が解消されることが望ましいでしょう。心身両面からの対策が問われていいのではないのかなと、感じていますが、・・。

イエスは弟子たちの不安を取り除くために

今日の福音では、イエスはその弟子たちの宣教活動にあたる不安を取り除かれようとなさいます。「恐れるな」という言葉が三度も繰り返されています。弟子たちのこれからの道のりは、そうそう安易な道のりではないことを見抜いておられたのです。つまり、イエスは12人を派遣なさいます。「宣教活動」は生易しいことではありませんよということです。

404 NOT FOUND | 教会のITサポート:826村
826村のテーマは、インターネット教会(電子教会)の研究です。

神に全く不感症な人、それゆえに、人々に無視され、拒絶され、疎外感に苦しむことがあるでしょう。宣教者は人々の心の転換、悔い改めを求めます。それが、人々の生活慣習と合わないと恨まれるかもしれません。また、人々の生活に干渉をしてくるとして邪魔者扱いにされるかもしれません。長い伝統と習慣によって和の社会に仲良く生きてきた人々に、別の価値観を与えてしまい、せっかくの和を壊してしまうことにもなりかねません。

弟子たちの道は、確かに苦難の、苦労の道なのです。こうした現実を前にして、弱気になり、託された任務を放棄したくなる時だってありうるでしょう。さらに、先々がもっと不安になってしまいます。そうした弟子たちの心を、その状態を察して、彼らの心を固め、元気を与えようとなさるのです。

イエスが「恐れてはならない」と言い切る理由は、「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないから」です。弟子たちが宣べ伝えようとする福音は、人々にはまだ隠されたものです。だから、イエスと同じ苦しみを受ける覚悟が求められます。しかし、その教えが正しいことは、終わりの日に確実に明らかにされます。

私たちはいつくしみ深い神の手の中にある

イエスは、弟子たちの現在の恐れも未来の恐れも、恐れるに足りず、恐れる必要はないと励まされます。弟子たちを守られるのです。わたしたち一人ひとりは、神のいつくしみ深い手の中にあるからです。

だからこそ、今は覆われて真実を認めようとしない人々の救いのためにも、宣教者(信仰者であるわたしたち一人ひとり)はイエスの言葉を告げ知らせるのです。わたしたち一人ひとりは、神とのつながりを失うことはないのです。「わたし」のほうから断ち切らない限り。だからこそ、人のいのちは尊いのです。だからこそ、仲間を欲するのです。だからこそ、新たな命の誕生を喜ぶのです。

わたしたちは他者に向けて生かされています。他者を求めるのです。だから、喜ぶ仲間は多いほうがいいのです。少子化ではなく、・・。

 

【6月21日】年間第12主日(A年)の聖書はこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました