キリストの聖体:神のなさりかた、それは、自分を無にする。人のために!

「神への道標」

2018年説教の年間テーマ「神への道標」

キリストの聖体(B年)の説教=マルコ14・12~16、22~26

2018年6月3日

人は地位に応じて、品格が備わってくる

「地位は人を作る」という表現があります。人間が社会をつくり、そこで生活しているかぎり、社会における高い地位はその人に大きな役割と影響を与えます。身分や職業が固定的であった昔の日本では、幼少時から将来就くべき地位は約束されている面があったので、いざその地位に就いたからといって心理的に大きな変化が起こることはなかったと思われます。したがって、この表現は、身分制度が崩壊して職業選択の自由が実現した近代以降の話ではないかと思うのですが・・。つまり、職業や社会的な地位は、そこに就いた人をふさわしい存在にするものだということになります。大きな変化がその人の中で起こってしまうのです。

女性管理職対象の衣装・メイクセミナーも!

「女性管理職 どう装う?」「衣服、メイク 広がる提案」。管理職に就いたばかりの30~40代の女性向けに、メイクやファッションを助言、提案する動きが増えているようです。(讀賣新聞大阪本社、2018年5月25日朝刊)これらを手がけているのは、資生堂で、セミナーを開催しています。

東京都内で3月、30代後半から40代の役職がある女性会社員15人を招いて開かれました。同社のトップヘアメイクアップアーティスト、鎌田由美子さんは助言します。「眉は知性を表す。パウダーとペンシルで自然な太さに仕上げて」「年齢を重ねると唇の輪郭がぼやけるので、リップライナーは使ったほうがいい」と。課長職の女性(38歳)は「20代の頃のメイク法を変えられないのが悩みだった。ポイントが分かったので、役職や年齢相応の落ち着いた雰囲気を出してみたい」と話しています。

「胎児ネーム」が人気とか、知ってますか?

また、「『胎児ネーム』人気すくすく」という文字が目に入りました。何だろうと気になりました。「胎児ネーム」というものを知らなかったのです。妊娠中のお母さんが、おなかの赤ちゃんに名前を付けて語りかけているという実態が明らかになったというのです。(「ミキハウス」を展開する三起商工(大阪)アンケート実施)その名前を「胎児ネーム」というようです。そうした名前を付けて呼んでいる両親は、アンケート調査の回答者、4,286人のうち56%、生後につける予定の名前で呼んでいたのは19%で、合わせて4人中3人が、何らかの名前で呼んでいることになるようです。

胎児に名前を付けて、まだ見ぬ子への愛情を育む

「胎児ネーム」をつけることで、まだ見ぬ赤ちゃんへの愛情を育んだり、存在を実感したり、同時に、親としての喜びと役割の実感、意気込みを味わっているのではないでしょうか。こうして、これからの親としての「立ち位置」にふさわしい品格が養成されていくのだと思います。

キリストの聖体:イエスはパンを取り言われた。これはわたしの体である。
キリストの聖体(B年)の聖書=マルコ14・12~16、22~26 除酵祭の第一日、すなわち過越の子羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。

今日はご聖体の主日です。
ご聖体の制定は、イエスさまが十字架上の死を目前にした最期の日、また、人間側からしますと、自分たちの醜さが一度に噴出したその日でした。イエスさまは弟子たちに三度もご自分の死について話されています。エルサレムで長老、祭司長たちに殺されることを。彼らのたくらみをすべてご存知のうえで、エルサレムに上京なさるのです。

イエスはみじめな姿で十字架の刑を受けた

しかし、よく考えてみますと、イエスさまが殺されなければならない理由がどこにあったのでしょうか。人々の邪魔になるようなことは何一つなさっていません。むしろ、ぐったりと疲れきっている人を見れば寄り添い、あわれみの心で人々の一人になってくださったのです。イエスさまの言動の原点にあったのは天のおん父の愛です。つまり、一人も失われることなく、すべての人が救われることだったのです。

一般の民からみて、イエスさまのこのようなたくさんの言動は、「メシア」としての雰囲気を感じさせ、救い主としての神々しさを認めるに十分でした。しかし、こうしたイエスさまの立場を否定し、邪魔する人々が出てくるのです。それが、時の指導者たちです。イエスさまの中に、「メシア」としての資格を品位を認めたくないのです。

人の世界では立場が人をより上に推し進めます。本人も役職を自覚して成長していきます。外見上も品ある姿に変貌していきます。ところが、イエスさまの場合は、みじめな姿に落とされていくのです。

イエスの愛は小さなホスチアに込められている

反対派に拒まれ、無視され続けていった挙句、十字架の刑に追いやられます。苦しみの絶頂にあるこの時、それでも、不思議な姿でわたしたちのうちに、共にとどまろうとなさいます。小さなホスティアです。人が無視しようと思えばいとも簡単にできる姿です。見た目はあくまでも小さく、でも、うちには豊かな、あふれんばかりの愛をもって、わたしたちを招かれるのです。そして、わたしたちともに歩まれるのです。これが神のなさりかた。

「キリストは神の子でありながら、…自分をむなしくして、僕(しもべ)の身となり、人間と同じようになられた」(フィリッピの人々への手紙2章6節~7節)

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