復活の主日:イエスの復活は救いの保証。それはすべの人に開かれている

「神への道標」

2018年説教の年間テーマ「神への道標」

復活の主日(B年)の説教=ヨハネ20・1~9

2018年4月1日

先日、ある方から手紙をいただきました。懐かしい方だったのですぐに開封してみました。そこには、フィリピン滞在中に撮った懐かしい写真が入っていました。場所はラジオ・ベリタス放送局の前庭でした。1984~6年ころの、あの当時を思い出します。のんびりと、当時の日本語課のスタッフと記念写真を撮るくらいですから、この時はまだ、クーデーターの兆候がない穏やかな日々を過ごしていたのでしょう。

フィリピンでの就労は、わたしにとっては一つの大きな節目の時でした。自分が生きていく上での考え方に、大きな影響を受けたような気がしています。毎日、現地の新聞を読み、テレビを見、話しを聞いたりしますと、それは、日本では体験しないであろう内容ばかりなのです。「その中に自分は今、いっしょに生活しています」と思えば、避けては通れないのです。

聖マザー・テレサの「愛のことば」

写真を見ているうちに、聖マザー・テレサの「愛のことば」を思い出しました。

「ごうまんで ぶっきらぼうで 利己的になるのは いともたやすいことです。
でもわたしたちは もっとすばらしいことのために つくられているのです。
無理なことをどうこう思い悩むのは むだなことです。
できないことは 神さまがおのぞみでないのだと 思いなさい。
大切なのは どれだけたくさんのことをしたかではなく どれだけ心をこめたかです。」(「マザー・テレサ 愛のことば」より)

他者のためにどれだけ心を込めたかが大切

わたしたちの人生は利己的なことのためだけにあるのではありません。もっとすばらしい、他者に開かれた命なのです。さらに、どれだけの心をこめたかが大切なんです、と聖テレサは言われます。

イエスに倣ったマザーテレサの生涯

彼女の生涯はまさにそのような生き方でした。ひたすら他者のために開かれた奉仕の日々でした。そのモデルは、今日、復活を迎えた主イエスさまの生き方そのものでした。イエスさまが、人類の救いのために受難に耐え、十字架の生贄にその身を渡された、もっぱら他者に生きたその人生でした。

イエスの墓は番兵に見張られていた

それだけに、亡くなられた後も、人々の関心を引き付けてやまないのです。十字架上にて亡くなったイエスさまの死体の引き渡しを頼まれたピラトは、もう一度、兵士たちにイエスさまの死を確認させました。さらに、遺体を盗まれることを恐れたユダヤの指導者たちは、墓の入り口を石でふさぎ、番兵たちまでおいたのです。それほどまでして葬ったイエスさまの遺体が、息をふきかえすことなんて考えられません。十字架からおろされたイエスさまの遺体に、婦人たちはユダヤ人の習慣どおりに、香料を塗り、覆い布でつつみ、新しい墓に納めました。なのに、墓はからなのです。その前に立ったマグダレナのマリアは、誰かがイエスさまの遺体を持ち去ったのだと思うほかに考えがおよばなかったのです。

墓にあるはずの遺体がなぜないのか?

ペトロのところにとんでいきます。マリアは弟子たちがどうにかしたのだろうと思ったのでしょうか、しかし、どうも弟子たちがイエスさまをかくまったのではなかったようです。ペトロたちも墓が空であることを確認に行ったからです。

ペトロを筆頭にした弟子たちも、また、イエスさまの周りにいた婦人たちにしても、イエスさまとともに過ごした数年間、あまりにも恵まれた環境にあったのか、イエスさまの最後を体験することで、わからないことだらけになってしまったようです。

神のメッセージは常識だけでは理解不能

つまり、人間常識の世界に留まり続け、そこから脱却できないでいたのです。それにすら気付いていません。人間の能力ではどうにもできない、人間の思いをはるかに超えた神からのメッセージの真意を読み取ることができなくなっていました。「どこに置いたのか、わたしたちにはわかりません」としか言いようがなかったのです。

復活の主日/イースター:二人の弟子は墓に入って、空の状態を見て、信じた。
復活の主日(A年)の福音=ヨハネ20・1~9 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。

人が理解できるものでなければ、信じるに値しない、というのであれば、人の次元を超えたものに対して心が動くはずもないでしょう。弟子たちも、マリアもこの瞬間、そのような状態に陥っていたようです。死は人間の終局ではなかったのです。しかし、「イエスが死者の中から必ず復活するという聖書の言葉を、まだ悟っていなかった」のです。

イエスの死と復活が意味することは?

イエスさまの死と復活は、全人類のために、どのような差別もなしに、わたしたち一人ひとりをつつみこんでくださる神の温かい招きであり、わたしたちの救いの保証です。

現実にはショックな出来事を目の当たりにしても、神はいつも、それでも、わたしたちに寄り添ってくださっています。このことを、人生の節目において実感したいものです。

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