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復活の主日:復活の核心は苦しみ、悲しみのきわみの果てに

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主の復活(C年)の説教=ヨハネ20.1~9

2013年3月31日   

寄り添うイエスものごとの変化、成長は、その周囲の環境に影響されていきます。わたしたち人間も例外ではありません。嬉しいことがあれば、それが他者の慶事でも、自分までもが楽しくなってきます。

逆に、悲しいことがあれば、元気をなくしてしまいます。特に、生涯の伴侶を失った時には、譬えようがありません。しかも、人生の絶頂期にあった人にとっては、それを失うことは、周囲の人に悲しみと絶望を与えてしまいます。

通常に考えれば、悲しみからすぐに喜びは生まれてきません。今日の福音に登場する婦人たちにしても、同じような心理状態であったのではないでしょうか。元気なころのイエスさまとはかけ離れた、あまりにも悲惨な姿の最期を体験したからです。

常識的に考えて、婦人たちが光をもう一度見つけることは不可能な気がします。いつの時代もそうでしょうが、墓はあくまでも墓です。そこには亡くなった人の過去があるだけです。過去の方との単なる語らいの場です。

しかし、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」との啓示がなされます。「あの方は復活なさったのだ」と。イエスさまの生前のことばを思い出した彼女たちは、元気が出たのです。希望がわいてきたのでした。その希望に満ちたメッセージをだれかに伝えたく、ペトロのところに向かいます。

主の復活は打ちひしがれた心に喜びと元気と希望を与えてくれる出来事なのです。したがって、現実の生きる道で、苦しみがあっても、悲しみがあっても、闇に覆われた期間があっても、それに絶望しないでほしいとのイエスさまからの温かいメッセージが、今日の祝日の核心にあるようです。

つまり、苦しみ、悲しみのきわみの果てにあらわれるのが、イエスさまの復活の意味です。わたしの実生活で味わってみましょう。必ずや一回り大きな、そして、豊かな人間になった自分を発見できることでしょう。わたしの生涯に及ぶ、豊かな影響を感じつつ生きてみたいです。

「あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。そこでお目にかかれる」

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