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三位一体:神は自己啓示を続け、交わりに招いている。どう答えますか?

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「神への道標」

2018年説教の年間テーマ「神への道標」

三位一体(B年)の説教=マタイ28・16~20

2018年5月27日

教皇は使命を果たすため諸団体を活用する

広く知られていることであると思いますが、「バチカン」は世界最小の独立国であるということです。正式名は「バチカン市国」で、ラテン語ではStatus Civitatis Vaticanaeと言います。(Wikipedia参照)

この国の元首はローマ教皇(法王)です。申し上げるまでもなく、世界のカトリック教会の最高指導者でもあります。カトリック教会は、新しい年の始まり、1月1日を「世界平和の日」として定め、教皇自身がメッセージを公布します。そして、世界中のカトリック教会では、平和のために祈り、ミサを捧げます。因みに、昨年のメッセージのタイトルは「非暴力、平和を実現するための政治体制」で、次のような書き出しで始まっています。

「新年の初めに当たり、わたしは世界中の民族と国民、諸国政府の指導者、そして諸宗教と市民社会のさまざまな分野の責任者の皆さんに、平和へのわたしの切なる願いを伝えます。・・」

このようにしてバチカン市国の活動、役割内容を、語りによって、メッセージによって、また、他の諸団体の活動を通して紹介し、全世界に向けて訴え、叫び続けます。

諸団体の一つに「システィナ礼拝堂合唱団」

諸団体の一つに、ご存知の方もおられることと思いますが、教皇の下で活動している少年合唱団があります。その名は「システィナ礼拝堂合唱団」です。彼らは、平和への願いを込めて各国を回るコンサートツアーも敢行します。この合唱団を指導する音楽家の一人に日本人がいます。(京都新聞2018年5月14日夕刊)その人は「マエストラ・マサコ(マサコ先生)」と呼ばれています。子どもたちからそう呼ばれているのは、声楽・ピアノ教諭の富永正子さんです。同合唱団は教皇の合唱団とも言われ、1500年の歴史を誇っています。

合唱団の指導者には日本人もいる

彼女は、1990年にイタリアに渡り、ローマのサンタ・チェチリア音楽院の声学科を次席で卒業。欧州でオペラ歌手として活動し、2006年、同合唱団が指導者を探していた際に、バチカン運営の合唱団の付属学校の教員に採用されました。合唱団はイタリア人中心の9~13歳の約30人に、大人のプロ歌手を加えた計約50人で構成されています。教皇がバチカンで執り行う宗教行事で聖歌を歌うのが主な役目です。国外ツアーも展開し、これまでに米国、ロシア、韓国などのほか日本の8都市で公演したこともあります。

毎年600人以上の応募者から、オーディションで選ばれるのは10人前後。一日数時間に及ぶレッスンを受け、CDリリースのためのレコーディングもする生活は芸能人のようです。合唱団を20年指導する指揮者のパバン神父(55歳)は「音楽を通し、教皇の平和への思いを世界中に広めるのがわれわれの任務」と強調しています。

人は未知の人の場合、関係者を通して近づく

わたしたちの日常において、あの人ってどのような方なのかなと思う時、その方を知る手立てを探します。通常はご本人に当たる前に、周りの関係者にあたるような気がします。そして、徐々にその方の姿に近づいていくことができます。

いつも、わたしたちはどこかで自己開示を行っているからです。ローマ教皇とは?バチカン市国とは?当人にお会いできなくても、現地を訪問しなくても、わかる手立てはあります。それぞれが自らを見せてくれているからです。

三位一体を完璧に理解することは不可能だが

今日は三位一体の主日です。この教えがどのようなものなのか、弱い、小さな存在の人間に完璧にとらえることは不可能です。でも、次のように言うことはできます。今日の祝日では「神という存在、神の姿が啓示されている」ということです。神自らが、自己開示をしてくださるのです。ご自分が「三位一体の神」であるという自己啓示をなさるのです。そうすることによって、わたしたちが神の心を知ることができます。

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その上に、「父と子と聖霊の名に入れる洗礼を授け」なさい、と洗礼の秘跡が、父と子と聖霊のかかわりの中で行われることを示されます。それは何か、と言えば、神はわたしたちを救おうとしておられるということです。

神は常に、わたしたちを救おうとしている

つまり、洗礼を受けるということは、三位一体の神に結ばれていくということであり、三位一体の交わりに取り込まれていくということです。「信者である」ということは、単に、キリスト教的ヒューマニズムを生きることに理想をおくことではなく、それ以上に、神とのかかわりが濃いのです。神の心をわたしたち一人ひとりの生き方の中心に置くように招かれているのです。

今も、神は自己啓示を続けられます。教会を、ローマ教皇を通して、国のリーダーを経て、隣人を通して、家族・兄弟姉妹を通して、ご自分の交わりに呼び込んでいらっしゃいます。それに気づいて、さらに「イエス」というか「ノー」というのか、・・。

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