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年間第2主日

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第2主日:主のみ言葉の伝播は、「わたしの居場所」への招待状

今のわたしたちは、後世に語り継いでいく役割を負っています。「自分の居場所を見つけたもの」として、喜びの分かち合いをしていくのです。多くの人に真の居場所を見つけてほしいからです。自信をもって、力強く、でも、謙虚にお招きしましょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第2主日:絶えず新たな問題が起きる現代、ヨハネの情熱に感染したい!

教会の2000年余りの歴史の中で、たくさんの体験をし、苦難を乗り越え、多くの聖人を輩出し、そして今、わたしたちの生活現場で、絶えず新たな問題に向かい合っています。洗礼者ヨハネの情熱は、今のこの「時代」にどのように浸透し、感染していくでしょうか。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第2主日:どんな些細なことでも、神を信頼して願い、委ねること

神はわたしたちの日常のささいなことに対しても、そっとやってきて救ってくださる方です。神はその「時」を見逃すことはないのです。日常の中における、そういう緊迫した「時」を大事にしていきたいものです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第2主日:イエスのもとにとどまる。真の「わたしらしく」なるために

イエスをぬきにして「わたし」はないのです。また、イエスを失うことは、キリスト教はなくなるということです。イエスとともに「とどまる」ことが「わたし」をより「わたし」たらしめることなのです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第2主日:神に呼ばれた者として、人々に何を語り、伝え、見せているのか

池上彰さんは、むずかしい言葉を「やさしく言い換える」ことが、大変むずかしいと言われます。福音宣教にとっても、工夫することは大切です。何よりも大切なのは、「わたし」が洗礼者ヨハネの心を、現代に生きている環境の中で学び、感じ取っていくことではないのでしょうか。
アキラさんの絵手紙

イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行われた—絵手紙2019

Sunday Liturgy 模写 2019年1月20日 年間第2主日 イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行われた(ヨハネ2-11) Kana of Galilee
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第2主日:イエスは日常の「些細なこと」でも取り上げて下さる

マリアはそっとイエスに囁きます。「ぶどう酒がありません」と。さらに、給仕している人たちにも言います。「何でもこの人の言うとおりにしてください」と。マリアの配慮は、イエスがいつどのような形であれ、人の営みに関わってくれるであろうというマリアの確信の現われです。このマリアの姿からわかることは、わたしたちの日常のどんなに「些細な」ことでも、神の前に差し出すことができるということです。
2018年/B年説教=神への道標

年間第2主日:神との関係で方向転換を!そこに人の本来の生きる姿がある

イエスを理解し、魅せられていく。そして、イエスとともに歩いて生きていくことが、信仰者の中心にあります。そうすることで、すべて存在しているものの互いの関係性、存在評価が見えてきて、安定して生きることを楽しむことができます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第2主日:日常の中でなされる神からの「呼びかけ」を無駄にしない

年間第2主日(B年)の説教=ヨハネ1.35~42 羊飼いにしても、東方からの訪問者たちも、神から差し出された日常的な呼びかけに応え、隠された神の救いの計画の中に引き込まれていったのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第2主日:人の営みに神がみずから関わって下さる

水がブドー酒に変わったことは、人間の営みの次元のものが、イエスさまのかかわりによって恵みの次元にまで引きあげられるということを物語っています。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第2主日:本当の救いを求めて燃えていることを目指しましょう。

洗礼者ヨハネの弟子たちにとって、イエスさまとの出会いは恵みでした。それは、ヨハネとの出会いの時に決定づけられていたということができるでしょう。つまり、ヨハネが持っていた神への情熱にふれたときに、彼らはすでに、イエスさまへ方向づけられていたといえるのではないでしょうか。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第2主日:「あのかたは栄え、私は衰えなければならない」という洗礼者ヨハネの生き方

洗礼者ヨハネと弟子たちとの出会いは、弟子たちにとって恵みのときとなりました。そうなったのは、弟子たちの心の持ち方もさることながら、ヨハネ自身が何かを持っていたからでしょう。ヨハネは荒れ野で叫ぶ声、光をあかしする者、ぜいたくもせず砂漠の中で純粋に神の世界を求め救いに飢え、待ち望んでいたのです。いわゆる、神に対する情熱でした。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第2主日:カナの婚宴の奇跡に学ぶことは、懸命の祈りと願いは叶う

神は救ってくださるお方。ゆめ忘れてはいけない大事なことです。つまり、祈り、願いの内容は神にゆだねたらいいのです。必死に祈り願ったことがあったでしょうか!?
2012年/B年説教=主との出会い

年間第2主日:世話を受ける側から世話してあげる側にまわる

ヨハネから促されてイエスさまについていった二人の弟子は、その滞在場所を見、そこに留まったのです。イエスさまから何かを受け、何かを感じたからこそこうした行動に出たのでしょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第2主日:「わたし」の生きる原理はどこに根ざしているのでしょうか

イエスさまの生きる基になっているのは、ヨハネが指摘した「世の罪を取り除く神の小羊」としての役割なのです。しかも、その「原理」は愛情に満ち溢れています。
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