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年間第2主日:「わたし」の生きる原理はどこに根ざしているのでしょうか

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年間第2主日(A年)の説教=ヨハネ1.29~34

2014年1月19日

毎年のことながら、関係者のみならず、広く国民から注目されていて、正月恒例になっているのが「大学箱根駅伝」ではないでしょうか。今年の箱根駅伝は東洋大学の完勝でした。競技前に注目され、期待されている選手、そうでもない選手、さまざまですが、自分の役割を果たそうとする懸命な姿、自己の限界に挑戦しながらタスキをつなごうと、ひたすら前に進む脚力には感動します。

その中でさらに注目される区間があります。「山登り」と言われる5区です。この区間で、驚異的な記録を残した「山登りのスペシャリスト」として注目された選手が、近年では、ご存知の通り柏原竜二選手でした。5区といえば「柏原」と言われるほどに、4年連続で名を残しました。今年も、山登り=柏原選手のイメージが強く残っている箱根駅伝であったといえます。

何もスポーツ選手だけでなく、「~の神さま」と言われなくても、何かの称号がついて、そういうことばが耳に入りますと、その人の姿が浮かんでくるというのも不思議なものです。例えば、同じようなことで、「寅さん」といえば、葛飾柴又、渥美清さんが浮かんできます。「007」といえば、わたしの時代では、古い話ですが、ショーン・コネリーを思い出します。

人はある「しるし」を見ただけで、そのしるしが持つストーリー、内容を連想し、わかってしまう時、ことがあります。今日の福音書は、イエスさまがどんな方なのかを伝える一つのイメージを提供しています。「世の罪を取り除く神の子羊」という称号です。

人びとの罪を背負って苦しまれて亡くなっていく「主の僕」であり、出エジプトの「過越しの小羊」です。イエスさまがヨハネの方に近づいていきます。イエスさまに出会って、その洗礼の時に起きた出来事の意味を知り、確信するのです。

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イエスさまの生きる基になっているのは、ヨハネが指摘した「世の罪を取り除く神の小羊」としての役割なのです。いわゆる生きる「原理」とでもいうことができるでしょうか。その生き方は絶対にぶれないのです。しかも、その「原理」は愛情に満ち溢れています。

わたしたちの日常は、法律に基づいた安全の世界です。それは永久不変ではありません。絶えず変更され、時には人間をがんじがらめにしてしまいます。幸いにも、人はそれに気づかないのです。だから、人は殺伐とした日常を送ってしまいます。イエスさまの生きる原理は、永遠に変わることなく、温かいゆとりある思いやりと、安心できる包容力に満ちています。

はたして「わたし」の生きる原理はどこに根ざしているのでしょうか。

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