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年間第2主日:主のみ言葉の伝播は、「わたしの居場所」への招待状

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年間第2主日(B年)の説教

2024年(B年)説教の年間テーマ=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第2主日(B年)の説教=ヨハネ1・35~42

2024年1月14日

第一印象は大事。最初の6~7秒で決まる?

「ファーストインプレッション」という言葉があります。特に、日本人はこのことを大事にする国民であるといわれますが、どんなものでしょうか。そもそも「ファーストインプレッションは大事」 という言い回しには、「第一印象はとても大事」という意味があります。つまり、 人が相手に対してどのような印象を持つかは、その後の数十年と言えるような長い時間に影響するほど大切なことなんですということです。 「ファーストインプレッション」 で失敗してしまったら、その後何十年かけても、取り返せないような、大きな痛手を負う事になります。ほどそれほどに重要な印象なんですね。

一般的に言って、人というのは、出会ってからほんの数秒の間に相手の印象を決めてしまうものだそうです。 要は、最初に与える印象が大切ということなのですが、これを「初頭効果」と呼ぶそうです。 この初頭効果があるからこそ、第一印象が大切だと言われているのです。 相手の見た目から瞬時に印象を決め、その印象がその人の中で長く持ち続けられることになるのです。(ca-career.net参照)

そう言われて自らを振り返ってみますと、そうかもしれないと納得している自分を発見しませんか。「一目ぼれ」とかは、やはりファーストインプレッションの類に入る印象なんでしょうかね。

ポイントは笑顔など五感に触れるもの

だとするならば、第一印象をよくすることが大事になります。第一印象は、初対面で出会ってからだいたい6秒から7秒で決まると言われています。そんな短い時間の中で自分の第一印象は決まってしまうのです。そして、一度悪い印象を与えてしまうと挽回するのはなかなか難しいものです。

一般的に、第一印象がいい人というのは、清潔感がある笑顔、髪型が整っている、TPOに合わせた服装、テキパキした動き等、そのほとんどが外見上の見た目で決まるとさえ言われています。笑顔、身だしなみ、さらには話し方など、どうしても五感に触れるものが、良い印象を与えるのにおおきな影響を持つといえます。

イエス誕生の外見とその神秘を探ってみる

このような視点からイエスの周りにおきる出来事を見たときに、その当時の大多数の人々には、イエスの誕生がごく普通の貧しい家庭の間の、当たり前の出来事として見過ごされてしまっていたはずです。外見上、そのほとんどがわかるとはいっても、どうしても見えない部分が残ります。実は、イエスの誕生の話には、外見上の平凡さの背後に隠されている神秘を、わたしたちに示そうとされている神の働きかけがあるのです。

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そのことを示してくれたのが、ルカ福音書では夜空にあらわれる天使たちのメッセージであり、マタイ福音書では、東方からの博士たちを導いてくれた星でした。多くの人たちが気づくこともなかった神秘の存在を知らせるものでした。それというのは「救いの奥義」でした。そして、その知らせに触れることができた人々もほんのわずかな人たちでした。

洗礼者ヨハネが隠された計画を明かした

このことを今のわたしたちに示してくれたのが、洗礼者ヨハネだったのです。イエスは隠された平凡な存在として、わたしたちの間に生活しておられます。わたしたちと同じ外見を取り、ご近所に生活し、わたしたちと同じ生活空間にいるのです。その中にあって、わたしたちには隠された神秘、わたしたちを救おうとされる天の父の計画を、ヨハネは自分の弟子たちに示すのです。すなわち、近づいてくるイエスの外見の奥に隠されている神秘を見抜き、星が三人の訪問者たちに、天使が羊飼いたちに示したように、です。

「ヨハネは証しした。『わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を1人である』とわたしに言われた。 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。』 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子そして、歩いておられるイエスを見つめて、『見よ、神の小羊だ』と言った。」(ヨハネ1・32-36)

彼らはヨハネの言葉でイエスの後を追った

ふたりの弟子がイエスの後を追ったのは、イエスを見たからではなく、ヨハネに聞いたからです。「聞く」ことがイエスとの出会いの始まりです。そして、弟子たちはイエスと一緒にそこに「泊まった」のです。そして、洗礼者ヨハネが「神の子羊」と証ししたイエスがどのような方であるかを身をもって体験したのです。そこから彼らの新しい歩みが始まりました。したがって「泊まる」という言葉は、「自分の本来の在り方を見出した場所」「教えや信仰など、ある状態にとどまる」の意味になります。二人の弟子たちは、イエスのもとに留まったことにより、自分たちの居場所を見出したということができるのではないでしょうか。これにより弟子たちの生活が一変します。彼らはその喜びを分かち合うために外に出て仲間をイエスのもとに連れていきます。

日々、神の呼びかけに心を傾ける訓練を

こうして今に生きるわたしたちにも信仰の遺産が引き継がれているのです。そして、今のわたしたちは、後世に語り継いでいく役割を負っています。「自分の居場所を見つけたもの」として、喜びの分かち合いをしていくのです。多くの人に真の居場所を見つけてほしいからです。み言葉の伝播は、いわば、わたしたち一人ひとりの居場所、信仰共同体への強いお誘いです。自信をもって、力強く、でも、謙虚にお招きしましょう。

神からの呼びかけに気づかないふりをしないように。日常の中で、周りに配慮しながら、見えるものを通して、その奥に秘められている大事な、尊い神の思いに耳を、目を、心を傾ける訓練を日々大事に。

はたして、キリスト者としての「わたし」の第一印象は、・・・?

 

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