『年間第3主日』の聖書と説教一覧はこちら

年間第2主日:イエスのもとにとどまる。真の「わたしらしく」なるために

この記事は約5分で読めます。
年間第2主日(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

年間第2主日(B年)の説教=ヨハネ1・35~42

2021年1月17日

「恵美子さん、写真を撮ってもいいかな?」。静岡県藤枝市で一人暮らしする夏目恵美子さん(87歳)に、テーブルの上におかれたロボット「みまもりパペロ」が話しかけます。

藤枝市で単身高齢者の見守りにロボット

藤枝市は単身高齢者の見守りに活用してもらおうと、昨年から希望する市民に有料でパペロの貸し出しを始めました。設定した家族・長女で会社員の佐伯由佳さんらへ定時に画像を送信したり、家族からのメッセージや市の防災情報などを受信すると読み上げたりするのです。緊急連絡ボタンを押すと警備会社が駆け付けるなど、機能は多彩です。

夏目さんは携帯電話でメールも使いこなせますが、仕事で忙しい娘さんに連絡する際は気を使われるようで、「決まった時間のやり取りなので、むしろ連絡しやすくなった」と喜んでいます。

一方、娘さんの佐伯さんも、気軽に実家へ連絡できるようになって嬉しいとのこと。メールだと長文になりがちだが、メッセージなら一言二言で済ませやすいので、毎日、母の笑顔が見られるのもうれしいと語っておられます。

「みまもりパペロ」を開発したNECによると、昨年はコロナの感染拡大を受けて全国の自治体から問い合わせが相次ぎ、滋賀県長浜市などが実証実験を実施。利用者からは「双方向でやり取りができる」などと好意的な声が寄せられているといいます。

遠方から地元の専門職に依頼する方法も

一方で、「遠距離介護は地元の専門職に頼ることが原則。コロナで会えない期間が長くなっているが、手紙や写真を送るなど家族の存在を身近に感じられる工夫をして乗り切って」と呼びかけるのが、NPO法人「パオッコ」理事長の太田差恵子さんです。さらに、「感染拡大地域から親族が帰省した場合、2週間は介護サービスを利用できないというルールを適用する事業者も少なくない」と指摘。「会いに行きたいが、行ったら介護してもらえなくなる」とも語っています。それで、帰省を控えた人もいるとのことです。(読売新聞西部本社2021年1月7日朝刊)

孤立防止の知恵と策は時代とともに進化

かつて、ある高齢者の方が、よく口にしていたことを思い出します。「現場から身を退くと、周りから相手にされなくなり、情報が一切入ってこない」とポツリ。生きている体験、実感が失われていくんですね。「人は孤独かもしれないが、孤立であってはいけない」とは、これまでの人生の中で感じてきたことだし、だからこそ、他者をも大事にできるんだと思ってきました。しかし、一人ひとりがこうなって初めて、人生はもっと楽しくなっていくんでしょうね。是非そうあってほしいと思っています。

人の世は、いつの時代も、最後にはいいものが残り、世代が交代していく流れとともに、それらが継承され、さらに発展していきます。イエスの誕生は、長い間、語り継がれてきたイスラエルの民の「悲願」でした。受肉したメシアに関する話です。その民がすべて、その話が現実化していることを知るわけもありません。ごくかぎられた羊飼いと東方の博士たちでした。片や貧しく、社会的にも知られていない人、方や異邦人を代表したかのような人々です。

年間第2主日:イエスは「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。
年間第2主日(B年)の聖書=ヨハネ1・35~42 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。

さらに主人公のメシアといえば、貧しく、無力で、神の力強さなど微塵も感じない、飼い葉おけの中にすやすやと寝ておられるのです。外見上、他者をひきつけるような特異なものを見ることはできません。

平凡さの背後に隠されている神の神秘

こうした外見上の平凡さの背後に、神の大きな働きかけを感じるのです。ルカ福音書によると、それは、輝く夜空にあらわれる天使たちのメッセージであり、当方からの博士たちを導いてきた星です。「天使」「星」は、多くの人々が、気づくことができなかった神の神秘を教えるものでした。赤ちゃんイエスの小ささ、貧しさの中に救いの奥義が秘められていることを示すものだったのです。

きょうの福音書では、隠されている神の神秘を、洗礼者ヨハネがその弟子たちに示す場面が登場します。イエスは成長したとはいえ、まだ、人々にとって隠されたごく平凡な存在者です。そのイエスを指して「見よ、神の子羊だ」と、ヨハネは教えます。二人の弟子はイエスの後からついていきます。イエスは振り返って二人に言われます。「何を求めているのか」と。彼らが、「ラビ‐『先生』という意味‐どこに泊まっておられるのですか」とたずねると、「来なさい。そうすれば分かる」と、答えられます。二人の弟子は、イエスの生活にふれてみようとしたのでした。つまり、イエスのもとに「とどまる」ことにしたのです。

イエスをぬきにして「わたし」はないのです。また、イエスを失うことは、キリスト教はなくなるということです。イエスとともに「とどまる」ことが「わたし」をより「わたし」たらしめることなのです。別の言い方をしますと、イエスとともにいることが「安心できる」からこそ「わたしらしく」なっていくのでしょう。より人間らしくなっていくのです。

神はいつも、わたしたちの後ろ盾である

「みまもりパペロ」は、ロボットとはいえ、一人暮らしの高齢者にとって「安心できる」存在であり、だからこそ、その「おばあちゃんらしさ」、「おじいちゃんらしさ」を保持し、より人間らしさを保ったまま、その生きざまを次世代に繋いでいきます。

基本的には、人は人を相手にしてこそ元気が出るし、より「わたしらしく」なっていくし、安心できるからこそ、よりよい成長ができるし、そして、それらを日々実感できるようでありたいと願っています。そのためにも、神はいつも、わたしたちの後ろ盾になり続けているのです。

イエスはその生涯を通して、
わたしたちに教えます「情けは人の為ならず(隣人愛)」

 

【1月17日】年間第2主日(B年)の聖書はこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました