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主の洗礼:神とともにある日々を大事に、音のないメッセージを読み解く

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主の洗礼(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

主の洗礼(B年)の聖書=マルコ1・7~11

2021年1月10日

コロナ下で気づくべき「メッセージ」

年が明けてもなお、新型コロナウイルス感染の勢いは増すばかりです。いつ、このような重苦しい状況から抜け出し、安心した日々を送ることができるようになるのか、まったく見当がつきませんね。特段に良いことはなくても、普段の静かな日々がいかに大事で、小さいながらも幸せであったのかが再認識できたようです。それだけに、今の重苦しさがもっと強く感じられます。

そして、普通の状態に戻ると、また、「ないものねだり」が始まるのでしょうか。だとすれば、今の苦しさ、不便さ、やるせ無さは、どんな意味が、大げさに言えば、どのような人生の価値が、わたしたち一人ひとりにとってあるのでしょうか。何かのメッセージが一人ひとりに向けられているような気がしてなりません。それって何でしょうか。

一方で、首都圏への緊急事態宣言再発令を決定する方針が示されて、関係者には動揺が広まっているということです。つまり、成人式を故郷である鹿児島でと考えている都内の大学に通う女子学生(20歳)は、PCR検査を受けた上で、10日の式典直前に帰省する予定であるといいます。(南日本新聞2021年1月6日朝刊)帰省した際の宿泊はホテルだということです。「正直肩身が狭い」とポツリ、言いたくもなるというものです。

また、年末に帰省した学生は、二週間自宅にこもりっぱなしで、式典後は直ちに都内に戻るといいます。それでも、昨春のような航空便への影響を心配しているそうです。

いずれにせよ、「往来する」こと自体が、何となく不安材料になってきます。また、大学入試を前にした今、大学受験等に送り出す高等学校側としては、感染防止対策の徹底や精神的なケアを大事にしているということです。

ポジティブであり続けることこそ大事

生きることへの不安、恐怖が募ってきますと、精神的に追い詰められ、おかしな状態の方へと進み、うんざりしてきます。国民の日々を安心して過ごしてもらうためにも、罹患者の数の発表も大事ですが、「それでもみなさん、・・・」と、一人ひとりに希望を抱いてもらうためのメッセージも同時に発出してほしい、そのような気がしています。緊急事態宣言と同時に、前を向いて元気が出るような生きたメッセージは発出できないものでしょうか。

ある友人と語り合ったときのことでした。「それでも、感染防止をすることは、他の人へのやさしさであり、温かな心配りだよな。そのような人が一人でも増えていくこと、今こそ、そのように忖度し合う仲間を増やすこと、そこに、感染防止する意義があるのではないんだろうか」と。書き言葉に表現するとぎこちない文章になりますが、ひと言でいえば、「ポジティブであり続けること」です。いつも、プラスになる要素を見つけようとすることです。悲観的になりやすい情報だらけだけど、それでも、どこか楽観的になれる情報だって見つけられるはずだという前提のもとに、動き続けることでしょう。

その思いが、動きが今の苦境を突き破って、明るいあしたをもたらしてくれます。

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きょうは、主の洗礼の祝日です。「イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった」のです。

現実を突き抜けた先に見えるものとは

「天が裂けて」という言葉が気になります。物理的な空間としての「天」はわかるとして、イスラエルの民は、それとは異なった見方を抱いているようです。つまり、神の住まいとしての「天」です。これは、わたしたち五感に触れる領域のものではないのです。物理的空間としての「天」の先に、神の姿を思い出しています。

神の住まいとしての「天」は、仮に、わたしたちが、宇宙空間をどこまでも移動できるとしても、そこに到達することはできないのです。それは、肉の目とは異なる目で「仰ぎ見る」(信じて仰ぐ)ものだからです。したがって、「信じて仰ぐ目」は、肉の目よりもより確かに、「天」を「現実」なものとしてとらえることができます。これが、神を信じて今を生き抜いていくということです。信仰の目がその人の道を見出させてくれるのです。

その現実を突き抜けた先に見える新たな輝きのある「わたし」が、イエスとともにそこにいるのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という生き方ができるように招かれています。そして、イエスが神からの人であることが分かるのです。

音を発しないメッセージを読み解きたい

これが「洗礼を受ける」ということでしょう。そして、招かれた方の心と望みを受託することです。そこから出てくる大事な課題を背負って歩んでいくことでもあります。

この視点から今の現実を眺めるとき、何らかの神からのメッセージを覚えないでしょうか。「神とともにある」のであれば、苦しみ、辛さばかりではなく、楽観的にさせてくれる何かもあるはずでしょう。「音」を発しないメッセージを読み解きたいですね。

主の洗礼の出来事は、現実を突き破った先に、わたしたちの目と心を向けさせる「仰ぎ見る目」に気づかせてくれます。その歩みを謙虚に続けましょう。いつの日か、今望んでいることが目の前に展開される日が来ます。だから「祈る」のです。

 

【1月10日】主の洗礼(B年)の聖書はこちら

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