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年間第2主日:本当の救いを求めて燃えていることを目指しましょう。

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年間第2主日(A年)の説教=ヨハネ1・29~34

2017年1月15日

2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

神のふところは限りなく大きい

人生初めて出会う人はお母さん

わたしたちがこの世に生を受け、初めて“コミュニケーション”と呼ばれる関わりを持つ人は、やはり「お母さん」でしょう。「わたし」の人生で最高の方との出会いでこの世の生活が始まったのです。「お母さん」は、「わたし」の命を育み、この世に送り出してくれた方であり、慈愛の心で「育ち」を見守ってくれる方だからです。小さい頃の自分は、そのことを覚えていないのです。

「おふくろの味」は前へ進む力なり

また、子育ての真っ最中のお母さんは、あらゆる手段を講じてわが子を守るために配慮します。衣食住の全般にわたり、苦労を惜しみません。さまざまな工夫を凝らし、その工夫の結果が子どもの記憶に残っていきます。中でも、「おふくろの味」と称するものは、その家庭ならではの味付けであり、その家の子どもたちがそろうと懐かしい話として思い出されます。

悲しいかな、その料理の名前を記憶していません。そもそも名前があったのかどうかも怪しいです。だって、母親独自の自家製手料理の可能性が高いからです。そして、その子どもたちは新しい家庭をつくり、そこでもその味は引き継がれていきます。こうして自ずと「財産」が上積みされていくのです。その財産は、懐かしいだけでなく、何かの時には、人生の中で前に進むエネルギーにもなっていきます。

こうした動きは、時代、国、民族を問わず繰り返されていきます。先人たちの歩んだ道のりを参考に生かし、成長し、人としての豊かさを身につけていくのです。

一期一会に込められた思い

「一期一会」ということばがあります。辞書を調べてみますと「茶の湯ですべての客を、一生に一度しか出会いのないものとして、悔いの無いようにもてなせ、という教え」とあります。(新明解国語辞典・三省堂)

単に「もてなし」という意味だけでなく、その出会いによって、双方が人としての「人となりの成長」の機会をいただいたということでもあります。じっくりと自分を振り返ってみますと、どこかで、幼いころの両親との出会いが、今の自分に影響していることを感じます。

作法、仕草、言葉使いなど、ふと親の影響を感じます。年を重ねる度にその度合いは濃くなっていくようです。幼い頃の親との出会いは、まさに一回きりです。

イエスとの出会いに気付くこと、それは恵みです

今日の福音では、イエスさま、ヨハネとその弟子たちの出会いが描かれています。ヨハネは弟子たちにイエスさまの正体を示そうとします。弟子たちは、ヨハネとの出会いがあったからこそ、新たにイエスさまとの出会いに招かれていきます。出会いの輪が広がり、それだけイエスさまに影響される人物になっていきました。

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今も昔も変わりなく、「出会い」の重さに気付かされます。わたしたち一人ひとりの人生が大きく影響を受けるからです。その出会いが、自分にとって恵みとなるか不幸の原因となるか、決定づけられるからです。

洗礼者ヨハネの弟子たちにとって、イエスさまとの出会いは恵みでした。それは、ヨハネとの出会いの時に決定づけられていたということができるでしょう。つまり、ヨハネが持っていた神への情熱にふれたときに、彼らはすでに、イエスさまへ方向づけられていたといえるのではないでしょうか。ヨハネの外観は決して目立つ存在ではありません。しかし、心のうちは、神と真実への情熱に燃えていたのです。当たり前のごとく、みな、イエスさまの方へ導かれていきました。

わたしたちはイエスへの道案内人

今に生きるわたしたちも、気づいたらいつの間にか、この人、あの人の側に立っていた、ということはあるのではないでしょうか。わたしたちの生きる姿を見て、イエスさまを見せ、語るわたしたちを見て、人々がイエスさまのもとに馳せ参じているでしょうか。わたしたちが、本当に救いを求めて燃えていることを目指しましょう。願いましょう。

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