2022年/C年説教=弱き者を救う神 年間第27主日:神と人との隔たりは無限。だから、神からの恵みを願う 神は創造主であり、わたしたちは被造物です。したがって、神とわたしたちの間には本質的な差があります。神と交わりを持てるとすれば、それは、ひとえに神からの一方的な恵みによるものです。 2022.09.29 2022年/C年説教=弱き者を救う神
日曜日の聖書 年間第27主日:しもべが主人に命じられたことを果たすのは当然だ 年間第27主日(C年)の聖書=ルカ17・5~10 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木 に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。 2013.10.03 日曜日の聖書
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き 年間第27主日:全ての良しは「神に似せて創られたわたし」の始まりに 「わたし」は神に似せて創られています。だからこそ、弱点だらけの「わたし」でも、自分の原点に戻って前に進むことができます。「始まり(原点)」は、やはり大事であるということではないでしょうか。 2021.09.30 2021年/B年説教=新しいいのちの輝き
日曜日の聖書 年間第27主日:神が結び合わせてくれたものを、人は離してはならない 年間第27主日(B年)の聖書=マルコ10・2~16 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。 2015.10.01 日曜日の聖書
2020年/A年説教=応えていますか、いつも 年間第27主日:わたしの回心を妨げているもの、それは自分自身の中に 表面をいくらつくろってみても、また、駆け引きで面子が保てたとしても、所詮、利己的な己の世界を脱することはできません。権威と地位に胡坐をかくことなく、自分の、今置かれている立場を振り返って見つめましょう。 2020.10.01 2020年/A年説教=応えていますか、いつも
2019年/C年説教=召ばれています、いつも 年間第27主日:フィアット(我になれかし)。神の導きにゆだねる生き方を 今日の福音は、「わたしたちの信仰を増してください」という弟子たちの問いかけ、叫びに対して話された「たとえ話」です。そうなんです。わたしたちがそう願う前に神はすべてを準備してくださっています。 2019.10.03 2019年/C年説教=召ばれています、いつも
2018年/B年説教=神への道標 年間第27主日:すべては基礎から始まり、長い年月を経て実り熟する ノーベル賞を受賞した医学の「基礎研究」は長い年月の先に、その実りが熟しました。わたしたち自身も、目の前のことだけにとらわれず、「人として、信仰者として」の生き方の基本(自分らしさ)を、しっかりと築き、そのための時をかけたいですね。 2018.10.04 2018年/B年説教=神への道標
2017年/A年説教=神のふところ 年間第27主日:意識改革こそ必要。回心とはより善いものを目指す志です 自分の足りないところ、弱いところを正すことだけが「回心」ではない。より善いことに目覚めていくことが本命だと思います。これまた、大きな「意識改革」ではないでしょうか? 2017.10.05 2017年/A年説教=神のふところ
2015年/B年説教=イエスのこころ 年間第27主日:永遠の愛を誓う姿に「神の似姿」としての尊さがある 「永遠の愛」の根拠は、その死をもって愛の理想を示してくれたイエスさまにあります。誓った愛を生きようとする二人とともに、イエスさまは歩まれるのです。 2015.10.01 2015年/B年説教=イエスのこころ
2016年/C年説教=神のぬくもり 年間第27主日:「神の子」という自分の名前に誇りがありますか? 日本人は律義であると言われます。特に、人の名前に関してはとても敏感な反応を示すようです。ところが、名前は名前でも、日常、わたしたち自身、あまり気にしないで使っている名前があるようです。「日本」国名は「にっぽん」ですか、「にほん」でしょうか。実際にはあまり気にしてないですよね。どのような使い分けをしているのか、自分でもはっきりしませんが。 2016.09.29 2016年/C年説教=神のぬくもり
2011年/A年説教=神のみことば 年間第27主日:イエスさまはいつも、援助の手を差し伸べています 日常の生活の中で、出会ってきたイエスさまの言葉、行いの中に、その実、本当の救いへの道筋が示されていたのです。それを発見するのを妨げているものは何でしょうか。自分の心の奥をじっくりと眺めてみましょう。 2011.09.30 2011年/A年説教=神のみことば
2014年/A年説教=神のたしかさ 年間第27主日:欲望が自分の悔い改めを妨げていないか確認すること 表面をいくらきれいに飾っても、その「化けの皮」は剥がれていきます。あくまでも表面だからです。「嘘の皮」はそぎ落として、その奥を見つめましょう。謙虚であり続けるために、・・・。 2014.10.02 2014年/A年説教=神のたしかさ
2013年/C年説教=寄り添うイエス 年間第27主日:神の愛が先にあることの気付きが真の信仰に導く 神からの愛に見合うだけの愛を返すことはできないほど、神からの愛は無償で温かくて深い。だから私たちは「しなければならないことをしただけです」としか言 いようがないのです。 2013.10.03 2013年/C年説教=寄り添うイエス
日曜日の聖書 年間第27主日:主がなさる不思議なわざ、捨てられた石が隅の親石となった 年間第27主日(A年)の福音=マタイ21・33~43 ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。 2014.10.02 日曜日の聖書