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年間第27主日

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第27主日:わたしたち互いの交わりは、永遠を見つめ、前に進んでいる

結婚の誓いは期限付きではなく、お互いがその命を神に返す時まで、つまり、永遠を見越した約束です。人間の営みはすべて、永遠に向かっています。イエス・キリストは、そのためにご自分を十字架上にささげられたのです。互いの交わりを深め高めてこそ、社会のひずみ、寂しさも正常化されていくのではないでしょうか。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第27主日:回心すること、立ち返ることを「邪魔するもの」に注意しなさい

生活に疲れた人、社会の底辺に追いやられて苦しんでいる人へのイエスの励ましのメッセージは、律法学士、長老、祭司長たちには受け止めてもらえなかった。現代社会で回心し立ち返ることを邪魔するものとは何でしょうか?
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第27主日:神と人との隔たりは無限。だから、神からの恵みを願う

神は創造主であり、わたしたちは被造物です。したがって、神とわたしたちの間には本質的な差があります。神と交わりを持てるとすれば、それは、ひとえに神からの一方的な恵みによるものです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第27主日:全ての良しは「神に似せて創られたわたし」の始まりに

「わたし」は神に似せて創られています。だからこそ、弱点だらけの「わたし」でも、自分の原点に戻って前に進むことができます。「始まり(原点)」は、やはり大事であるということではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第27主日:わたしの回心を妨げているもの、それは自分自身の中に

表面をいくらつくろってみても、また、駆け引きで面子が保てたとしても、所詮、利己的な己の世界を脱することはできません。権威と地位に胡坐をかくことなく、自分の、今置かれている立場を振り返って見つめましょう。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第27主日:フィアット(我になれかし)。神の導きにゆだねる生き方を

今日の福音は、「わたしたちの信仰を増してください」という弟子たちの問いかけ、叫びに対して話された「たとえ話」です。そうなんです。わたしたちがそう願う前に神はすべてを準備してくださっています。
2018年/B年説教=神への道標

年間第27主日:すべては基礎から始まり、長い年月を経て実り熟する

ノーベル賞を受賞した医学の「基礎研究」は長い年月の先に、その実りが熟しました。わたしたち自身も、目の前のことだけにとらわれず、「人として、信仰者として」の生き方の基本(自分らしさ)を、しっかりと築き、そのための時をかけたいですね。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第27主日:意識改革こそ必要。回心とはより善いものを目指す志です

自分の足りないところ、弱いところを正すことだけが「回心」ではない。より善いことに目覚めていくことが本命だと思います。これまた、大きな「意識改革」ではないでしょうか?
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第27主日:永遠の愛を誓う姿に「神の似姿」としての尊さがある

「永遠の愛」の根拠は、その死をもって愛の理想を示してくれたイエスさまにあります。誓った愛を生きようとする二人とともに、イエスさまは歩まれるのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第27主日:「神の子」という自分の名前に誇りがありますか?

日本人は律義であると言われます。特に、人の名前に関してはとても敏感な反応を示すようです。ところが、名前は名前でも、日常、わたしたち自身、あまり気にしないで使っている名前があるようです。「日本」国名は「にっぽん」ですか、「にほん」でしょうか。実際にはあまり気にしてないですよね。どのような使い分けをしているのか、自分でもはっきりしませんが。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第27主日:イエスさまはいつも、援助の手を差し伸べています

日常の生活の中で、出会ってきたイエスさまの言葉、行いの中に、その実、本当の救いへの道筋が示されていたのです。それを発見するのを妨げているものは何でしょうか。自分の心の奥をじっくりと眺めてみましょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第27主日:欲望が自分の悔い改めを妨げていないか確認すること

表面をいくらきれいに飾っても、その「化けの皮」は剥がれていきます。あくまでも表面だからです。「嘘の皮」はそぎ落として、その奥を見つめましょう。謙虚であり続けるために、・・・。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第27主日:神の愛が先にあることの気付きが真の信仰に導く

神からの愛に見合うだけの愛を返すことはできないほど、神からの愛は無償で温かくて深い。だから私たちは「しなければならないことをしただけです」としか言 いようがないのです。
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