年間第21主日

日曜日の聖書

年間第21主日:あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じています。

年間第21主日(B年)の聖書=ヨハネ6・60~69 〔そのとき、〕弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。
2018年/B年説教=神への道標

年間第21主日:イエスの人格に惚れ、委ねる。信仰者の生きる姿がそこにある

徹底的に自分を変革したいなら、その人の「人格」にかけることです。委ねることです。「信じている」からこそ理解し、変えられ、納得できる歩みができます。そのような人を、誰でも「尊敬できる人」として持っているのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第21主日:欲望に引きずられながら信仰に生きようとする「わたし」

わたしたちにとって大事なことは、「人そのもの」です。問題点ばかりを探しあてたところで、その人の本物に近づくことは難しくなります。わたしたちは、崇高さと煩悩さを兼ね備えた存在です。こうした人間の中に、信仰があり、だから恵みに支えられているのです。
日曜日の聖書

年間第21主日:イエスはペトロに「あなたに天の国の鍵を授ける。」と言われた。

年間第21主日(A年)の福音(マタイ16・13~20)イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第21主日:神を信じて生きると、人はもっと豊かに魅力的になる

「信じる」ということは、まさに、その人に向かうことであり、その人を見つめ、その人にゆだねることなのです。論理的にわかりにくいことがあっても、その人を信じているがゆえに受け入れていくことができます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第21主日:子どもはイエスさまに出会うための条件を自ら備えている

「狭い戸口」と「幼子」はつながっているような気がします。子どもは未熟ですから自分を任せます。他者からの手助けを拒みません。さらに、そこにいることで人々に元気とやすらぎを与えてくれます。
日曜日の聖書

年間第21主日:救われたい者は、狭い戸口から入るように努めなさい

年間第21主日(C年)の聖書=ルカ13・22~30 〔そのとき、〕イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第21主日:「狭い戸口から入るように!」は鍛錬の勧めです

イエスさまとつながっている限り、その業は具体的であり、大きな助けとなっていきます。この確信を深めたいですね。「狭い戸口」は特別困難な入り口ではなくなるのでは、・・・。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第21主日:信仰とは納得できなくても己を委ねきる神への信頼

ペトロは「主よ、だれのところにいきましょう。あなたは永遠の命のことば・・・」と。日常同じような人との付き合いをわたしたちは実践しています。神さまとなるとなぜかぎこちなくなります。なぜ?
2011年/A年説教=神のみことば

年間第21主日:聖と俗のペトロはわたしたち信仰者の始まり

ペトロの中にある強さと弱さ、美しさと醜さ、その中で彼の信仰は強められていったのでした。今に生きるわたしたちとて同じです。心の奥では崇高な神を見つめながら、一方では平凡な幸せを求め、汚い欲望に引きずられている自分を発見します。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第21主日:信仰とは、「神の味方であるかどうか」ということです

イエスさまの正体は「何者か」。今日の福音でペトロが「まことにあなたは神の子です」と宣言することによって、イエスさまの正体はわかっていることを証明します。