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年間第21主日:イエスの人格に惚れ、委ねる。信仰者の生きる姿がそこにある

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「神への道標」

2018年説教の年間テーマ「神への道標」

年間第21主日(B年)の説教=ヨハネ6・60~69

2018年8月26日

今夏の異常高温と台風の多発が気になる

今年の夏は、わたしにとって、いくつかの面で気になる出来事があります。先ずは、気候の異常現象です。以前は、気温が30℃を超えると大変な暑さ、といって騒動したものでした。最近では、30℃は当たりまえのことで、国民も大して驚かなくなりました。40℃になって、やっと皆が騒ぎ出すという状況です。この何十年かの間に、気温が10℃も上昇してきたということですね。さらに上がることはあっても、下がることはないのではないでしょうか。心配ですね。

それに呼応するかのように、台風の発生が多いです。しかも、台風の発生場所がいつもと違うところですし、その進路も異常な感じがします。自然界が不規則な様相を見せることは、何かが尋常ではないことを意味しているような気がします。

100回記念から垣間見る将来の高校野球

次に、夏の高校野球甲子園大会が、100回記念大会を迎えたということです。往年の選手たちが始球式をしてその記念を祝い、後輩たちを激励する姿はいいですね。記念大会を迎えて、日本高校野球連盟は、新たにこれからの百年に向けた「高校野球二百年構想」を、今年の5月に発表しております。(讀賣新聞大阪本社、2018年8月19日朝刊)

それによりますと、

△野球をしたことのない子どもが競技に触れる機会を増やす

△小中学生らを対象に長く野球を続けられる環境を整え

△けがで野球を諦めることのない故障予防・・・など五つの目標を掲げています。

こうした構想設定の背景にあるものは、人口減少、そして、それに伴う子どもの野球離れが深刻なものになってきていることが挙げられます。それも、地域間で格差が大きくなっているのです。因みに、高校野球部員数を当たってみますと、上位の方には大都市圏が顔を並べ、下位の方には地方県が並びます。特に、上位トップの東京が10,355人であるのに比べ、下位の鳥取県は898人といった具合です。

危機感をバネに更なる創意工夫の成果を期待

このような現実を背景にして、日本高校野球連盟は、少子化の進行スピードが激しく、夏の甲子園ですべての都道府県から代表校が出せない時が来るのではないかという危機感を募らせているようです。したがって、従来の高校野球のあり方を変える必要性も出てくるのではないかと、高知大学の中村哲也准教授は指摘しています。それでも、人間の知恵から湧き出る創意工夫の成果を期待することができます。

人が関わる歴史は、どの事象を取り上げても、過去において幾多の困難を抱え、それらを乗り越えてきた連続で綴られてきたのではないでしょうか。もちろん、その中には喜び、成功、新たな挑戦等もあったのだと思います。人間の工夫努力で解決し、発展することも多々あれば、どうしようもなく、途方に暮れることだってたくさんあります。

自然災害が人の心身に及ぼす影響は甚大だが

しかし、自然界の脅威には抵抗できません。その発生を防ぐことなど、人の知恵の及ぶところではありません。過去の事象が証明しています。特に、今年の異常気象、それに伴う自然災害等は、人がつくり上げた便利でかつ有用なものを、ことごとく崩し去らせてしまうのです。歴史上、思い出したくもない悲惨な東日本災害、それが人の心身に及ぼす影響は甚大です。

人間相手の困難の原因は「こころ」の問題

したがって、人間が相手のときには、完璧にとはいかなくても、できなくはない場合があり得ます。それというのも、「できなくしている」原因は、そのほとんどが「こだわり」「頑固」であったり、「偏見」「わがまま」だったりするからです。つまり、外部からの、ちょっとしたいい刺激で、いい方向へと変わりうるものであるといえないでしょうか。人が生きている現実、並びに生きがいは、他者とのかかわりの中で楽しく、さらにもっと生きようとしていくエネルギーをいただくからです。

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イエスさまと民衆の関係もそうでした。彼らはイエスさまの奇跡を見、体験するたびに熱狂し、興奮し、挙句の果ては、「王」にまつりあげようとまでしたのです。現実的に、ローマの植民地支配から逃れたかったのでした。そのための指導者として、イエスさまを押し上げようとしたのです。そこまで気持ちは高揚していたのに、イエスさまの話が難しくなると、「耳をかすことのできない話だ」といってたじろぎ、ゆきづまり、離散していきました。

先入観、利己心などが邪魔して本質を見失う

いわゆる、彼らの「先入観」「人間観」「利己心」「現実主義」等が邪魔をして、イエスさまご自身の本心を見抜くことができなかったのです。彼らにとってイエスさまは、あくまでもナザレ人、大工の子、貧しい家に生まれ、十字架の刑による無残な死によって消えていく、ごく普通の人間でしかなかったのでした。人の感覚で合理的に説明ができないことだったのです。

だからこそ、徹底的に自分の変革を期待するなら、その人の「人格」にかけることです。委ねることです。「信じている」からこそ理解し、変えられ、納得できる歩みができます。そのような人を、誰でも「尊敬できる人」として持っていらっしゃるのではないでしょうか。

自然界の力を利用しながら、人とのかかわりに挑戦し、よりよくこの命を生きましょう。

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