年間第21主日:あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じています。

今週の聖書-B年

 

年間第21主日(B年)の聖書=ヨハネ6・60~69

2018年8月26日

〔そのとき、〕6・60弟子たちの多くの者はイエスの話を聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」

61イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。

62それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば…。

63命を与えるのは〝霊〟である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。

64しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。

65そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」

66このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。

67そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。

68シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。

69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

 聖書本文は 日本聖書協会の「新共同訳聖書」から引用しています。
日曜日の聖書は、日曜日の説教とともに毎週木曜日の夕方に更新されます。
カトリック教会では日曜日のことを主日(しゅじつ)と言います。

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2018年8月26日の説教

年間第21主日:イエスの人格に惚れ、委ねる。信仰者の生きる姿がそこにある
徹底的に自分を変革したいなら、その人の「人格」にかけることです。委ねることです。「信じている」からこそ理解し、変えられ、納得できる歩みができます。そのような人を、誰でも「尊敬できる人」として持っているのではないでしょうか。

2015年8月23日の説教

年間第21主日:神を信じて生きると、人はもっと豊かに魅力的になる
「信じる」ということは、まさに、その人に向かうことであり、その人を見つめ、その人にゆだねることなのです。論理的にわかりにくいことがあっても、その人を信じているがゆえに受け入れていくことができます。

2012年8月26日の説教

年間第21主日:信仰とは納得できなくても己を委ねきる神への信頼
ペトロは「主よ、だれのところにいきましょう。あなたは永遠の命のことば・・・」と。日常同じような人との付き合いをわたしたちは実践しています。神さまとなるとなぜかぎこちなくなります。なぜ?

第一朗読と第二朗読を以下に掲載しますので、続けてお読みくだされば嬉しいです。実は、カトリック教会の主日(日曜日のこと)のミサでは上記の聖書(福音書)より先に読まれます。

【注】第一朗読は復活節を除き、旧約聖書が朗読されます。因みに、復活節は新約聖書の使徒言行録が朗読されます。また、第二朗読では、新約聖書の中の使徒書と呼ばれる聖書が朗読されます。

第一朗読>>ヨシュア記

(ヨシュア24・1-2a、15-17、18b)

〔その日、〕ヨシュアは、イスラエルの全部族をシケムに集め、イスラエルの長老、長、裁判人、役人を呼び寄せた。彼らが神の御前に進み出ると、ヨシュアは民全員に告げた。

「もし主に仕えたくないというならば、〔ユーフラテス〕川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」

民は答えた。

「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」

第二朗読>>使徒パウロのエフェソの教会への手紙

(エフェソ5・21-32)

〔皆さん、〕キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。わたしたちは、キリストの体の一部なのです。「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。

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yaziro3

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