年間第22主日:変わるものではなく、変わらないものに目を向けなさい。

「神への道標」

2018年説教の年間テーマ「神への道標」

年間第22主日(B年)の説教=マルコ7・1~8、14~15、21~23

2018年9月2日

スポーツ界の異常現象と社会問題化を懸念

自然界が異常気候をもたらしている一方で、日本のスポーツ界でも、これまでにない異常現象が連日マスコミ報道に登場し、人々も大いなる関心を寄せているのではないでしょうか。こうした人々の前で社会問題化されてしまうと、まったくもって、悲しい、さびしいことです。現在開催されているジャカルタ・アジア大会のバスケットボール男子代表選手の出来事も、国民に大ショックを与えたのではないでしょうか。わたしの知り合いのお子さんのことを思い出しました。バスケット大好きなお子さんで、上手いなと思っています。代表選手たちに続く若い人たちが、大手を振ってその道に邁進できるような軌跡をしるしていってもらいたいものです。

少々大げさな言い方になるかもしれませんが、人がどのような道に進もうと、どのような職に就こうと、その幼少時の「育ち」の過程は大事ではないかと思うのです。

女性が結婚相手に求めた三高、今は3C、3K

かなり以前のことになりますが、バブル景気全盛期(1980年代末)に、女性の主流層が結婚相手の条件に「三高」を求めていた時代がありました。それは「高学歴」「高収入」「高身長」の男性のことです。(Wikipedia) 当時の流行語にもなりました。

バブル崩壊後、心理学者の小倉千加子さんは、女性が求める結婚条件が「3C」に変化したと指摘しています。それというのは、Comfortable「快適な」,Communicative「理解し合える」,Cooperative「協調的な」の英単語の頭文字からなっています。意訳しますと、それぞれに「充分な給料」「階層が同じかちょっと上」「家事をすすんでやってくれる」の意味になるそうです。また、2010年のアクサ生命保険の調査によりますと、「価値観が合うこと」「金銭感覚が一致していること」「雇用形態が安定していること」が、女性が求める結婚条件の1位から3位となっており、その頭文字から「3K」とされています。

人の感性は、環境に影響されながら育つ

このような感覚が育つ土壌は、その人の育つ環境から自ずと身についてくる感性であろうと思うのです。親であったり、家族のメンバーであったり、社会状況であったり、マスコミ報道であったりと、身近にあるものすべてが、人の育ちには影響してくるものです。いわゆる、人の育ちの環境は、幼稚園、学校等のカリキュラム、教員だけではないということです。

長い夏休みも終わりました。この休みを利用して、子育てに工夫を凝らした親御さんもいらっしゃったのではないかと思いますが。その一つに、「家事手伝い」を挙げることができると思います。

教育では本人が成長を実感できる言葉かけを

せっかく家事を教えたものの、学校が始まると家事から遠ざかってしまい、子どもが忘れてしまうことになった、と悩まれる親御さんが多いのも現実ではないでしょうか。また、その他に、悩みの内容の多くは「長続きしない」「言わないとやらない」などの相談もあるようです。(讀賣新聞大阪本社、2018年8月23日)

継続的に手伝ってもらうにはどうしたらよいか。「子どもの生活リズムに家事を組み込むと、家事にとりかかるタイミングを覚えやすく、ルーチン化しやすい」と話されるのは、家事セラピストの村上有紀さんです。また、「一番大事なのは感謝のことばです」と言われます。さらに、子どもが自分の成長を実感できるような言葉がけも意識していきたいことです、とも言われます。例えば「前より早くなったね」とか「ママより上手」などです。

年間第22主日:あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。
年間第22主日(B年)の聖書(マルコ7・1~8,14~15,21~23)ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。

「あなた方は神の掟をなおざりにし、人間の言い伝えを固く守っている」と、ファリサイ派と律法学者たちに言われます。ユダヤ人たちのこうした習慣、生き方も、成長の過程で心身についた、いわば、彼らの「個性」とも呼ばれるものではないでしょうか。

伝統やしきたりが発展を阻害することもある

わたしたちの経験上、どこの世界でも、長い歴史、伝統を維持してきた実績を持つ場では、形が、しきたりが力をもつようになってくるものです。そして、それらを通して教育も進められていくのです。確かに、大勢の人びとをまとめるには、形は無視できない大事な要素の一つではあります。しかし、形があれば十分であると満足してしまうこと、ここに危険が潜んでいます。なぜって、それから先に発展する余地を遮断してしまうからです。

さらに、悪いことに、そのことが他者を「責める」「つまずかせる」もとになってしまいます。「人の中から出てくるものが人を汚すのである」と。このような現象は現代でも同じことが言えます。「教会の信者さんにこんな変な人がいるとは驚きです」とか「信者なら立派な人々の集まりだろうなと思っていました」など、教会に初めて来られた方が受ける印象をよく耳にします。

外見ではなく、人間の心の内をよくみること

「わたしの言うことを聞いて悟りない」。イエスさまがおっしゃりたいことは、外に見える部分ではなく、見えない心のうちをよく見なさい、ということです。外部についてまわるものは、その都度変化していく、が、心は変わるものではないからだ、と言われます。確かに、幼少時からの積み上げがそこにあります。だからこそ、心のうちにある罪の根っこをしっかり見つめ、清めていただきましょう。

イエスさまは、いつもわたしたちからの叫びを待っておられます。

コメント