年間第23主日:二千年前の人々の心で「奇跡」を眺め、捉えてみたい

「神への道標」

2018年説教の年間テーマ「神への道標」

年間第23主日(B年)の説教=マルコ7・31~37

2018年9月9日

わたしたちが生きている日常環境は、絶えず変化し、進歩し、便利になっていきます。それにつれて、忘れられ、消えていくものもあります。それらの中には、みなの関心を呼び、社会問題化して、良くも悪くも、大きな話題になるものも数多くあります。

乳幼児預かり施設での「突然死」問題から

その一つに、「乳幼児預かり」の問題があります。長年、待機児童の問題も続いていますが、預けるのはいいとしても、その施設での「突然死」が大きな問題になりました。これまでも、幾多の専門家の方々が関わっていらっしゃったのでしょうが、この度、医師や保育の専門家らでつくる「保育安全推進協議会」(東京)が、乳幼児のストレス状態を測定する調査を始めたようです。(讀賣新聞大阪本社、2018年9月4日朝刊)

保育園に入園直後、乳幼児が突然死するケースが多いことから、以前から問題にされていましたが、やっと動き出した感がします。環境変化によるストレスが突然死につながるとの指摘もありますが、科学的な分析はなされてきませんでした。

「突然死」の51%は入園後1ヵ月以内に発生

同協議会によりますと、保育園で乳幼児が睡眠中などに死亡する突然死は、その30%が入園後一週間以内に、51%が一か月以内に発生しています。調査では、入園児の衣服やベビーベッドにセンサーを装着し、入園前と入園後の心拍数や体温、呼吸数の変化を測定して、ストレス状況を調べるとしています。

協議会は今後、調査対象を広げて詳細に分析する計画であるといいます。そして、ストレスと突然死との因果関係を明らかにし、入園時に適切に対応することで、「突然死ゼロ」の実現を目指したいと考えているとのことです。

完璧な予防策は困難?でも課題克服に期待

こうした問題は、相手が乳幼児であるだけに、自分の意思表示をしたくてもできないし、できたとしても、完璧な予防策が講じられるかといえば、困難を極めるのではないでしょうか。なぜって、一人ひとりにとって、ストレスの度合いが異なっていると思うのです。それでも、この取り組みに対してはありがたいことであると思っております。

「子どもの詩」として次のような詩が掲載されていました。「私」という表題がついています。

「私が生まれてほんとうによかった
私がいないと
たのしいことができない
私は
こうささやいた
私が生まれてほんとうによかった」

(東京都中野区・江古田小2年 庄司 あさひ)

すべての子どもたちが、このような、いのちのすばらしさを体験できるような生き方を味わってもらうためにも、究明してほしい課題です。

人の理解を超えた事象はいつも存在する

日常、どうしてもわからないことがらってたくさんあります。どうしてこうなるの、信じられないことだ、どう考えても理屈に合わない、など、説明できない出来事に囲まれています。でも、わたしたちの理解と関係なく、ものごと、現実はあり続けるのです。わたしたちの役に立たないものであっても、そこに存在し続けます。

科学と技術の発達した現代に生きるわたしたちにとって、物事を判断する基準が、合理的であり、納得できないといけないと思いがちになっています。したがって、納得できない、説明できない出来事に対しては懐疑的になったり、否定してしまいがちになります。

福音書に登場する「奇跡」をどう捉えるか

今日の福音書に出てくる「奇跡」に関してはどうでしょうか。作り話だといって頭から否定する人もいらっしゃるのではないでしょうか。現代の優秀な科学ですら説明できないからです。だからといって、人の心を合理的に、科学的に説明できる人っていらっしゃるのでしょうか。「乳幼児の問題」にしても同じです。

年間第23主日:この方のなさったことは全て素晴らしい!と人々は言った
年間第23主日(B年)の聖書=マルコ7・31~37 〔そのとき、〕イエスはテイルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。

大事なことは、その出来事に託されているメッセージです。そのメッセージを耳にし、目にして、わたしたちには知恵がつき、理屈では説明ができない出来事を理解し、受け止めることができるようになっていきます。事実、そのように生きてきました。そして、今の「わたし」があります。愛情関係はまさにそのような関りなのではないでしょうか。その関係はその当事者にしかわからないものかもしれませんが、現に、あるのです。

奇跡に込められたメッセージを読み取る

そこで、二千年前に生きていた人々の心で「奇跡」を眺め、捉える必要があるでしょう。すると、奇跡の中に込められたメッセージを読み取ることができるのでは・・。イエスさまが歩まれた道のりは、異邦人の地と言われていた町々です。そこの人々に新たな希望をお与えになります。人々は病人をイエスさまの前に連れてきます。すべてをイエスさまに託したのです。そして、イエスさまは癒されます。生きる希望を病人によみがえらせるのです。人々は喜びと感動を表します。「誰にも言わないように」と戒められますが、嬉しさのあまり黙っておれないのです。

マルコはこの奇跡で、夢も希望もなくした地に住む人々に、新たな生ける水をもたらすメシアの姿を、イエスさまの中に見、わたしたちに告げたいのでしょう。

わたしたちも、希望のうちに自分の信仰を眺めてみましましょう。きっと、前に進める何かが見えてきますよ。

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