「神への道標」
2018年説教の年間テーマ「神への道標」

年間第24主日(B年)の説教=マルコ8・27~35

2018年9月16日

ものづくり大会で優勝の高校生の栄光

京田辺市(京都)の府立田辺高校自動車科3年生の伊藤聖真さん(18歳)が、物づくり大会で優勝したというニュースを読みました。(讀賣新聞大阪本社、2018年9月11日朝刊)

それは、高校生らが競う「第13回若年者ものづくり競技大会」(石川県で開催)の自動車整備部門での受賞でした。彼は近畿地区代表として出場したのです。他に、地区予選を勝ち上がった24人が参加した競技会でした。伊藤さんは、11月2日から開かれる沖縄県での「技能五輪全国大会」への出場も決まり、「結果を残す」と意気込んでいます。

凶悪犯罪の犠牲になった家族の苦悩

一方で、「娘 どうすれば救えたか」と、自問して苦悩する父親のコラム記事がありました。(掲載同上)

高校2年生の娘さんを持つ、福島市の父(63歳)は唇をかみしめます。ご自分も病に罹り、「もう長くはない」と感じているがゆえに、娘さんのことが気になって仕方がないのです。昨年9月27日に、「学校に行く」と言って家を出た娘さんは、夜になっても戻ることがありませんでした。連絡があったのは翌28日午後6時半ごろ。母親に無料通話アプリ「LINE」でメッセージが届いたのです。「今から帰ります」と。しかし娘さんは帰らぬまま、約一か月半後の深夜、警察からの電話を受けたのです。「娘さんの遺体が確認されました」と。

これは、神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が発見された事件です。白石隆浩容疑者(27歳)が、強盗・強制性交殺人罪で逮捕され、起訴された出来事です。「起訴されても娘は帰ってこない」。9人の被害者の家族や友人たちは喪失感と自責の念に今も苦しみ続けています。

”光と闇”から何を感じ、どう生かすのか

人それぞれに生き方は違うものだとは言っても、同じ世代の若者の生きざまが、あまりにも鮮やかに違って映ります。この差は何でしょうか。

わたしたちが住んでいる社会環境、人間環境に影響されるということはあり得ますし、否、人の生きる道にとって大きな要素になります。それが「良い」「悪い」ではなく、どのように生かすかが大事でしょう。そこに挑戦力、創造力がともなうと、より一層、よい実りが出るような気がします。そのために、日頃の人との交わり、関りが当然のごとく大切になってくるということでしょうか。

偶然だと思うことも「必然的」な出会い

初対面の人との出会いは、はらはら、どきどきで、安定しない、落ち着きのない気持ちになることがよくあります。こうした出会いも、「たまたまね」といって、偶然、街角で知り合いの方に出会ったそれも、「必然的な」出会いであったと思うんです。誰か、二人の動き、道のりを同時に見ることができることができるとすれば、その方(神)にとって、出会うべくして行動してきた二人の動きだったといえます。たまたま出会った友人の場合、お互いがどのように動いて、どんなルートを使ってここに来たのか、お互いの動きが分かりません。それだけに驚きも大きいのです。

イエスの正体をつかみきれなかった民衆

今日の福音で、イエスさまの正体がつかみきれなかった民衆の思いが読み取れます。それこそ、たまたまイエスさまのうわさを聞いて、初めてイエスさまとの出会いを実現した人がいたことも考えられます。すなわち、出会いの頻度、出会いの中身が、お互いへの理解の深まりに影響してきます。受け止め方の浅い人にとっては、一般的な評判の域を超えることなく、「洗礼者ヨハネだという者もあれば、エリヤだという者もあり、預言者の一人だという者もあります」との評価になってしまいます。

ところが、まじわりの頻度、中身が、一般の民衆と違う弟子たちに対してイエスさまは「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか」と問われます。弟子たちを代表してペトロが答えます。「あなたはメシアです」と。さすがです。イエスさまはその返事に対して否定はなさいません。ところが「誰にも話さないように」と厳しく戒められます。

あなたはメシアです!ペトロは答えたが

それは、ペトロが宣言した「メシア像」とイエスさまの中にあるそれとには、大きな隔たりがあったからです。受難と十字架の死に終わるイエスさまの「メシア像」は、ペトロや人々が期待していた「メシア像」に全く合わないのです。人々は、強烈な影響力をもって民を結集させ、ローマの支配からの解放を実現する「メシア像」だったのです。

苦しみと十字架を通して希望を与える

実にイエスさまは、苦しみと十字架を通してわたしたち人間を救うメシアなのです。このことを伝えているのが聖書です。人として真っ当に生き、わたしたちの苦しみから、無気力感からの解放を後押ししてくれるのは神なのです。今の人生が順風満帆の人にも、辛さ、苦しみの真っただ中にいる人にとっても、さらなる「希望の光」を見させてくれるのもイエスさまなのです。わたしたち人間がどのように変わろうとも、神は絶えることなくわたったしたち一人ひとりを支えてくださいます。

あの二人の高校生は結果に違いが出ました。願わくは、一人ひとりが、その道のりを変わらぬ神との出会い(祈り、黙想)の中で、探し、前に進んで行きたいですね。きっとできます。

だって、必然的な出会いだからです。