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年間第23主日:この方のなさったことは全て素晴らしい!と人々は言った

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年間第23主日(B年)の聖書

年間第23主日(B年)の聖書

年間第23主日(B年)の聖書=マルコ7・31~37

2024年9月8日

〔そのとき、〕7・31イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。

32人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。

33そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。

34そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。

35すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。

36イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。

37そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」

 聖書本文は 日本聖書協会の「新共同訳聖書」から引用しています。
日曜日の聖書は、日曜日の説教とともに毎週木曜日の夕方に更新されます。
カトリック教会では日曜日のことを主日(しゅじつ)と言います。

日曜日の説教もどうぞ!
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YASUさんはカトリックの神父さんです。

2024年9月8日の説教

年間第23主日:イエスの奇跡の恵みは、例外なく、わたしたち一人ひとりに
イエスの奇跡は、この世にあるすべての人、そして、闇の中にあるわたしたち一人ひとりにとって、この世界に喜び輝きを与えるメシアとしてのイエスの姿が込められていると言えるでしょう。

2021年9月5日の説教

年間第23主日:「苦しい時の神頼み」は神を感じる第一歩
神さまにはお願いばかりが多いのは、それだけ苦しいことが多いということでしょうが、感謝することも多くありたいもの。それにしても、神さまにお世話になっていると感じているのでしょうか。人への「義理」は敏感ですが、神への「義理」(?)はどうなっていますか。

2018年9月9日の説教

年間第23主日:二千年前の人々の心で「奇跡」を眺め、捉えてみたい
2000年前に生きていた人々の心で「奇跡」を眺め、捉える必要があるでしょう。すると、奇跡の中に込められたメッセージを読み取ることができるのでは・・。イエスさまが歩まれた道のりは、異邦人の地と言われていた町々です。そこの人々に新たな希望をお与えになります。

2015年9月6日の説教

年間第23主日:イエスさまは神の国を運んでいる方というメッセージ
見えない目が開き、聞こえない耳が聞こえるようになる、こういった体の癒しは、その人にとって人生の生き方に大きく影響してきます。そこからもわかるように、身体の癒しは、深い内面の癒しでもあるのです。

2012年9月9日の説教

年間第23主日:奇跡には豊かなメッセージが含まれている
その見えるしるしが「足の不自由な人が鹿のように跳ねあがった」喜びであると思います。闇に沈む人々に躍動を与えるイエスさまの姿が奇跡のしるしの裏に隠されています。本物を見つめましょう。

第一朗読と第二朗読を下の方に掲載しましたので、続けてお読みくだされば嬉しいです。実は、カトリック教会の主日(日曜日のこと)のミサでは第一朗読、第二朗読に続いて、三番目に上記の聖書(福音書)が朗読されます。

【注】第一朗読は復活節を除き、旧約聖書が朗読されます。因みに、復活節は新約聖書の使徒言行録が朗読されます。また、第二朗読では、新約聖書の中の使徒書と呼ばれる聖書が朗読されます。

第一朗読>>イザヤの預言

(イザヤ35・4-7a)

心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」

そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。
熱した砂地は湖となり
乾いた地は水の湧くところとなる。

第二朗読>>使徒ヤコブの手紙

(ヤコブ2・1-5)

わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。
わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。

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yaziro

このサイトの運営者yaziro(ヤジロー)➡ カトリック教会のこと、デジタルのことに関心を持つ iPhone 好きジイジです。
最近はWordPress、Line、Web会議システム、YoutubeやOBSの活用法に没入中!
yaziroの名は、1549年聖フランシスコ・ザビエルを鹿児島に案内してきた薩摩の人・ヤジローにあやかっています。

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